第28話 「兆候」
俺は、翌朝になって目を覚ました後、リージュの部屋の扉を叩く。
昨日は、何を言っても聞こえていない様子だった。一言伝えておきたい事があった。
「おはよう」
「おはよう、ございます」
扉を開けて顔を出した彼女は、なにやら嬉しそうだ。何故だろうか。少し疲れが取れたからだろうか…。
「終わった仕事の事は、誰にも言わないようにしよう。これだけは言っておかないといけないと思って…」
「あれは何だったの?」
「あれは…、分からない。少し調べてみようと思ってる」
「あいつは何者なの?」
「それも分からない」
「今日はどうするの?」
「少し人に会ってくる。何か教えてくれるかもしれない。お前はどうする?」
「わたしは、この街を少し散歩しようかと。殆ど着いたばかりだったから」
「そうか。昨日の今日だから少しくらい大丈夫だろう。行ってくるといい。気を付けてな」
「あと…」
「なんだ?」
「お風呂に入りたい」
「そうか。大通りに浴場がある」
「ありがと」
街に戻った翌日だから、クローが仕事を頼んでくるには早過ぎる。あの男だって一日くらい休みたいだろうし、少しくらい羽を伸ばしていたっていいだろう。
リージュと別れた後、すぐに宿を出た。行きたい所はひとつだった。
森での不思議な体験の事を相談出来るのは、俺には一人しか居ない。卒業後には会っていない先生は、俺の事を覚えているだろうか? あの頃のまま、世界の規則を研究し続けているのだろうか…。
学校に行けば会えるだろうが、なんと説明しようか? 不思議な宝石を見ました、動物を大きくする魔法を見ました、ありのままなら説明はこうなる。学生時代の俺なら、あの一連の出来事を上手く説明出来そうにない。
考えながら歩いているうちに学校に着く。
受付で取り次いでもらえるように頼んだが、先生は不在だったようだ。諦めて帰ってもよかったが、他に何か手掛かりをくれるような人物は居ないだろうか…。話を聞いてみたい。
「魔法学の先生か、歴史学の先生は見えませんか?」
受付で尋ねたら、誰かが会ってくれる事になった。その教師に指導を受けた事は無かったが、話をしてくれるそうだ。
「この世界がどうやって出来たのか、それが聞きたいのかね?」
本が山積みにされた資料室に机を置き、一人で陣取る教師が居る。その一言目は予想外だった。それが聞きたかった事じゃない。
この教師とは反りが合わなさそうだ。しかし、興味はある内容だ。少しこのまま聞いてみよう。
「最新の研究では、人族が生まれたのは百万年くらい前とされている。その前には、人は居なかったのだよ。鳥や牛みたいな動物は居ただろう。百万年よりもっと前の事はよく分からない。
ずっとずっと昔、百年間くらいずっと、毎日雨が続いた時があったとか、色んな場所が凍るほど寒い日が続いたとか、研究者は言いたい事を言う。他にも、見た事もないような巨大な生き物が居たとか、研究者は地面を掘り返しては痕跡を探し、色んな事を言うが嘘も含まれているだろう。
流れ星が空から落ちて来て地面に当たり、山が無くなるような大爆発があったなんて言っていた女が居たが、そんな事は想像がつかないな」
「流れ星ですか? 隕石ですよね?」
「たまに見つかってる。小さいのがね…。突然落ちてきて、家の屋根に穴が空いたって困っていた家族が居たが、大工が来てすぐに直してしまったよ。大げさだ。まあ過去の事は分からない事だらけだよ。君が冒険して知った事があれば何でも教えてくれたまえ」
「今日は有り難うございました」
話は暫く続いたが、こちらから変な事を聞いて怪しまれるのは困るので、早々に切り上げて学校から引き上げる事にした。
宝石が特別なもので強い力があるのなら、歴史の出来事に影響を与えるような宝石があってもおかしくない。百年間の雨、凍る程の寒い日、巨大な生物、隕石。話のうちひとつは昨日見たし、ひとつはクローの話に出てきた。
確信には至らないが、宝石が世界に何個もあってもおかしくないと思った。聞かなければ良かったとも思った。
学校を離れ、病院に立ち寄る。噛まれた腕に痛みは残っていなかったが、念のため処置をしてもらう。
その後、冒険者組合に向かう。たった今来いと言われても困るが、クローからの連絡が届いていないとは言い切れない。
