第48話 逆襲の獣

 第二戦、ライガースは大介がホームランを打ったが、結局はヒットの数もその一本で、ほとんどノーヒットノーランに近い封じようで敗北した。

 佐藤兄弟から打っているのは大介だけということになる。

 恐ろしすぎる、間違いなくNPB史上最強の兄弟であろう。

 しかも同じチームにいるという。


 さすがに士気が落ちるかと思われたが、そこへ樋口の怪我が報じられる。

 相手の怪我を喜んではいけないという建前はともかく、士気は回復した。

 レックスは佐藤兄弟という札を切ったのだから、ここからの三戦は比較的弱い札を使うしかない。

 それが15勝以上している金原や佐竹というのが、レックスの投手王国たるゆえんである。

 だが正捕手を欠いた状態で、どれだけのパフォーマンスを発揮出来るか。

 ロートルの丸川を使うか、若造の岸和田を使うかで、レックスの首脳陣は悩んでいることだろう。

 キャッチャーを完全に一人に依存していると、こういうことになる。


 レックスの一軍キャッチャーは、一般的な三人体制である。

 そして樋口を、怪我をしているのにそのまま置いておくという。

 なんだかもうレックスは、樋口のチームになっているのではないか。

 ライガース首脳陣はそう考えていて、確かにその傾向は大きい。




 第三戦のライガース先発は、中四日の阿部。

 対するレックスは、充分に休んだ佐竹である。

 今年13勝6敗の阿部と、18勝3敗の佐竹。

 ピッチャーとしての実績も実力も、佐竹の方が上と言える。

 だが今年、阿部は孝司が加入してから、八連勝という時期があった。

 また終盤は大介の骨折があって、打線の援護が微妙であった時期もある。

 武史相手に投げ合って、一点取られただけで負けた試合もあるし、単純に勝敗の数だけで決まるものではない。

 それぐらい理由を色々とつけなければ、とても勝つつもりで投げられるものではない。


 試合前の投球練習を見る限り、スタメンに抜擢された岸和田の方は、落ち着いて見える。

 キャッチャーとしての一番大切なこととさえ言える、ピッチャーに投げさせるための体勢が取れているのだ。

 だがそれに対する佐竹のボールは、動揺しているように見える。動揺しているかもしれない。動揺していたらいいなあ。


 実際のところそれを確かめるのが、先頭打者の毛利の役目である。

 12球団の一番打者の中で、最もフォアボールを選ぶことが多いと言われる毛利。

 ねちっこいバッティングはプロらしくないなどとも言われるが、ねちっこくさせない球を投げればいいか、素直に敬遠すればいいのだ。

 ただ本人も、そう言われるのは分かっているので、素直にちゃんと打っていく場合もある。


 岸和田としては毛利の特徴に加えて、本日の佐竹の状態の確認、そして岸和田のリードについてと、色々とちゃんと考えている。

(初球はゾーン内のどこに投げても絶対に振らないだろ)

 だからといってピッチャーに負担を強いる、ど真ん中ストレートなどは投げさせない。

 内角にそこそこのスピードで、とにかくストライクを。

 分かりやすいサインに、佐竹は頷いた。


 初球を見ていくのは、この場合の毛利としては当然である。

 だがその初球が、内角の打ち頃のストレートとなると、咄嗟に振りはしないでも、わずかに反応はしてしまう。

 ピッチャーにとっては納得のいく、それでいて力を使わなくて済む初球。

 なるほど樋口とちゃんと話し合っているようだ、と佐竹は安心する。


 ツーストライクまでをゾーンに二球続けて投げて、簡単に追い込む。

 毛利としては岸和田のリードがこうも積極的なのは、かなり意外であった。

(毛利は見逃し三振の方が空振り三振より多い)

