第30話 ミーティング

 プロ野球は年間にレギュラーシーズンを143試合行い、加えてオープン戦やオールスター、そしてプレイオフが存在する。

 たとえルーキーであっても、シーズン終盤ともなれば、そのデータも相当に集まってくる。

 日本人選手であればさらに、アマチュア時代の情報もかなりが集まる。

 特に直史などは、甲子園での映像や神宮での映像が、いくらでも手に入るのだ。

 一年か二年、短期間だけ活躍する選手がいるのは、その分析で丸裸にされるからだ。

 だからこそ安定して長く数字を積み重ねられる選手は、分析しても打たれないだの、分析されても打てるだの、そういったピッチャーやバッターである。

 つまり長く活躍できる選手の年俸が上がるのは、当然のことなのだ。


 直史のデータは、やはり今年のものだけではなく、大学時代の公式戦のものまで、みっちりと集められた。

 そして様々に分析されていく。

「球種で一番多いのはカーブ系で、24.8%がそうです」

「カーブか」

「確かに多いかもしれないなほぼ四分の一か」

「そうか? 確かにストレートは少なめの気がするが」

 それは当てにならないと、大介には分かっている。


 説明してくれるデータマンは、もちろん優秀だ。

 だが数字によって先入観が入ると、実戦ではむしろ邪魔になる。

 なので大介は手を上げて発言した。

「カーブ系と言っていますけど、その内訳は分かってるんですか」

「それは……」

 バイアスをかける情報なら、ない方がいい。いじめているわけではなく、必要なことなのだ。

 しかしデータ班は、ちゃんとそれも数えてきたのだ。


 直史のカーブを、単に種類ではなく、実際の変化で確認する。

 斜めのカーブ、縦のカーブ、遅いカーブ、遅くて落差のあるカーブ、落差のあるカーブ、速いカーブ、速くて落差のあるカーブ、スライダー成分の高いカーブ、チェンジアップ的なカーブ。

 どれもカーブだ。

 そしてこれらは、状況によって使い分けられる。

 またタイミングや角度も違う。

 さすがにプロ入り後は使っていないが、サイドスローやアンダースローからのカーブも投げられる。

 速度も1km/h単位で微調整してくる。

 大介の知る直史のカーブは、そういうものだ。


「いやお前、もっと最初に話しておけよ」

 山田がそう言うが、大介にしても全てを使っているかどうか、確信はしていなかったのだ。

「まだここまで投げてないカーブがあるかもしれませんし」

 少なくとも一番速いカーブは、学生時代はここまで速くなかった。

 バリエーションが増えているのだ。


 直史の投げている球で、次に多いのはスライダー系。

 縦、横、そして小さく曲がるスライダー、つまりカットボール。

 シュート系もシュート、ツーシーム、高速シンカー、シンカーの四つがある。

 これは左打者と対戦した時は、遅くて大きく曲がるシンカーがよく使われる。

 右打者に対しては、手元で曲がる速度のあるタイプが多い。

 スライダー系とシンカー系は、あまり割合に差はなく、バッターの左右で割合が変わっている。

 胸元を突くために使われているのか。


 落ちるボールはカーブ以外に、スプリットとチェンジアップ。

 スプリットも微妙に変化しているし、チェンジアップにも同じことが言える。

 そして魔球スルー。

 これだけだと言っていいのかと言えば、ほとんどの変化球は微調整やコントロールが可能である……ようだ。

 カーブにしろ他の変化球にしろ、ストレートほどにはコントロールがつかないピッチャーというのが、プロでも一般的なものである。

 だが直史はそれを、少なくともゾーンぎりぎりを狙って投げることが出来る。

「他に判明しているものとしては、フォームを変えてリリース位置を変更し、本来のものとは軌道が違うストレートなど」

「あ~、フラットか」

「大介、他に何か知ってるなら言っておけ」

 今シーズン、大介だけに投げられた、特殊な軌道のストレート。

 高校時代、大介は興味本位に、そのあたりのことを一通り聞いている。

 またピッチャーの控えの控えのそのまた控えとして、ピッチングに関してはそこそこ学んだのだ。

 教師はジンと直史であった。


 直史には投げられない球はない。

 だがそれが通用するかどうかは別である。

 たとえばスクリューとシンカーの違いが、直史には分からない。

 ワンシームなども他の握りでそれと同じ理屈の球が投げられる。

 かなり運任せになるナックルは、そもそも自分でもどう変化するか分からないから、投げる選択に入らない。

 

