第41話 降臨

 大味な試合になった。

 三回の裏にライガースが大介のツーランホームランで逆転すると、四回の表にスターズは下位打線のソロホームランで同点に追いつく。

 その裏にノーアウト一二塁としたライガースだが、そこから三振の後にダブルプレイが出て、一点も入らない。

 乱打戦に近いが、徹底的にどちらかが潰れるわけでもない。

 プレイオフがこんなに雑になってもいいのかとも思うが、実際のところは雑なわけではなくスーパープレイが飛び出したりもする。

 三者凡退が全くない、スリリングな試合。

 五回の表もスターズが連打で一点を取ったものの、その裏には大介の二打席連続のホームランで、同点に追いつく。

「三打数三安打の二ホームランってなんなの……」

 プレイオフの大介は一味違う。

 それは数字上は分かっていたはずなのだが、特にこの試合は異常である。


 呆れたような声は、誰のものであったのか。

 味方のものか敵のものか、それとも観客のものか。

 だが誰もが、同じことを思っていただろう。

 今日の大介は凶悪すぎると。


 センター前に抜けそうな球をキャッチして、膝をついたまま上半身だけでファーストに投げるとか、そこはまだ分かる。

 自分の頭上を抜けそうなライナーを、2mぐらいジャンプしてキャッチするのも、おそらく実際はそこまでは跳躍していないのだろう。

 三遊間を抜ける打球をキャッチして、完全に寝転んだ状態からファーストに投げてアウトとか、そのあたりはおかしい。


 これまでずっとランナーが出ていていたが、六回はついに両者三者凡退。

 だが先発がようやく調子を戻したというわけではない。

 ライガースは真田がリリーフとして上がり、ここを見事に封じた。

 そしてスターズは、抑えの切り札峠ではなく、上杉がマウンドに上がったのだ。


 共に第一戦の先発を投げた、両軍のエースである。

 だがライガースは危機感を持ち、スターズは安心感を抱いている。

 上杉なら真田にも勝てる。

 これは錯覚である。


 上杉が勝負するのは、ライガース打線である。

 そして真田も勝負の相手は、上杉ではなくスターズ打線である。

 またライガース首脳陣は、脳死状態のように全てを上杉に任せるスターズとは違う。

 真田は確かに頼れるピッチャーであるが、無敵ではない。

 ここからしっかりとリリーフを使っていって、どうにか上杉に勝つのだ。

 



 スコアは4-4の同点。

 七回の表、スターズの攻撃は、代わったばかりの上杉からである。

 本来であればピッチャーの打席など、ボーナスタイムでしかない。

 だが上杉はコンスタントに、五本前後のホームランをシーズン中に打つバッターでもある。

 高校時代も三年の春までは四番を打っていたのだから、ピッチングのパワーはバッティングにも出てくるのだ。


 全く油断できないバッターだ。

 打率も二割台の半ばはあるし、最初の年など三割を打っていた。

 ピッチャーで六番当たりを打ってもいいのでは、という声さえある。

 だが上杉としては、己の職分をピッチャーだと決めている。


 今年のレギュラーシーズンでは、真田が上杉と投げ合ったのは、シーズン終盤の一試合だけだ。

 その時は真田の消耗を避けるため、同点の場面でリリーフに任せている。

 上杉も真田も、前の試合からそれほどの間隔を空けていない。

 ただ両者共に、それで疲れたなどと言うピッチャーでもない。


 真田は上杉に対して、カーブから入った。

 上杉はこれを打っていくが、全く惜しくない方向へのファール。

 続くストレートも外角の高めで、上杉はこれもまたファールにした。

 今度はかなりの飛距離が出た。


 カウントは追い込んだが、空振りは取れていない。

 一発があるだけにキャッチャーの孝司としては、ここで一球外しておきたい。

 真田のスタミナはもちろん気をつけるべきだが、それで打たれたら本末転倒だ。

(外にカーブを外して)

 孝司のリードは、真田を頷かせるものではない。


 真田から返ってきたサインは、孝司が思わずため息をつきそうになるものであったが、これを拒否するのは難しいだろう。

 冷静にピッチングをするように見せている真田だが、実のところはかなりの負けず嫌いだ。

 そもそもスポーツ選手で負けず嫌いな人間など、ほぼほぼ皆無と言っていい。

 孝司の知る限りで一名、サウスポーで170km/h近くを投げる化け物が、あまり負けず嫌いでないのは確かだが。

 お遊びでやるバスケの2on2などではムキになるので、全般的に負けず嫌いというわけでもないのだろう。


 真田のプライドを優先するべきか。

 残り三イニング。そして延長に突入するかどうか。

 ここで上杉を封じるのは、失敗しても一点だ。




 上杉としても真田が首を振ったのを見て、それから自分でサインを出したのも見た。

 一度バッターボックスを外す。

(首を振ったか)

 普通のピッチャーであれば、ここでボール球を投げて、カウントを整えてバッターの目に決め球以外のボールの軌道を焼き付ける。

 緩急を使ったり、コースを使ったりということもある。

 だがそれをすると逆に、勝負球が何かを教えることにもなる。


 ツーストライクからなら、外に外すことを要求するのだろう。

 そして真田の球種は、スライダーにカーブが多く、わずかにシンカーやチェンジアップも投げてくる。

(内角へのスライダーか?)

