第57話 問題その三

 私達の旅は二日目の朝を迎えました。


 夏の終わりとはいえ、夜明け前は少し肌寒いです。毛布をかぶって寝たのは正解でした。


 荷台の上で体を起こして東の空を見ていると、朝焼けが広がってきました。素敵な風景なので少しの間、見とれています。この風景を記録して誰かに見せる方法は無いでしょうか?


 絵は上手くないのですが、芸術家の真似をしてみます。両手の親指と人差し指で四角い枠を作り、その枠越しに景色を見つめます。暫くの間、何も考えられませんでした。


 昨日の昼、森の中でジオさんに怒られるかと思いましたが、何も言われませんでした。


 私とダークエルフさんとの関係が良くない事は気付いていると思います。


 組織の追手から逃げていた夜は、なんとなくジオさんを挟んで言葉を交わしていましたが、直接話すとなると勇気が要ります。


 ジオさんの話を聞いた限りでは、彼女は他に頼る人が居ないのでしょう。ジオさんは優しい人なので頼りたい気持ちは分かりますが、あまり仲良くされては困ります。


 簡単には割り切れません。かと言って、敵に追われている今は、仲違いしている場合ではありません。どうしたらいいでしょうか。


 段々陽が昇って来て、馬車の周りも明るくなってきました。周囲を見回すと、寝る前には無かったものに気が付きます。


 一羽の兎。


 焚火を挟んで、馬車の反対側の位置に動かない兎が寝ています。近づいてみても逃げません。死んでいるのでしょうか?


 何故こんなところで死んでしまったのでしょうか? 道行く急ぎの馬車に撥ねられたのでしょうか? でも、昨夜にそんな気配は感じませんでした。


 追ってきた誰かが毒を仕込んで、私達が食べるようにここに置いたのかもしれません。


 お肉は貴重な食糧ですが、食べない方がいいかもしれません。他の生き物にあげてみて、食べたら毒が無い事が分かりますね。人より彼らは敏感ですから。きっと食べる前に気付くと思います。


 手袋をして兎を持ち上げると、ジオさんが起きて私を見ました。


「ん、おはよう。なんだそれ?」


「おはようございます。あの、さっき、その…」


「朝から狩ってきてくれたのか。流石だな。助かるよ。焚火で燻して干し肉にしよう。出来るか?」


「あの、違います。でも、はい、出来ます」


「じゃあ、よろしく。馬は元気そうかな?」


 ジオさんは立ち上がると、馬の傍に寄って行って様子を見ています。夜間に危険を感じれば馬が騒ぎそうですが、そんな様子も無かったです。なんて説明したらいいでしょうか。


 困りました。でも、何かの偶然かもしれませんし、誰にも危害がありませんし、今は気にしなくていいでしょうか。






 旅は二日目の日中、俺は馬車の操縦を続けている。

 

 昨日より少し慣れてきたので、少しだけ馬車の速度を上げる。


 馬が疲れない事と荷台が揺れない事、早く目的地に着く事、これらを全て成立させるのは難しい。本職の御者の技術をもっと観察しておけば良かったと今になって思う。国境線の警備の仕事の最中に、その機会はいくらでも在った。


 少しだけ後悔しながら、旅の問題のその三について考える。


 昨日も、今日の出発の準備の間も今も、二人は話をしない。理由は分からないが、性格の不一致によるものか?


 追われている立場上、危機が迫った時に協力出来ないのは困る。訓練場では、二人とマイカが居なかったら大変だっただろう。力を合わせれば、今の困難も乗り越えられる。なんとか仲良くして欲しいが、どう助言していいか分からない。


 リージュと会ったのは数日前で、性格はまだよく分からない。


 動物使いを追い掛けていた時の様子からは、前向きな印象で、不要に考え込む性格には見えない。冒険者というより自由な旅人の振舞いをしている。魔法の使い方もこれから上手くなるだろうし、将来有望な人材だ。


 ルオラと会ったのは一年位前だが、その時から随分時間が空いているから、一緒に居た時間は僅かだ。当然性格もよく分からない。真面目で模範的な軍人の印象だった。魔法は使えないそうだが、剣術は優れていると噂だった。


 自由人と軍人。魔法使いと剣士。ダークエルフと人。反りが合わないものなのか…。


 荷台を振り返って見ると、中央に荷物で出来た壁。その左右で二人が寝息を立てている。二人ともが背中合わせになるように寝ていて、仲が良くなりそうな雰囲気は無い。


「どうしたらいいんだ…」


 思わず声が漏れる。聞かれてしまったかと焦ったが、二人が起きていなくて良かった。






 わたし達の二日目の移動は順調に終わり、夜になった。


 今日の移動は本当に順調で、予定より少し早く宿場町に着く事が出来た。


 今夜は町に泊まる事が出来る。町と言っても、宿とその他の商店が数軒あるだけで、とても狭かった。宿自体は馬車道の傍にあって、少し離れた所に民家が幾つも建っていた。ここに住む農家の人達が副業として旅館業をしているのに違いない。


 周囲の家の軒先には収穫した農作物が並んでいて、冒険者の武器を治してくれそうな鍛冶屋にも農機具がたくさん置いてあった。ここの主役は、旅人ではなく農民達だ。


 わたし達は、ここで食品の補充や快適な寝床が確保出来る。お風呂がある事と洗濯が出来る事も有り難い。それだけで十分だった。


 荷物を盗まれないように誰かが馬車を見張っていないといけないから、順番にお風呂と洗濯に行く。


 本当は毎日お風呂に入りたいし、洗濯もしたいけれど、宿場に着けるのは二日ごとで、それにお金もかかる。宿に泊まろうと言ったけれど、ジオが荷物を見張って外で寝ると言うので、わたしとあの人も外で寝る事にした。


 この町に立ち寄っている旅人は、殆どがわたし達と逆の方向から来ているようだった。この旅人達は、後二日で大きな街に着くのが分かっていて、目的地が近い事で希望に溢れた表情をしていた。


 酒場は小さいけれど賑やかで、わたしは立ち寄らなかった。お風呂も夕食も済ませた後は静かな所に一人で居たい気分で、暗くなった馬車道の傍で座り込んでいた。


 旅は順調だけれど、あの人とは、まだ話せていない。ジオの独り言も聞いてしまった。この事は、全部わたしが悪い。森で口喧嘩をした時の事を思い出すと、あんな事をして恥ずかしいと思うばかりで彼女を恨むような気持ちにはならない。


 わたしは、あの人に謝らないといけない。些細な事で悪口を言ってごめんなさい、そう言わないといけない。


 紋章の魔法で動けなくなっていた間の事はジオが説明してくれたけれど、自分の目で見ていないから本当の事は分からない。

 

 背負って逃げてくれたのはジオだと言う。でも、森から帰る時、馬車で倒れ込むわたしを支えてくれた手はジオじゃなかった。はっきりとは覚えていないけれど…。


 わたしは、あの人に感謝しないといけない。森で意識が無い間にずっと守ってくれて有り難う、そう言わないといけない。


 気持ちの整理がつくほど、わたしはわたしが嫌になってきた。わたしは、あの人が嫌いじゃない。


 大きな溜め息をついてから馬車に戻り、何も言わずに眠りにつく。朝になって起きたら、わたしではなく、世界の方が何か変わっていたらいいのにと思った。

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