「あとはサイドスローから投げるスライダーとか、アンダースローから投げるカーブとか、左で投げるスライダーとカーブとか」

「待て待て待て! 両利きなのか? いや、それはそれとして、プロレベルで通用するボールだけを言っていけ」

 金剛寺は明らかに脱線しそうな話を、ちゃんとしたミーティングに戻す。

 だが大介も、全てを説明するなら、いくらでも言及していない部分はあるのだ。

「対戦相手によっては三回しか三振取らなかったこともあるし、大学レベルでも一試合24三振とかあるし、相手によってスタイルさえ変えるから、データも分析次第でいくらでも変わるというか」

 それが直史である。


 変幻自在と言うよりは、もはや森羅万象。

 唯一つだけ確実な事実はある。

 球速はMAXでも155km/hを超えない。超えたとしてもコントロール出来ない。


 だが狙い球がない。

 強いて言えば左バッターには懐に飛び込むスライダーはあまり使ってこないが、追い込んだところで使ってきたりもする。

 ピッチングの幅が広いと言うよりは、もうほとんどないとさえいる。

 これに大学時代のチームメイト、西郷や村上の情報も合わせると、狙い球が絞れない。


 大介がオススメするのは一つだけである。

「高めに外したストレートなら打てるかもしれないっす」

 落ちるボールや沈むボールの後に、ホップ成分の高い伸びるストレートを使う。

 これはおおよそ高めに外れてしまうのだが、それでもこのボール球が、一番打ちやすいであろう。

 実際に三振も多いが、内野フライにまでは打てているし、外野にまで届いていることもある。


 ただ、これだけ球種がある中で、それだけを狙って打つことが、本当に出来るのか。

 高めのストレートを、ホームラン一発狙い。

 そんなもの、攻略法でもなんでもない。

「でもまあ、それしかない、か?」

「一応データでは、完投はしましたがヒット五本を打たれてる試合もありますが、これもマダックスなんですよね……」

 データマンも自分の分析が、どんどんと崩壊していくことには気が付いているようだ。


 決まったことはわずかに二つ

・ ボール球になるはずの高めのストレートは、それなりに伸びるが打てる

・ 左バッターへのスライダー投球率は少し少ない

 ここからどうにか攻略しろというのだから、無茶ではある。

「なんとか一点は取らないとな」

 金剛寺のため息に、げんなりとした顔を見せる、本日先発の山田であった。




 甲子園の中でも関係者しか入らない場所を、歩く大介。

 既に練習は終わり、あとは試合の開始を待つばかり。

 ホームの球場となったため、普段は行かない側のベンチにも、座ってみたりする。

 高校時代には、よく見えた光景が広がっている。


 試合まで二時間を切っていて、もう大量の観客が、球場の周辺には集まっているはずだ。

 直史が先発で、こちらは山田。

 山田ならば完封する可能性もあるので、直史も全力で投げてくるだろう。

 最初に入った一点が、決勝点になる可能性は高い。


 直史と対決して、勝てるのかどうか。

 大介は正直、自信などはない。

 だが戦いたいという欲望は、忠実に体中の血管を巡っている。


 自分が望んだことだ。

 直史に未練らしきものがあるのではと、直感的に推測はしていた。

 高校時代は仲間で、プロと大学に別れてからは、本気で対戦したのはあのWBCの壮行試合。

 ただしあれは、大介も直史も、シーズンの前であった。

 お互いが本気であったかどうか、完敗した大介はまだ不審がある。


 おそらく直史は、ここまで本気ではあっても、切り札を切ってはいない。

 最終的な目的のためには、体力やそれ以外を、温存するのが直史だ。

 ど真ん中に並以下の速度のストレートを投げるという奇襲。

 あれは一度しか通用しないだろうし、それを大介に使ってきた。


 今年の球速のMAXは152km/h。

 測定した中での最高は154km/hのはずで、ここにもまだ余裕がある。

 だが大介相手には、そういた程度の札なら切ってくるだろう。


 プロの世界での勝敗というのは、どういうものだろうか。

 個人での対決によるのか、それともチームでの対決によるのか。

 大介は直史に負けているし、直史相手に勝った試合がない。

 だがチーム同士の全体の対決なら、ライガースの方が勝ち越している。


 選手同士の成績にしても、今年はまだ一年目。

 六打席だけの勝負で、格が決まったとは言えない。

 大介が要求した直史の五年間。

 残りの四年間でどれだけの対決が実現するかは分からないが、とりあえず今年はプレイオフで対決する可能性は高い。

(チームとしては勝てないかもしれないけどな)

