第91話「胸騒ぎの男」

 私の嫌な予感は当たりました。


 暗い地下室の中、かび臭い地下室の中、なんとなく息苦しい気持ちになる地下室の中、そいつの存在は私の危機感を最大限に煽ります。ずっと静かだった男は、空気の色が黒いんじゃないかと勘違いしそうな程の重圧を放ちます。それまで内に秘めていた殺気が解放されて、重苦しい空気が部屋中を漂います。リージュさんの背後に回った男は危険です。


 助けないと、守らないと、私が行かないといけません。


「リージュさん、逃げて下さい」


 叫びながら部屋の中に飛び込みます。他の人達も居ますが、それどころではありません。


 部屋の中央あたりに来た時、違和感に気付きます。部屋を調べていた人達は、顔を上げて私を見つめますが近寄って来ません。ダニーさんを見て怯えた声を出しています。私から距離を取り、一歩また一歩と離れていきます。


「お前ら、もういいぞ」


 男がそう叫ぶと、部屋に居た他の人達が走り出します。私はその場で立ち止まって身構えましたが、その必要はありませんでした。彼らは武器を持っていますが、私を襲ってくる様子はありません。


 私の横を通り過ぎて、部屋の出口を目指しています。我先にと出口に走る様子は不自然です。部屋を見回しますが、彼ら全員が同じように走って行きます。私の横にはダニーさんが居て、こちらも十分に怖いと思うのですが、彼らは気にも留めずに傍を通り過ぎていきます。


「お前らも儂が怖かったんだな。まあ、当たってるか」


 男は、リージュさんの背後に立ったままで苦笑いしています。


「リージュさん、こっちへ来てください」






 俺は、木々に隠れながら正面の入り口に向かう。


 その女が居るのは探知出来ていた。入り口の傍、俺の方には背を向けて立っている。何を待っているのか分からないが、辺りを見回すような動きは無い。寄り添った狼の背を撫で、俺の方は見ない。落ち着いた様子は、相応の実力を持っていると思わせる。


「あの四人をやったのは、お前か?」


 女は突然に大きな声を出した。静かな森によく通る聞きやすい声だった。周辺には俺しか居ない。俺に言っているのか?


「聞こえているだろう?」


 あの女は魔法使いか? 探知魔法で俺の事に気付いたか? 俺の方を見ないのは、俺を警戒する必要さえ無いという自信の表れか? 何だっていいが、答えてやる必要は無い。


 女は振り返ると、俺の隠れている方に片手を伸ばす。指を開いたまま、手の平を俺の方に向ける。女が魔法で起こした風は、俺の周りの枝や草を大きく揺らす。女から見て、俺の体の所々が見えただろう。言葉で表す事をせず、実行して示すやり方は自信の表れ以外に無い。


 見つかっていたのなら、今さら姿を見られても関係無い。俺が驚く必要は無い。女が風の魔法を使う事が分かって、あれこれと調べる手間が省けたと言っていい。立ち上がってよく顔を見てやろう。


「やったのは、お前か?」


 投げ掛けてきた質問は、さっきと同じだった。答えてやる事にしよう。


「何の話だ?」


 こいつが連れている狼は、吠える事も唸る事もしない。こいつ自身も怒っているような口調では無い。質問の意味は分かるが、その奥の意図はまだ読み取れない。やったのが俺なら、どうすると言うんだ?


「とぼけなくていいんだ。森を一回りして他に誰も居ない事は調べた。お前か、お前の仲間しか居ないんだ」


 これはどういう事か? 俺達が居る事に気付いてから、他に誰も居ない事を調べに行ったのか? それとも、森中探し回って、最後に俺を見つけたのか? 答えがどちらかで俺の対応は変わる。


「何の事か知らない。俺は何もしていない」


 俺は答えるが名乗らない。こいつも名乗らない。お互いが歩み寄る気は一切無い。この会話は腹の探り合いだ。


「お前は盗賊か?」


「違う」


「国王軍の手の者か?」


「違う」


「我々の邪魔はしないでもらおう」


 こいつは、俺を敵だと認識している。こいつの仲間が誰かに攻撃されていた。森の中に俺しか居ないと判断している。こいつの推理では、犯人は俺にしかならない。


 何か引っ掛かる。この森で何が起きているのか? この問答でこいつは何を得ようとしているのか?