 カットのつもりでいるかぎり、なかなか打ち取れない。

 完全に意外で手が出ない球なら、見逃してしまうこともある。

 これを葬る方法としては、早い段階で打たせてしまう。

 カットボールを投げて、ショートへの内野ゴロ。

 緒方の守備によって、俊足の毛利もまずワンナウトである。




 岸和田のリードは悪くないな、とレックスベンチの中から判断するのが悪夢のバッテリーである。

 もしも直史が投げるとしたら、それはレックスリードの終盤に限られるため、まだブルペンで待機したり肩を作る必要はない。

 見えるところにいるだけで脅威、という存在がこの世にはいるのだ。

「ツーアウトまでは取ったか」

「ここまでは楽なんだ」

 強打のライガース打線の正体を、樋口はおおよそ分析しきっている。

 ライガースは実のところ、それほど無茶苦茶な打線というわけではない。

 もちろん一番から七番まで、打てる選手が連なっている。

 しかしそれが機能する場面というか、条件はしっかりと存在するのだ。

 本当に危険なのは大介と西郷の二人だ。


 条件としてまずは、一番の毛利。

 リードオフマンであり、ホームランは数本しか打たないが、打率がほぼ三割前後で、出塁率が高い。

 即ちボール球を振らずに、フォアボールで出塁するのだ。

 これに苛立ったバッテリーは、次の大江には初球はストライクを取りに行く可能性が高い。

 あるいは単純にストレートでもカーブでも、とにかく甘い球を投げてしまう。

 これを確実に打つぐらいのことは、ドラ一指名で入って大江には、たやすいことであるのだ。

 大卒スラッガーは今年で33歳。

 期待していたほどの圧倒的な打力というわけではないが、大きな離脱期間がない限りは、毎年20本近くのホームランを打てる長打力。

 そしてこれまた長打が打てる割には、同時に出塁率もそれなり。

 この二人の後に大介なのである。


 厄介な一番と二番だ。だがこれを上手く抑えて、大介とツーアウトランナーなしの状態で、勝負しようとしてしまうバッテリーは多い。

「さて、白石相手には全部ボール球でいいとは言ってあったが」

「あ」

 樋口の言葉が終わると同時に、内角のボール球を大介は叩き返していた。

 神宮のライト方向、スタンドの中段にボールは飛び込む。

「内角だと打つんだよなあ」

 頭を抱える樋口であるが、ボール球ではあったのだ。




 チャンスを与えられた者の心理を、大介は見抜いていた。

 大介を抑えることが出来れば、それはバッテリー両方の評価につながる。

 ただ内角のボール球でも、ぎりぎりを狙ったのは悪かった。

 大介は内角の当たるボールであっても、普通にヒットまでにはしてしまうのだから。


 スピードの乗ったストレートであったので、レベルスイングを意識してボールを切った。

 やや放物線気味になったが、ボールはスタンド中段に飛び込み、先制のソロホームラン。

(まだまだ甘いなあ)

