第27話 「休息」

「こんな所で寝るな」


 俺はリージュに対して言った。


 他に客の居ない冒険者組合の事務所の中、彼女は寝ぼけて聞いていない様子だ。


 この広い待合室に居るのは俺達二人だけで、不要な明かりは消してあり、受付の奥の事務室だけが明るい。誰も使っていない机と椅子が数脚並んでいて、奥からの光で床に影を伸ばしている。


 そのうちの端にあるひとつに彼女は座り、机にかぶさるようにうたた寝している。森から帰ったままの格好で、汚れた服を着替えていない。荷物を詰め込んで膨らんだ鞄もそのままといった様子で床に置いてある。


 この場所は、疲れている彼女が眠るには心地良い明るさだ。事務室の係員は、黙々と書類を処理していて声を出さない。紙をめくる小さな音が聞こえる程に静かで、安眠出来る環境だ。


 大きな声で言ったが、もちろん見合った返事は返ってこない。小さく返事をしたかもしれないが、何と言ったか分からない。質問を変えて、なんとか返事をさせよう。


「お前、この街に借りている部屋とかあるか?」


「無いよ」


 返事に力がこもっていない。彼女はまた眠りに落ちそうだ。盗賊探しの仕事は確かにきつかった。彼女にとっては初仕事だったわけだし、眠いのも分かるが、こんな机ではなく泊まれる場所へ移動した方がいい。考えるまでもない。


 ただ、ここで俺を待っていてくれたのかと思うと、今まで無かった感情に気付く。働き始めてからずっと一人だった。自分の中のむず痒いような感情が、しょうがないなと心の中で呟かせた。


「冒険者組合の無料宿泊所へ行こう。狭いが横になれる」


 無料の宿泊所は、旅をしながら仕事をこなす冒険者が使う施設だ。泊まる場所の心配をしなくていいように作られた建物で、簡素だが、冒険者であれば誰でも使う事が出来る。


 その部屋には家具など何も無く広いだけで、木張りの床に大人数が寝床を奪い合って雑魚寝する場所だが、外で寝るより遥かにいい。当然ここよりもいい。


「いっぱいだったよ」


「そうか」


 それでここに居たのか…。


 彼女を休ませてあげたい気持ちもあるが、こっちだって今日は横になって休みたい。国境線の警備の仕事で街に殆ど居ない俺は、この街に決まった部屋を借りて住んでいるわけではない。


 俺は泊まれる場所のあてが無かったが、彼女も無かったというわけだ。止むを得ない。先日まで使っていた安い有料の宿を探そうか。


「仕方無い。宿代は払ってやるから。行くぞ」


「うん。分かった」


 彼女は立ち上がり、頼り無い様子で荷物を背負う。猛烈な睡魔に襲われているのか、殆ど目を閉じているので手を引いて連れて行く。事務所を出て街中へ進む。


 力無く、手を引かれるままについてくる彼女を連れている俺は、一体どんな風に見えるのだろうか?


 たくさんの灯りが点った繁華街を抜け、大勢の人波を擦り抜けて歩く。整った身なりで仕事場に向かう高級酒場の店員、賑やかに仲間と話しながら店を探す一団、誰もが繁華街の中心へ向かって歩いて行く。


 その人波の中を、大きな荷物を背負い、汚れた服で流れに逆らって進んで行く。少なくとも俺達と同じような組合せは、周りに見当たらない。


 擦れ違う人は、俺達を指差したりしないが、その視線が何かを語る。綺麗に着飾った人達からは、汚れた服装を見られて馬鹿にされているだろう。俺の事が誘拐犯なんかには見えなくても、無理矢理リージュを連れ回している悪人に見えるかもしれない。


 宵の口に酒場から離れていく俺達は、何かから逃げて行くようで不審がられているかもしれない。囁く悪口が聞こえるようだった。


 疲れた俺達には、その悪口が聞こえたとしても気にならなかっただろう。何か得体の知れない世界の秘密を知ってしまった俺は、この人波に飲まれていても、世界に彼女と二人きりしか居ないように感じていた。


 自身の安全の事もそうだが、彼女を守って助け合わないといけない。


 幸い宿はすぐに見つかった。手続きの後すぐに、彼女を一室に放り込み、隣の部屋に入った。とにかく、ひと眠りしたい。


 木造の簡素な宿の一室、ベッドの他には小さな机と椅子だけの部屋。机の上のオイルランプひとつで部屋中を照らせるような狭い空間に、今は何も文句が無い。汚れの残った漆喰の白壁も、掃除の行き届かないガラスの窓も気にはしない。


 寝床で横になり、天井を見つめながら三日間の仕事の事を思い返す。


 クローが報酬を用意していたのは、建前上、止むを得ず準備しただけなのか?


 用意していて当然なのだが、裏があるようで素直に喜べない。仕事がうまく行く前提で、手切れ金のつもりだったかもしれない。一先ずは、金貨に手を付けず持っておこう。気が変わって、返せと言われても困る。


 俺があいつから感じた殺意は、俺を脅して遊んでいただけのものだったか、本当に殺す気だったのか?


 度を超えた冗談とも取れなくはないが、あの状況では本音としか思えない。しかし、この事は報酬を用意していた事実と辻褄が合わない。


 次の仕事をさせたいと言っていたから、俺達に攻撃してくる事は無いだろうが、あいつとは長く付き合いたくない。


 あいつの機嫌を取るのは御免だが、機嫌を損ねてしまうのもまずいと言える。付き合いのある間は、適度な距離を保つ事にしよう。それに、今回の仕事の事は誰かに言わない方がよさそうだ。


 俺とリージュに一緒に居ろと言ったのは、見張りを付けるなら一緒に居た方があいつにとって都合がいいからか?


 合理的な方法とは言える。リージュが俺から学ぶべき事はたくさんあるから、一緒に居るのは悪い事では無い。ただ、他に風の魔法使いはたくさん居るのだから、単純にリージュの成長を望む必要は無い。


 秘密を知ってしまったという意味では特別だが、他に彼女でなければならない理由は思いつかない…。まあいい。特別ではないのは俺も同じだ。あいつの都合は知った事では無いし、それほど気にしなくてもいいだろう。


 今回の事は、彼女には、きつい初仕事だっただろう。内容が獣狩りなら、もっと気が楽だったと思う。犯罪者を追うのは後味が悪い。怪我をせず帰ってこられたのはよかったが、捕まった盗賊がどうなったか気になっているだろう。


 あの宝石は何なのか? 世界の謎に触れた気がする。後は明日考えよう。もう起きていられない。






 わたしは、歩きながらだけれど、さっきまで殆ど寝ていた気がする。


 曖昧で不思議な時間の後、わたしは安宿の寝床で目が覚めた。


 冒険者組合を出てどこを歩いたか、ちゃんと覚えていない。それでも歩いている間、誰かにぶつかったりしていない。ジオが何かを言っていた気がするが覚えていない。鎧も着たままだった。


 窓の外は暗くて、夜明けまではまだ時間がある。鎧を脱いで寝床に戻り、天井を見つめながら三日間の仕事の事を思い返す。


 初仕事で迷惑を掛けてしまった。最初からどうしていればよかっただろうか?


 嘘をついていたのは、まずかっただろうか?


 微睡みの中で考える。


 でも、報酬もらえたんだよね…。


 一気に意識が冴える。ただただ嬉しい。横に置いた道具袋に手を入れて、もらった金貨のうちの一枚を取り出す。綺麗に光る金貨を見つめ、笑みが零れる。


 後は明日考えよう。もう少し眠りたい。

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