第92話「盾」

 私は、リージュさんとダニーさんと並んで、部屋の奥の男と対峙しています。


 走り出した人達全員が部屋を出たので、残ったのは私達と男だけです。私達二人と一匹は部屋の中央に、男は部屋の奥です。何本かある柱の陰に他の誰かが潜んでいる気配はありません。


 飛び跳ねるように男の前から逃げ出したリージュさんは、私の左に並んで立ち、短剣を抜いて構えます。そして、薄暗い中で男を見つめます。怖くて、あの男から目を離す事が出来ません。右隣にはダニーさんが居ます。同じように男の様子を見ています。


「なんで来たの? さっきは…」


 まだ息が整わないリージュさんは、言葉が途切れ途切れです。疲れているのではなく、慌てているのでしょう。


「来たくないんじゃ、なかったの?」


 私は、その事に関して言いたくありません。


「ごめん」


 今は謝って欲しいわけじゃありません。


「外に、出られたら、ちゃんと謝る」


 そうです。その通りです。あの男から逃げるのが先決です。


 薄暗い地下室の床は平らですが、所々に大きな石の破片みたいなものが転がっています。元々は祭壇だったのだと思いますが、誰かが倒して壊したのでしょう。それと、盗掘に来た誰かが石で出来た宝箱のようなものを砕いてそのままにしたのでしょう。これに躓いて転んだら怪我をしそうです。


 その石の間に落ちている松明が五個あります。暫く燃えていそうなものと消えそうなものがあります。私達が逃げるまで点いていて欲しいです。こればっかりは祈る他にありません。


「リージュさん、盾と剣はどうしましたか?」


「ごめん。中に入る時に置いてきた」


「謝る事じゃないです。これを使ってください」






 わたしは、ルオラから円形の小さい盾を受け取った。


 ルオラの口調は真剣そのもので、その事だけで目の前の男が危険である事が伝わった。きっと彼女は勘で、この敵が居る事を予想していたんだ。だから、ここに来たくないと言った。帰りましょうと言った。わたしは、それに耳を貸さなかった。たった今、盾を渡された意味を考えないといけない。


 わたしが前に出て、あなたの盾になりなさいという事?


 違う。彼女は、そんな事を言わない。


 単純に、わたしの身を案じて盾を貸してくれたという事?


 少し違う。わたしの事を心配してくれたのは間違いない。でも正解じゃない。


 彼女は、わたしを守って戦うほど余裕が無いから、自身の事は自身で守れという事?


 これが正解だ。部屋の奥に居る男は、それほどに強いという事か。


 彼女は今だって、男から目を離さない。それに、槍の切っ先に付けていた鞘を外している。今から始めるのは真剣勝負だ。わたし達が無事にここを出るための戦いだ。






 私の心の中は、恐怖でいっぱいです。


 軍に居る時にだって、こんなに恐怖を感じる相手は居ませんでした。もちろん訓練の兵士達全員が、敵ではなく味方だった事もあるでしょう。厳しい教官も居ましたが、この男とは比べられません。


 逃げるなら今です。男が部屋の奥に居る間なら、どう考えたって私達が先に地下室を出られます。男は武器を持っているように見えません。邪魔される前に逃げ出せるでしょう。


「行きましょう」


 私は、男に背中を向けて走り出そうとします。


「駄目。ルオラ、伏せて」


 リージュさんだって同じ事を考えていたのだと思っていましたが、間違っていましたか?


 呼び止められて、踏み込んだ一歩目で立ち止まります。彼女の横顔を見ると、まだ男を見つめていて、走り出す気配はありません。その声色は、何かを諦めたような覇気の無い声でした。


 どういう事ですか? 男が何かを投げてくるような様子は無かったですよ…。

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