第39話 「嘘と気休め」

 俺達に声を掛けた兵士達は、追いかけて来なかった。


 忠実な兵士は、待機中に勝手に列を離れる事が出来ない。


 指示を出すべき指揮官は、作戦会議にでも行って、近くに居なかったのかもしれない。自分達の任務は訓練に参加する事で、訓練兵士同士で力一杯戦う事だと考えている奴も居るだろう。


 とにかく助かった。報告なんかより、訓練で暴れて欲しい。俺達以外に対して…。

 

 今、覆面をした追手の連中は、まずいと感じているだろう。顔を出して走っている俺達は、間違って立ち入った一般市民と嘘をつけば、すぐには攻撃を受けないと考えていい。


 だが、覆面をした怪しい連中は、反対側陣地から突入してきた訓練兵に見えてしまうかもしれない。今すぐに鐘を鳴らせば、俺達の代わりに本物の訓練兵が覆面の連中を倒してくれる。

 

 木の台座に乗せられた大きな鐘を見つけ、俺の後ろを走っていたルオラが速度を上げて追い抜いて行く。台座の傍に管理者のような人物は居ない。ルオラが台座に飛び乗り、横に備えてあった棒で鐘を叩く。


 始まりの鐘は鳴った。訓練兵士にとっても、覆面の連中にとっても地獄が始まる。

 

 陣地の前の方の兵士達は、俺達を見ていて不審に思っていただろうが、開始の合図が鳴ってしまえば関係無い。雄叫びを上げて反対の陣地に突進していく。前が走り出せば、その後ろもついて走っていく。

 

 その中、覆面の連中の傍に居た兵士数十人だけは走り出さなかった。連中を囲み、全滅させてから前に追いつくように誰かが指示を出したようだ。怒鳴り声が聞こえる。


「違うんだ。訓練じゃないんだ」


 これは、覆面の連中のうちの誰かの声だ。


「うるさいぞ」


 こっちは訓練の兵士の方だろう。


「待って、待ってくれ」


「泣き言を言うな」


「話を聞いてくれ」


 覆面の十数人は包囲され、一か所に固まって叫び、喚く。円を作って囲んでいる兵士達の後ろから声がする。


「こんな訓練は聞いていないが、攻撃開始」


 落ち着いた声で、聞き取りやすい指示だった。


 覆面の連中は、必死の抵抗を始める。彼らの動きは兵士程では無いが、それなりの連携が取れている。囲まれているが、個々の死角を補いながら助け合っている。


 覆面の男が一人倒され、兵士も一人倒れる。すぐに全滅する様子は無いが、もう俺達を追って来られないだろう。生憎だが、囲んでいる兵士に対し、人数が少な過ぎる。


 鐘の傍で様子を見ていた俺達にも声が掛かる。


「何をしている? 開始はまだだ。お前達は何だ。誰の指示で来たんだ?」


 俺達を怪しんで近づいて来たのは一人の指揮官で、部下の兵士は居ない。囲まれる前に逃げないといけない。


「将軍の指示だ。これも訓練だ。前線へ急げ。罰を受けたいか?」


 俺の嘘は、本物のように聞こえただろうか? 実践的な訓練であれば、台本通りにしない事も訓練の一部と思うだろう。指揮官は、混乱しながら俺の顔を見る。

 

 ルオラが台座から飛び降りて、横のかがり火を蹴り倒す。燃える木々が地面に落ちて散らばり、指揮官の目を引く。俺は風の魔法で火の粉を舞い上がらせ、叫ぶ。


「火事だ、火事だ」


 指揮官は混乱し、左右を何度も見回していた。その隙に俺達は、明かりの少ない暗闇の方に逃げる。火事にはならないだろうが、勘違いして消火隊が来る事で混乱が増すだろう。指揮官は、消火隊に事情を説明しなければならない。


 暗闇を走りながらルオラが言う。


「ちょっと悪戯したみたいで楽しいですね」


 微笑む彼女は小さい子供の悪戯みたいに言うが、実際はとんでもない事をしている。


 確かに訓練兵は、いつ訓練が始まっても怪我をする危険は同じだし、覆面の連中は攻撃されても文句は言えない。終わってから叱られるのは一部の指揮官だけかもしれないが、俺達は謝って済ましてはもらえない。


「俺、兵士に顔をしっかり見られたと思うぞ」


 不安気に言うが、ルオラは気にしていない。


「あっちは兜を被っていましたから、意外と見えにくくて、ちゃんと細かく見えてないと思いますよ」


 本当にそうなら有り難い。今は気休めでも言って欲しい。


 国境警備の仕事でも何でも、軍との付き合いはこれからも続く予定だ。関係が壊れると困る。ルオラだって軍を辞めたといっても、ここに知り合いが居る可能性がある。寧ろ、俺の場合より困るだろう。本人が気にしていないなら、一先ずいいのだが…。

 

 訓練場の奥は森になっていて、ここには訓練兵が居なさそうだった。草原だって暗いが、森はもっと暗い。殆ど見えない森の中で木々の隙間を移動し、月明りが差し込んで少しでも明るい場所、そのうえ平らな場所を探す。

 

 見つけた場所にリージュを下ろして寝かせる。横になったリージュの左右にルオラと二人でしゃがみ込み、容体を見る。落ち着いているようだが、意識は戻っていない。


「こいつ、あんなに揺らして起きないなんて…」


 悪態をつくが、リージュには聞こえていないだろう。


「紋章はどうでしょうか?」


 ルオラが指を差して言った。


「見てみてくれ」


 俺が横を向くと、ルオラが確認する。


「変わらず、光っています」


「そうか」


「少し熱を帯びているのも変わりません」


 暫くの間、ここに隠れていよう。朝まで見つからないなら有り難い。


「なあ、ここに隠れているとして、見つからないと思うか?」


「始まった訓練は一時間くらい続くと思います。その間には捜索隊は出ないはずです。一段落して、将軍に報告が入り、命令が出て、それから捜索開始になると思います」


「人数は、どれくらいで探しに来るだろうか?」


「黄色い印の軍の陣地の方で、ざっと五百人は兵士が居ました。訓練で大なり小なり負傷した兵士は捜索に参加しないと思いますので、減って半分になるとします。反対の色の軍も同じとして、五百人くらいで探しに来ると思います」


「一時間後に五百人か。すぐにここまで来そうだな」


「あの、私には分からないのですが、覆面の方達は、あれで全員だと思いますか?」


「結果を見ていないけど、あそこに居た奴らは全滅だろう。でも、しつこい奴が残ってる。まだ来るよ」


「あの子ですか?」


「あの子を見て、そんな風に思わなかったかな? それはいいけど、ここに居るのが見つかるまで、きっとまだ時間がある。俺がリージュを見てるから、少し寝てていいよ」


「大丈夫です。私も起きています」


 隠れている都合上、ずっと何かを話しているわけにはいかない。ルオラとの静かな一時間が過ぎて行く。この後どう戦うか、どうするかを考えておかないといけない。ルオラにも何か策を考えておいて欲しい。

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