第29話 「重なる異常事態」
深夜、物音で目が覚める。聞こえるのは扉を叩く音。開けて、開けてと、か細い声も混じっている。何事だろうか?
扉を開けると、廊下の壁に片手をつき、苦しそうに息をするリージュが居る。
「どうした?」
「分からないの。助けて」
事情が全く飲み込めない。
森で動物使いと戦っていた時の事を思うと、ある程度、熱中症からは回復した様子だった。今何が起きているのか想像出来ない。最後のひと声を出すのが精一杯だったのか、黙り込んでしまった。
肩を貸し、俺の寝床に運んで寝かせた。
横になった後は、声を掛けても息をするのがやっとの状態で、返事は無い。目を開けてもくれない。額に手を当ててみるが、頭が極端に熱いようには感じない。しかし、やや発熱はあるようだ。
俺は医師ではないので、詳しい診察は出来ない。
様子からあれこれ推測は出来るが、難しい事は解らない。発熱があれば解熱剤を飲ませたり、怪我なら治療魔法で治したりは出来るが、病気の判断はした事が無い。
深夜である事を考えると症状を和らげて朝を待ち、病院に運ぶ事が最善だろう。
何か手掛かりは無いかと森での出来事を思い返すうち、エルフが毒を受けていた事を思い出す。
動物使いに操られていなくても、森には危険な毒虫が居る。よく見れば彼女は、脇腹をずっと手で押えている。左脇の背中側に噛まれた傷でもあるのか?
仰向けの彼女を動かし、左半身を上にして横向きに寝かせる。枕で体を支えてから、押さえている手をどかして服を少しめくり上げる。
そこには赤く腫れあがった傷や炎症を起こした皮膚があると思っていたが、実際は違っていて処置に困るものだった。
光る紋章。
脇腹の後ろ側で腰骨の少し上、大きさは拳くらい、文字と記号を重ねて描いたような複雑な印が刻まれていて、白っぽい光りを発している。光は一定で、明滅するといった様子は無い。手のひらを当てると熱を帯びている。
手で押さえたからといって、彼女が痛がる事は無い。文字のようなものを読み取る事は出来ない。必要な知識が無い。
まいった…。
正直な感想だった。怪我なら話が早かったし、風邪をこじらせたなら病院に連れて行けばいい。持っている薬だって効くだろう。
これは何の魔法なのか?
呪いなのか?
封印なのか分からない。原因も発動時期も目的も何も分からない。迷ったが、今は出来る事をやるしかない。
苦しんでいるが意識はある。服を戻して彼女の上体を起こすと、解熱剤と吐き気止め、鎮痛薬を飲ませる。無理をしても飲んで欲しい。出来る事が少ないからだ。
彼女を寝かせると、楽になれそうな体位を探す。仰向けより横向きの方が息をしやすそうだ。この部屋には水が無いので受付に行き、なるべく冷たい水をもらってきた。この水で布を濡らし、額を冷やすようにした。
魔法で出来そうな事は無い。悔しい事だった。
宝石の事もクローの事も忘れていた。何か出来そうな処置は無いかと、必死に彼女の様子を見ていた。
この紋章は何なのか?
まず、目的は何なのか?
彼女を苦しめるための呪いで、今日一人で出歩く間に誰かにかけられたのか?
或いは、過去にかかったものが今になって発動したのか?
逆に、彼女を助ける魔法が切れかかっていて、重い病気や何かが発症しているのか?
封印については、少し聞いた事がある。
本人の忘れたい記憶を封印する特殊な魔法使いが居ると聞いた。嫌な想い出でもあって、苦労して特殊な魔法使いを探し、封印してもらっているのか? しかし、記憶を頭部ではなく体に封印するのは感性を疑う。不自然だ。
何故、発動したのか?
初仕事の緊張感からか?
熱中症のせいか?
天気か?
季節か?
この街に何かあるのか?
森でやった俺の治療魔法が原因でない事を祈りたい。
額の布を水で濡らして絞って取り替える。静かな夜にこれを繰り返す。
容体の変わらない中、小さな音に気付く。
俺の居る部屋の両隣のうち、片方はリージュの泊まるこの階の端部屋で、今は誰も居ない。さっき施錠をしてきた。逆側の隣の部屋から小さな物音がしていた。
この深夜に考えにくい事だった。風魔法では壁越しに探知出来ない。彼女の具合が悪い事も問題だが、誰かに襲われる危険も考慮しないといけない。
隣室の扉の前に向かい、扉を小さく叩く。寝ているわけではないだろう。中から顔を出したのは、知らない男だった。
「深夜になんだ?」
男の口調は静かだ。年齢は四十代か五十代か? 確実に年上だろう。俺は小声で抗議する。
「こちらが音を立てていたなら済まない。だが、そっちの音が聞こえてくる。静かにして欲しい」
「そうか。すまないな。気を付けよう」
「それはそうと、なんでこの部屋に居るんだ?」
「この部屋は、わしの部屋だ」
「そんなはずはない。お前は何者だ?」
部屋を追い出された時、怪しいと思っていた。さっき、受付で頼んで安い料金を払い、リージュの部屋、俺の部屋、この隣室の三部屋分を押さえてある。
クローの使者が来ても隣室に泊まれないようにしたかった。まさか嘘をついて堂々と隣室に入ってくるとは思わなかったが…。果たして何の目的でここに居るのか。
「あいつに頼まれたのか?」
男は答えない。クローからの指示を伝えに来た様子では無い。
森では信頼関係を結びたいなんて事を言っていたが、もう見張りを付けていたのか?
あいつには、リージュと一緒に居ろと言われている。しかし、今日一日は別行動だった。細かい指示に従わなかった事に腹を立てて見張りを寄越す事にしたのだろうか?
完全に言われた通りにしないといけないのだろうか? あいつは、俺を簡単に信用しないのか…。
「ここだと他の客に迷惑だ。少しの間、中に入ってもいいか?」
男は防具も武器も持っていない。部屋の中に武器を隠していないか確認しておきたい。今後の対処に影響する。仲間が中に居るようなら、危険も大きくなる。
促されて室内に入る。
護身用の短剣以外には武器を持ち込んでいなかった。一般客を装っているのか? 本当に見張る事だけが目的なのか…。男が襲ってくる様子は無い。
その時、部屋の扉を外から叩く音がする。まずい、仲間が来たか?
「様子はどうだ?」
外からの声は子供のようだ。今、もめ事が増えるのは困る。俺の声が外に聞こえないように男に近寄り、小声で言う。
「隠れて俺を見張るのが、お前の仕事なんだろ? 俺に見つかってるのは、恥ずかしくて仲間に言えないんじゃないか? 異常無しと言ってもらおうか」
男は返事をせずに入り口に向かう。
「異常は無いぞ」
分かった、と子供の返事が聞こえた。俺の事は気付かれていないと思う。
クローは、深夜に子供まで使うのか…。さらに印象が悪くなったな。
見張りの男は、俺の言う事を聞く。仕事への熱意を感じない。扱いやすそうだし、このまま見張らせて、出来る限り嘘の報告をさせておこう。
廊下に、子供の姿はもう無かった。すぐに報告に戻ったようだ。リージュの様子を見に戻る。容体は変わらず、朝までまだ時間はある。
また寝れないな。なんとか治まってくれるといいが…。
うなされている彼女を見て、祈るしか無かった。
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