 樋口が佐竹をリードするなら、初球から変化球でボール球を投げさせただろうか。

 なかなか想像しきれないところが、樋口を甘く見れない理由である。


 ここで初球を打ったことは、それなりに意味があるのではと大介は思っている。

 岸和田を潰してしまえば、ライガースは残りの試合でロートルの丸川か、判断力の落ちた岸和田を使う羽目になる。

 そうなればライガースの方にも、かなりの勝算が回ってくるというものだ。

 最終戦に直史が出てきたところで、岸和田を上手く誘導してという手順が加われば、脳の消耗も激しくなるだろう。

 思考力が低下した状態では、さすがにコンビネーションを全て使えるとは思わないのだ。


 出来れば後続にも続いてもらって、ピッチャーではなくキャッチャーをノックアウトしてほしい。

 だが珍しくも力で押してきた佐竹を、打ち砕くことは出来なかった。

 西郷は平凡なセンターフライで終わり、一回の裏となる。

 先制点は取れたが、たったの一点。

 ここからレックスの新しい打線が、どう機能してくるのか。


 樋口は巧打の三番であり、同時に足もあれば長打も狙えた。

 たった一人で最終兵器扱いの大介とは違うが、それでも代えのいるバッターではない。

 緒方を三番に、小此木を二番にという打順は、いいとも悪いとも分からない。

 これからそれを確認していく作業に入るのだ。




 ライガースの阿部は、中四日の先発である。

 疲労が全くないとは言えないが、ここで投げるなら必ず継投はあるだろう。

 そう考えて下手にスタミナ配分など考えず、初回から飛ばしていくつもりである。


 ここまで二試合連続で敗退し、アドバンテージを含めれば既に3-0と追い込まれている。

 阿部が打たれれば、ライガースの今年は終わる。

 だが阿部の戦意は高い。

 高校時代は甲子園にも出られなかった自分が、この大舞台に立っている。

 去年も主力の一人として戦ったが、今年はまた感想が違う。


 今年のレックスは、誰がどう見ても最強の存在であった。

 そのレックスを相手に、下克上を狙うのだ。

 嚆矢となるのが自分だと思えば、気合で疲労を上回ることは出来る。


 一回の裏、三者凡退に抑える阿部。

 ただ小此木は内野安打になるかもしれないショートゴロを全力疾走したし、緒方はだいぶ粘って球数を投げさせた。

 投手事情に関しては、レックスの方が有利なのは間違いないのだ。

 中盤から終盤にかけて、どう両チームが動いていくか。

 難しい問題である。




 大介から見て、今日のレックスはあまり怖くはない。

 初回に確かにホームランを打ったこともあるが、ボール球が多くなっている。

 レックスはリリーフ陣も強力なので、元々完投は考えていないのだろう。

 岸和田の判断か、ベンチの判断かは分からないが、それ自体は悪いものでもないと思う。


 ただ、おそらくレックスは、樋口が休まなさ過ぎたし、どんなピッチャーにも対応しすぎた。

 二軍でピッチャーが成績を残し、一軍に上がってくるとき、キャッチャーとセットで上がってくることが多い。

 それによってキャッチャーにもある程度のチャンスが与えられるのだ。

 しかし二軍のピッチャーまで目をつけている樋口は、自分から二軍でいいピッチャーが育っているとかも言ってくる。

 正捕手が強すぎて、しかも怪我などでも休まないため、一気に機能不全を起こす。

 こう考えるとライガースは、風間と滝沢をほぼ併用していて良かったと思うのだ。

 もっとも樋口がライガースに来たら、やはり全試合フル出場などになっていただろう。


 回は進み、両者得点が入らない。

「成長したもんだ」

 思わず直史は、ライガースの後輩を称えてしまうが、もちろんベンチからのサインも多い。

 こちらも岸和田は、上手く大介を避けている。

 ブーイングを受けることを承知の上で、悪名を買っている。

 どうせこの試合に勝てば、次は来年まではない。

 そう思っていたのだが、味方の点が入らない。


 まさかここから、四連敗で逆転負けというのは考えにくい。

 しかしこの試合は、スミイチで負ける可能性が出てきた。

 そして三打席目の大介。

 外のボール球を叩いてフェンス直撃のツーベース。

 ワンナウト二塁で、ライガースは追加点のチャンスである。




 今日の阿部の調子はいい。

 だがこの先も見据えれば、完投を望むのは欲深いだろう。

 ライガースは既にリリーフ陣の準備に入っていて、阿部からいつつなぐかを考えている。

「キャッチャー樋口もだが、バッター樋口も相当に影響は大きいんだな」

 樋口はケースバッティングが出来るバッターだった。

 打てないと思ったときに、バントヒットを狙える足まであった。

 今年も盗塁をあと少し頑張れば、トリプルスリーを狙えたのだ。

 そんなバッターが抜けることで、まさかここまで打線のつながりが欠けるとは。


 レックスの攻撃が、上位打線は単発に終わってしまっている。

 意外性のある一発を打つ下位打線も、上手く単打までに抑えている。

 そして大介と石井で、三つもダブルプレイを取っている。

(今日は勝ったと思っていいか)