 スターズ相手に勝つならば、上杉には負けることを覚悟した上で、ライガース側も強力なピッチャーを投入していかなければいけない。

 そしてそこで投げたピッチャーが、ファイナルステージまでに完全に回復しているかどうか。

 むしろ勢いがついて、下克上する可能性もある。過去二年はそんな感じで勝てた。

 だが今年はレックスは、鬼札を一枚加えたのだ。


 ライガースは優勝できないかもしれない。

(だが、俺は負けない)

 そして大介は自分が打つことこそが、一番のチームへの貢献であると、ちゃんと理解していたのである。




 熱気が残っている。

 いや、またも熱気が湧き上がってきたのか。

 満員の甲子園の応援席では、ライガースの旗が振られている。

 ただ東京などから遠征してきた、レックスファンも1000人ぐらいはいるのではないだろうか。


 完全にレックスにとっては、アウェイの雰囲気。

 だが直史には影響があるのだろうか。

(ねーよな)

 むしろ甲子園に来る観客は、どちらも応援してしまうのではないか。

 高校野球ファンとライガースファンが完全につながっているわけではないが、直史の残してきた成績は別格だ。

 

 純粋に楽しむ試合をしたい。

 そう考える大介は、試合の前にマスコットを連れて、レックスのベンチにまでやってくる。

 何が始まるのか、と観客の一部がざわめいたが、直史はあっさりと出てきた。

「調子はどうだ?」

「いつも通りだな」

「完封ペースってことか」

「そう簡単にはいかないだろうな、とは思ってるよ」


 試合前だぞ、と審判も注意するべきなのに、放置されている。

 そして両監督も、事態を見守っている。

「いい試合にしようぜ」

 そう言って大介は右手を差し出した。

 その気になれば万力並の握力を発揮する大介に、直史は普通に手を差し出す。

「いい試合になるかどうかは知らないが、全力は尽くす」

「そうこなくっちゃな。で、どうよ? 甲子園は懐かしいか?」

「そうだな。もう……九年ぶりになるのか」

 甲子園は基本的には、投手有利の要素が強い。

 だが浜風によって、外野の守備にミスが出ることはある。

 熱気をはらんだ今日は、旗がほとんど揺れていない。

 暑い試合になりそうだ。


 お互いに握手をして、大介はベンチの方に戻っていく。

「何を話してたんだ?」

 金剛寺に問われて、別に隠すつもりはない大介である。

「まあ甲子園は久しぶりだろとか、調子はどうかとか」

「どう言ってたんだ?」

「いつも通りって言ってました」

「いつも通りか……」


 いつも通りにやって、いつも通りに勝つ。

 直史の言葉はそれぐらいの意味なのか、と金剛寺も察する。

 これまでは神宮での対戦だったので、まず初回に大介が打ち取られてきた。

 だがホームでの試合は、まずレックス側の攻撃からスタートする。

「難しいことを言うようだが、なんとか初回は三者凡退を狙うんだ」

 バッテリーコーチの島本の言葉に、頷くのは山田と孝司。

 レックスは元ライガースの西片が一番、そして今年の最多安打の緒方が二番にいて、ぎりぎりトリプルスリーの可能性を残している樋口が三番にいる。

 この三人を三者凡退というのは、ライガースを三者凡退にするのと、さほど難度は変わらないのではないか。

 だがそれぐらいのスタートを切らなければ、今年の直史には勝てないと思う。




 全ての準備は整った。

 ライガースの選手がグラウンドの守備位置に散り、山田は投球練習を行う。

 ショートの位置からみる感じでは、いい調子に思える。

 山田も静かに燃えているはずだ。

 自分がレックス打線を抑えれば、打線が一点を取ってくれることを信じて。


 大観衆のほとんどは、ライガースのファンである。

 それを背中に、どれだけのピッチングが行えるのか。

 先頭打者の西片が出てきたが、彼はバッターボックスに入る前に、球場のスタンドの四方に向かって、メットを取って頭を下げていく。

 この試合に限らず、甲子園で対戦する時、彼はいつも初打席にこれをする。

 ライガースファンというのは口が汚い者が多いが、西片に対してはFA流出選手ながら、かなり好意的である。

 こういったことであっさりと手のひら返しをするライガースファンは、ちょろいと言われても仕方がない。


 審判のプレイボールの声。

(俺のところに飛んでこいよ)

 大介はそう念じ、直史は冷たい視線でグラウンド内を見つめる。

 だが本当に見つめるのは、ライガースのベンチ内である。

(どうするかな)

 レックスの目的は日本一である。この試合はその中の過程の一つでしかない。

 だが直史にとっては、目的の中の一つだ。


 来年以降にどういう使われ方をするのかは分からないが、とりあえず完封は目指そう。

 そう考える直史の視線の先で、山田が初球を西片に投じていた。

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