 左バッターにとっては、完全に当たる軌道から急激に変化するスライダー。

 だが右バッターにとっても、打てると思って振ったはずなのに、なぜかデッドボールになったという都市伝説が出回っている。


 真田の強気な性格を考えると、スライダーかストレートで勝負してくるのだろう。

 右打者であっても、打てるとは限らない変化のスライダー。

 この一番の武器で、勝負してくるのではないか。

(スライダー)

 パワーのある上杉は、むしろ構えは小さい。


 最後に頷いた真田が、その指先から投げた球は――。

(スライダー!) 

 上杉のバットは空振り、三振となった。

 あの角度で曲がってくる、真田のスライダー。

 体験するのは別に初めてではないが、こんな大舞台でも自分の武器で勝負するのか。

 六回の裏、上杉のストレートに三振した仕返しであるのか。

(なるほど、たいしたものだ)

 そして上杉はベンチに戻っていくのであった。




 一点リードすれば、という考えが両チームにある。

 スターズもライガースも、勝ちパターンでのリリーフ陣は強力なものだ。

 レックスのような化け物じみた陣容ではないが、どちらも勝ちパターンは作っていける。

 上杉の後の上位打線も凡退。

 中一日の真田は絶好調である。


 打てなかったことをいつまでも気にしてはいられない。

 上杉が投げるのは、七回の表も続いていく。

 そしてこの回、ライガースの打順は上位打線の一番毛利から。

 つまり確実に大介に回る。


 毛利は完全に、塁に出ることは諦めている。

 彼が考えるのは、上杉から何球粘ることが出来るか。

 あるいはまずないだろうが、失投した時にちゃんと叩くことである。

 手元で動くムービング系のボールにも、振り遅れてしまう。

 160km/h台の後半など、ストレートでも他に投げられるのは、NPBでも武史ぐらい。

 MLBまで含めても、170km/h以上を投げるピッチャーはいないのだ。


 五球目を上手くカットできず、内野ゴロ。

 ボテボテと転がる間に必死で駆けるが、スターズもここで甘い守備はしてこない。

 しっかりと内野ゴロに打ち取って、二番の大江でである。


 自分が前座だとは分かっているつもりだ。

 自分は自分の物語の主人公、などというかこつけた台詞を言うつもりはない。

 誰だってこのグラウンドの主演が誰かは分かっているだろう。

 だがここで、誰にも出来ない名演技は、助演であっても出来るのだ。


 そう思った大江は、一球だけは粘った。

 だが最後にはストレートを空振りして三振。

 絶望の表情を浮かべるところまでが、演者としての役割か。


 ベンチに戻っていくのに、大介とすれ違う。

 完全に戦う目をした、この舞台の主役。

 上杉と大介の、今シーズン最後になるかもしれない対決。

 特等席から見られるのは、同じ場所で戦う者の特権だろう。




 スターズは玉縄から大滝につないでいった昨日の第二戦、大介は五打席三打数二安打ホームラン一本であった。

 だが上杉の投げた第一戦は、ヒット一本が出たのみ。

 調子が悪かったのではなく、上杉から三打数で一本のヒットを打てれば、それで充分にすごいのである。


 今日の大介は三打数三安打で二ホームラン。

 福永の調子がいまいちと言っても、間違いなく大介の状態は絶好調だ。

「さてと」

 真田と上杉の投手戦になりつつある。

 その状況を打破できるとしたら、自分しかいない。

 クライマックスシリーズは、まだまだ続いていくのだ。

 真田を投げさせすぎて削るわけにはいかないのだ。


 スターズには上杉以上のピッチャーはいない。

 普段は抑えの切り札である峠がいるが、信頼性では上杉の方が高いだろう。

 ここで一本出れば、そのまま勝負は決まるかもしれない。

 そう思う大介が見れば、マウンドの上杉の周囲の空気が歪んでいる。


 人の持つ引力が、これだけしっかりと働いているのか。

 空気が粘り、視界がはっきりとしない。

 はっきり言って、人間の持つ雰囲気を超越している。

 だが神の領域に挑戦するのは、人間の性である。




 ドカンとアウトローにストレートが決まった。

 173km/hのそのボールは、奇妙に大きく見えた。

 大きすぎて、そのまま打てばバットか腕の方が折れそうな重さを感じた。

 捕球した福沢も、しばし動かない。

 元々上杉のボールは、下手に受けたら親指が折れるとは言われていたのだ。


 ただ、大介なら打てる。

(ストレートなら放り込む)

