第56話 問題その一とその二

 俺達は、今から街を出発する。


 決めていた通りに、朝のうちに食品を買い、最後の準備を終わらせた。選んであった馬車に積み込み、街の外に続く門をくぐる。空は晴れていて、気分が良かった。


 馬車の操縦は俺が務める。


 街の外は畑が広がっていて、あちらこちらにいる農夫達は作業に夢中で俺達には目もくれない。真西に向かって真っ直ぐ伸びる街道は、馬車が擦れ違えるくらいの広さになっている。その地面は、よく踏み固められていて、馬車の揺れは少ない。国境警備の時に通る荒い道とは違って、随分快適に旅が出来そうだ。


 馬車を静かに進めながら考え事をする。


 まずは、持ってきた薬の瓶の数を思い返し、頭の中で整理する。これは当然、自分達で使ってもいいし、旅の途中で旅費が不足すれば売ってもいい。街道筋にあっても、都市から遠い村なら、薬は重宝するだろう。きちんと管理しないといけない。


 薬を調合する様な知識と技術があれば、着いた街で仕事になるかもしれないが、生憎、薬は使う方ばかりで作れない。出発した日に目的地に着いた後の事を考えているのは、少し気が早いだろうか?


 確かに、旅の途中の心配が先だろう。俺達の旅には、他の旅人より心配事が多い。


 暫く進んでから振り返って後ろを見たが、追い掛けて来るような馬車の姿は無い。

つまり、たった今はクローの追手も組織の追手も来ていない。


 追手の警戒。これが問題のその一だ。


 俺達が居なくなった事に気付いて追手を出すとしても、準備に一時間以上かかるだろう。もちろん、見える所で追い掛けてくる様な尾行はしないだろう。ある程度距離をとり、分からないように追い掛けてくるのが当然だ。


 それでも、暫くの間は緊張を緩めて旅が出来るだろう。夜だって、数日は寝ずの見張り番は立てずに眠ってよさそうだ。


 少し進んだところで、道の近くに森が見えてきた。ここに立ち寄ろう。


 道を外れて木陰に馬車を止め、馬は休ませておこうか。荷物の見張りに一人残して、二人で木の実でも探してこよう。問題のその二は、食品の確保と旅費の節約だ。






 わたしは、出発してからずっと馬車の荷台で横になっていた。

 

 いざ旅が始まるとなると、一緒に荷台に乗るこの女の人と、どう接したらいいか分からなくなった。少しくらいは話をしようと思っていたけれど、ジオを間に入れずに並ぶとなると、ただただ困ってしまった。


 会った時からずっと、お互いが冷たい態度を取っていた。口喧嘩もした。あの依頼の時だけの付き合いだと思っていた。


 でも、訓練場では、眠っている間に助けてもらった。それなら、わたしがしないといけない事はひとつだった。それが簡単に出来ない自分の性格がもどかしい。もっと気持ちを整理しないといけない。時間が欲しい。


 この荷台は、椅子なんて付いていなくて、平らな床板の四方にあおりが付いただけの単純な箱型のものだった。荷物を積む時、荷台の右半分に陣取ろうと決めた。


 荷台の左右に一人ずつが乗るようにするため、たくさんの荷物を中央に山積みにして、わざと真ん中に壁を作った。あの女の人が馬車の左に座るようにさせて、荷物の壁に隠れていようと思った。


 さらに、彼女に背を向けるように右向きに横になって寝ていれば、目が合う事も無いし、話さないでいいと思っていた。


 頭だけ少し上げれば、馬車の前方と右側の様子が見える。当然、後方も見えるので、追手が来れば様子も窺える。夜には見張りを立てると思っていたから、出発してからずっと目を閉じて横になっていた。少しの間、眠っていた。