 そう考えている金剛寺の前で、大介が三盗を決めた。 

 西郷の外野フライでタッチアップとなり、これで二点目が入った。


 七回まで無失点であった阿部だが、ヒットは六本も打たれた。

 そこから打線がつながらず、併殺が多かったのが今日のレックスだ。

 樋口が抜けたダメージが、残っていたといってもいいのだろう。

 八回からは、リリーフ陣が仕事をする。レックスも佐竹を下げた。ただこちらは勝ちパターンのリリーフをするわけではない。


 左の多い場面で、品川を使って最後は若松へ。

 ここを無失点で抑えて、ライガースはやっと一勝目を上げた。

 まだまだレックスがリーチをかけている状態は変わっていない。

 今日の試合結果を踏まえて、修正してくることもあるだろう。

 本当の戦いはこれからである。




 プレイオフの大介の恐ろしさは、むしろパのチームのピッチャーの方が良く知っているかもしれない。

 ただこの二年、レックスもプレイオフで、大介には散々に打たれてきたのだ。

 第四戦、そんな大介の恐ろしさを知るレックスは、先発は金原。

 対してライガースは、これまた中四日の山田である。


 山田もまた、中四日である。

 しかしスターズ戦では立ち上がりから悪く、長いイニングを投げてはいない。

 順調に調整をしていた山田の様子を、首脳陣ははっきりと見ていた。

 何よりも島本がそれを保証した。


 リーグ戦自体では、もう四度も二位にとどまっている。

 それだけレックスが強いということなのだが、このレックスの強さは明らかに、樋口が正捕手になってからである。

 そんな樋口でも、短期決戦ではライガースを抑え切れない。

 レックスは弱いチームには確実に勝つが、強いチームを倒す本当の決戦力は持っていない。

 そんなことをいう評論家もいる。


 確かにその傾向はあるな、と敵であるライガースの首脳陣も思う。

 統計的に平均でシーズン戦を圧勝していく強さ。

 それはより、投手の先発ローテ、そしてリリーフ陣の安定がもたらすものだろう。

 打撃も悪くはないが、投手陣ほどの陣容ではない。

 ならばその投手陣を突破するほどの打撃力をもって殴り合いにもちこめば、そこに勝機が生まれるというものだ。


 第四戦も、ライガースは勝利した。

 スコアは3-2とレックスバッテリーも奮起したが、また大介がホームランを打っているので、大介に負けたと言ってもいい。

 決勝打を打ったのは、意外なことに黒田であったが。

 山田を同点の七回で交代させ、そこからリリーフ陣に奮起してもらった。

 リリーフ陣同士の対決であったが、レックスは勝ちパターンのリリーフを出し惜しみした。

 まだリードしているという余裕があったのかもしれない。

 ただこれで、3-2で残り二試合となる。




 第五戦、先発は真田かと思う者もいただろうが、真田はファーストステージの第三戦でも登板している。

 ライガースが先発を命じたのは、今年先発としては一度しか登板していない青山。

 短いイニングをつないでいって、どうにか抑えようという考えだ。

 この試合は、なんとしてでも勝つ。

 そして第六戦、真田を投下して、レックスと抑えあいをする。


 最終戦で佐藤直史が投げてくるとしたら、中四日となる。

 第一戦はさすがの精密機械もいささか感情があふれたのか、三振を多く取るピッチングになっていた。

 少しは消耗した状態で、中四日で投げるのだ。

 ライガース打線が、大介が打つことを、信じるしかない。

 そして一点でも取れれば、機能不全になりつつあるレックスの打線を、真田が抑えてくれる。

 虫のいい考えであるが、とりあえずこの第五戦だ。


 青山が投げて、そこから短くつないでいくという、まさになりふり構わない投手起用。

 真田を温存して、この第五戦で負けることが脳裏によぎる。

 しかしどこかで賭けなければ、日本シリーズ進出は果たせないだろう。

 分の悪い賭けであることは承知。

 この第五戦も、第六戦も。

 樋口の負傷による、レックス全体の弱体化によって、どうにかライガースは勝てているのだ。


 あるいはここで、直史が中三日で投げてくるか。

 中三日、それまで休んでいたことを思えば、不可能ではないだろう。

 しかしレックスが先発させたのは、古沢であった。

 今年10勝6敗と、怪我で離脱はあったものの、ローテの大部分を回した。

 そして貯金を作っているのだから、充分に強力なピッチャーだ。

 だが、短期決戦ではどうなのか。


 この第五戦も、ライガースは賭けに勝った。

 4-3というまたも一点差での勝利。

 大原がボコボコになりながらも他のピッチャーを休ませた第一戦、樋口の離脱でレックスの動揺した第三戦を除けば、2-1、3-2、4-3と一点差の勝負が続く。

 連敗からの三連勝。

 まさかと思っていた日本シリーズへの天秤が、ライガース側へと傾きつつある。


 最終戦の予告先発。

 ライガースは真田。

 そしてレックスは佐藤直史。

 高校時代から続く、因縁の二人のピッチャー。真田はもちろんだが、直史もしっかりと意識はしている。

 こいつのせいで自分は、パーフェクトピッチングを二回も邪魔されたのだと。


 戦力は、高校時代と比較してはどうだろう。

 大介が、真田の側にいる。

 そして直史は、樋口を失っている。

 ハンデがあるような状況であるが、それでも負ける気がしないのが、直史という人間であった。

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