 空気を揺るがす気迫を発しているのは、別に上杉ばかりではない。

 大介もまた、その構えたバットが気迫で揺らいでいる。

 かすっただけでホームランになりそうな錯覚があるが、もちろん大介はジャストミートしないと、ボールは飛んでいかない。


 フライボール革命以降、バッティングはいかにパワーをつけて、遠くへ飛ばすかという勝負になってしまった。

 OPSの概念が通用してくると、昔ほど打率は重要視されない。

 ただ三振も多くなって、三振かホームランか、という極端な価値観が、統計ではいいものだと思われている。

 そんな中で大介は、極端に三振も少ない。


 今年は36個の三振があり、ルーキーイヤーの50個の次に三振が多くなった。

 終盤に調子を落としたとき、必死でスイングを戻したため、その時に三振が多くなった。

 だが基本的に大介は、三振が少ないバッターだ。よって打率も高い。

 秀でた動体視力でボールを見て、それをレベルスイングで打つ。

 打球にはバックスピンをかけて、ライナー性の打球にしてスタンドに放り込む。


 上杉相手には、どうなのか。

 上杉もまた、圧倒的なピッチング内容により、ホームランを打たれることは少ないピッチャーだ。

 だがスピン量が多いため、下位打線のパワーバッターにすこんと打たれた時など、ホームランになってしまうことはある。

 しかしこの数年、上杉から最も多くのホームランを打っているのは大介である。


 あるいはこの回、この打席で試合が決まるかもしれない。

 そう考えた大介は、頭の中から一切の思考を切り捨てる。 

 集中しよう、などと考えるのも無駄である。

 ただひたすら、打つことだけを考える。


 二球目のボールは、高速チェンジアップ。

 140km/hも出ているのにチェンジアップというのもなんだが、上杉にとってはチェンジアップなのだ。

 ストレートよりもはるかに遅い球が、すとんと落ちながら入ってくる。

 この球はゾーンの下ぎりぎりを通っていった。




 ツーストライクになった。

 遅い球を見せた後なら、次は速い球である。

 それは分かっている福沢だが、もう一つ外してもいいのではないか。

 だが上杉は早く勝負をつけたがっている。

 確かに消耗具合からしたら、球数は少しでも少ないほうがいいのであろうが。


 相手は大介である。

 175km/hを投げても、続けて投げたらホームランを打たれる。

 それでも上杉は、ここでの勝負を求める。

(どこに投げればいい?) 

 福沢は考える。上杉の最高のストレートで、どのコースに投げたら三振が取れるのか。


 大介は基本的に、苦手なコースというものがない。

 外角のボール球でさえ、かなりの頻度でヒットにはしてしまうのだ。

 ボール球を振らせるというのは、あまり通用しない。

 ならばここはどうか。

 上杉は頷く。


 全力のストレートが来るな、と大介は予想している。

 その予感は、おそらく正しい。

 ここで一発を打てば、ライガースは投手を使いまくって、一点を逃げ切りに入るだろう。

 今のライガースのリリーフ陣を見れば、それは不可能ではない。


 上杉の指先から、ボールが放たれる。

 それはゾーンからはやや、高めに外れるものであったかもしれない。

 大介はそのボールを打った。


 上杉の真横を、空気を切り裂きながらボールは飛んでいく。

 そのボールはほとんど地面と並行のような軌道から、二遊間を切り裂いて、センターの横を通り過ぎる。

 ほとんどそのままの勢いで、フェンスにまで激突。

 その勢いが強すぎて、フェンスからすごい勢いでセンターにまで戻ってくる。


 一塁を回ったところで、大介は止まった。

 センターオーバーが単打というのは、おかしな話である。

 あと1mmでもミートをずらしていたら、伸びる打球になっていただろう。

 そのままバックスクリーンを直撃していたかもしれない。

 うったボールの球速は、175km/h。

 上杉の渾身の球を、真正面から打った大介である。


 四打数四安打であるが、大介は不満そうな顔を隠さない。

 上杉から打てるチャンスは、本当に少ないのだ。

 それをわずかに、しとめ損ねた。

 はたして五打席目が回ってくるだろうか。




 上杉は己の肉体の中に、燃える炎のような力を感じている。

 それをボールに込めたのに、それでも打たれたのか。

 今日の大介の調子がいいとか、単打で済んだなら勝ちとか、そういう話ではない。

 

 自分の熱量が、大介よりも劣るのか。

 全力のストレートを、ちゃんと緩急を使って投げた。

 それなのに打たれている事実を、まずは認めなければいけない。

(もう一打席、あるか?)

 もしスターズが勝ち越し点を取ってしまえば、上杉がライガースを封じるなら、もう対決することはない。

 しかし延長戦に突入するならば。


 まだ、機会はある。

 そう考える上杉は、バッターボックスに入る西郷を見る。

(お前とも、しっかり勝負をさせてもらうぞ)

 ランナーはいるがツーアウトということで、上杉は一塁の大介は無視する。

 もし走られても、どうせ三塁までだ。

 西郷をしっかりとしとめる。


 ここでストレート一本調子になることなく、上杉はカットボールを使った。

 西郷の打球はファーストゴロとなり、これでスリーアウト。

 七回の裏も、勝ち越し点はない。


 残りは二イニング。だが延長に入る可能性は高くなってきた。

 両チームの首脳陣が、継投に頭を使い始めていた。

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