組合に立ち寄って良かった事は、エルフの剣士と偶然会う事が出来た事。エルフの二人はリージュと一緒に街に戻った後、すぐに自分達の部屋に帰って休んだそうだ。
俺と同じように報酬が用意されていた事に驚いていた。剣士は言う。
「オレ達は、なるべく早くこの街を離れるようにする。時期を開けて戻ってくるかもしれないが、いつかは分からない」
「やはり心配だよな」
「そうだ。あいつは危ないぞ。お前はどうするんだ? ダークエルフもだが…」
「リージュとは一緒に居る。俺達も街を出るか考えるよ」
「早い方がいい。それと…」
「何か気になるか?」
「いや、有り難う。助かった。あいつ、リシアを助けてくれて」
「大丈夫だったんだな。よかった」
「じゃあ、オレは行くよ。またどこかで一緒になったらよろしく」
「こちらこそ、じゃあ」
彼らが無事でよかった。この忠告通りに街を出るかを考えないといけないが、俺とリージュは慎重にならないといけない。
宝石を直接見ていないエルフの二人と俺達は立場が違う。
俺達が急に街を離れた場合、クローは部下に追跡の指示を出すかもしれない。そいつがどんな奴で、どんな指示を受けているかは分からないし、相応の訓練を受けていて隠れて追って来るだろう。
たちの悪い奴が傍に居るかもしれないと考えただけで、俺達は旅の間に安心して眠れなくなる。
リージュに相談して決める事だが、今はまだこの街に残っている方がいいかもしれない。クローと一緒に居たくないが、頼まれ事の時だけ会うのなら、それでもいい。
クローからの伝言は届いていなかったので、宿に戻る事にした。もう日暮れ時だった。
宿に着くと、リージュが受付にいて係員と何か話し込んでいる。部屋に虫でも出て抗議しているのか、困った顔と怒った顔を交互に覗かせている。
彼女に聞いたら、部屋を他の人に押さえられて泊まれないという事らしい。
そんな事があってはおかしい。昨日のうちに今日も泊まれるように手配している。受付の男に詳しい事情を聞くと、手違いがあって俺達に違う部屋に移って欲しいと言う。困ったものだが、宿泊出来るのが変わらないならいいだろう。
その事とは別に、彼女の様子がおかしい。
足元がふらついている。目線もなんとなく定まっていないし、息も整っていない。風呂でのぼせたのか、昨日の疲れが取れていないせいなのか、俺が来るまでに長い間怒鳴っていたのかもしれない。
まあ、また部屋に押し込んでおこう。街を出るべきか急いで決めたいが、話は明日の朝にしようか。先に受付と交渉しないといけない。
「お客様、お荷物はまとまっておりますでしょうか? すぐに手配して運ばせますので」
「俺の方は大丈夫。連れの方も、運べるように荷物をまとめてもらうよ」
「申し訳ありません。新しいお部屋は三階の端になります」
「分かった。それで、俺の言いたい事分かると思うけど?」
「はい。お値引きさせて頂いたらよろしいですか? 私では決めかねますので、支配人に許可をもらって参ります」
「うん。まあ他の事もあるけど、まずは頼むよ」
「今のお部屋でお待ち下さい」
言われた通りに、俺も彼女も三階の部屋に移った。
リージュと別れて部屋に入る前、明日の朝に相談事がある事を伝えておく。具合がまだ悪そうで、話半分といった様子だったが、疲れが原因なら眠れば治るだろう。
明日に相談する事だが、心配事は幾つもある。隣の都市へ無事に移動出来たとしても、着いた先にも軍の基地が在る。
クローの指示で軍が動くとしたら、道中に追手が居るかどうかの心配に限らず、不安はずっと残る。この街に居る間に、ある程度はクローの思惑通りに動いてからじゃないと、自由になれないかもしれない。
何か準備しておける事があればいいが、気構えくらいしか出来そうにない。移動には当然ながら旅費もかかるし、向こうで新しい働き口も見つけないといけない。よく考えておかないと…。
夕食を買いに行く時、彼女の分も買ってきてやろうと思って部屋の扉を叩いたが、返事は無かった。もう寝てしまったのか。俺も早めに休もうか。
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