 馬車が道を外れて急に揺れ始め、乗り心地が悪くなった後、木陰で止まった。ジオが呼んでいる。


「二人とも、起きてるか? 森で水を少々と薪、あと食べられる物を探してこよう」


 わたしが眠い目を擦りながら体を起こすと、隣であの人も同じようにしている。先に返事をしよう。


「いいよ。行くよ」


「分かった。ルオラは荷物の番だな。ゆっくりしててくれ」


 あの人は声を出さずに頷いていた。わたしは荷台を降りてジオの後ろに続き、森に入っていった。


 旅が始まってすぐだけれど、もう怒られるのか…。

 

 優しいジオが怒るのは想像出来なかったけれど、荷台で一言も話さないわたしとあの人を見て、思う事はあるに違いない。仲良くしてくれよとか、どこが嫌いなんだとか、小言を言われるのだと思う。

 

 今のところ、この旅は仲良し三人組の旅ではない。かといって組合の依頼をこなすみたいな仕事の旅路でもない。目的は、危険な相手であるクローから身を隠し、組織の追手からも逃げる事。ほんの少しだけ、宝石の秘密を探る事。

 

 ジオはいつもの調子で振る舞っていて、わたしとあの人に平等に接している。なんとなく面倒見が良くて、誰とも喧嘩をしないで済む性格は、少し羨ましい。


 あの女の人がジオを好意的な目で見ていて、わたしの事を邪魔だと思っているのは分かっていた。本当なら邪魔なんてしない。


 ただ、わたしには今、ジオの隣以外に居場所が無いから悩んでいる。


 街には誰も知っている人が居ない。冒険者としては、仕事を何とか一回こなしただけの素人で、一人でやっていける自信がまだ無い。他の誰にも話せない不思議な宝石の事を知ってしまった。危険な連中に追われている。欲しくも無かった魔法の紋章が刻まれていて、倒れてしまった。


 この状況で独りにはなりたくなかった。


 クローがジオと一緒に居ろと言っていたけれど、その言葉とは関係無しにそうしている。それと関係あるのか知らないけれど、ジオは一緒に居て助けてくれている。力の無いわたしは、彼に甘える他に無い。誰かにジオを取られるわけにはいかない。


 森の中を俯き加減でずっと歩いていた。少し顔を上げると、そのジオが前を歩いている。大事な事に気付く。


 彼は、全部ではないけれど鎧を着ていた。危険の無さそうな森だけれど、警戒を怠っていない。


 わたしは荷台で寝ていたままの薄着で、鎧も剣も置いて来てしまった。冒険者として失格かもしれない。取りに戻った方がいいかと思って、立ち止まってしまう。


「大丈夫だろ」


 振り向かないまま、彼が言った。さらに言葉が続く。


「この森は、以前から人が立ち入っていて管理されている。木の枝に印があって、実がなる木や水の場所へ辿り着く目印がしてある。すぐに食べ物を見つけれそうだし、危険な獣は居ないと思う。薪は帰りに拾うから、地面を見て目星を付けておいてくれよ」


 わたしは、自身が情けない存在だと思った。唇が震えていて、声を出したら声も震えていそうだった。


「うん。分かった」


 声を震わせないで答えるのは、短い二言くらいが限度だった。今は彼が振り向かないで歩いて行く事を願うばかりだった。わたしの方が旅慣れしているという自信は、初日で崩れ去った。


 木の実を少しと水、薪も少々を持ち帰って、馬車の旅を再開した。その後、また森を見つけて立ち寄った。今度はわたしが荷物の見張りだった。


 わたしの時には何も聞かなかったけれど、あの人には何か質問をしたのだろうか? 気になって仕方が無い。心臓が締め付けられるような思いだった。戻った二人に変わった様子は無かった。わたしは、もうどうしたらいいか分からない。


 この日は夕方まで馬車を進め、暗くなる前に道端の広場で止まり、そこで野宿をする事になった。


 わたしと女の人は荷台で眠り、ジオは焚火の傍の地面で寝ていた。夜の見張りは、今夜は要らなかった。ジオは結局怒らなかったし、今日は一日中、あの人と一言も話さなかった。他の旅人にも出会わなかった。

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