「俺が何の邪魔をしているんだ? お前らは何者だ。遺跡の研究でもしているのか? お前らこそ盗掘に来たんじゃないのか?」


 宝石を探しているのかとは聞けない。ずれた質問で反応を窺うしかない。


 こいつは少し黙った後、さっきより柔らかい口調で答える。


「そうだな。我々は学者の集団で、色々な研究をしている」


 色々な研究には宝石の事が含まれていそうだ。俺も少し黙っていてから答える。


「俺は、ただの冒険者だ」


「そうか。遺跡には今入らない方がいい。我々は一度ここを離れる。君も立ち去るといい」


「分かったよ」


 あの四人とは誰なのか? それを攻撃したのは誰なのか? 邪魔されたくない研究とは何なのか? 遺跡に入らない方がいい理由は何なのか? 我々とは自身と狼の事を指すのか? 立ち去る理由も何も分からない。こいつから一度離れて内容を整理しないといけない。よく考えたい。


 その時だった。遺跡の中から大勢の足音が聞こえ、静かな森は急に騒々しくなった。さっきまでは、俺と女の落ち着いた声と鳥の囀りしか聞こえていなかった。


 状況は大きく変わった。中から走り出て来た大勢は、入り口の前に居た女の周辺に立ち止まって人だかりを作った。そのままそこを動こうとしない。


 膝に手をついて下を向き、疲れた様子で荒い息をしている者、隣あった者同士で肩を貸し合っている者、持っていた武器を地面に落としてしまって体を休めるのに精いっぱいの者、誰もが何かから逃げて来た様子だ。それぞれが誰にともなく口々に話している。


「危ない。奴から離れられて良かった」


「こんなのはもうこりごりだ」


「鎧が重い。もう少し体を鍛えないといけない…」


 全員で二十人以上だ。同時に話しているから、一部しか聞き取れない。


 こいつらは冒険者じゃないな。いくらなんでも体力が無さ過ぎる。


 こいつらは何から逃げて来たのか? リージュが中に居るのだろうか? 中で何があったのか? リージュと戦いになり、全員が逃げ出して来たのだろうか? 何かがおかしい。


「どうなった? 上手くいっているかな?」


 疲れ果てた連中に女が聞いた。横に居た荒い呼吸の一人が大きく息を吸い込む。


「ガーネットさん。狙い…、通りです。一人…、釣れました」


 息をする合間に、文章を短く区切って言葉を返していた。俺の事を気にする様子は無い。余裕が無いのだろう。


「ご苦労だった。倒れている彼らを運んで、全員、一度森から出よう」


 女は茂みを指差し、そこに仲間が居る事を告げた。


「分かり…、ました」


 連中はここから離れられるのが嬉しい様子で、四人を担ぎ上げるとすぐに離れていった。


 四人を倒したのはルオラかもしれない。リージュがやるとしたら、大怪我をさせずに気絶させるのは難しいだろう。ルオラがやったと思う方が自然だ。遺跡に近づきたくないと言っていたが、意を決してここに来たのかもしれない。


 最後に残った女は、俺の方を見た後、振り返って歩き出した。狼は従順で、寄り添ってついて行く。


 離れていく背を見送る俺には、少し焦りがある。探知魔法を使いたい。しかし、俺が魔法を使う事を知られたくない。女が遠くへ離れるのを待つしかない。リージュとルオラは遺跡の中に居るのか?


 待つ間にさっき得た情報を振り返る。


 あの女の名前は、ガーネットというのか。奴らが邪魔されたくないのは、きっと宝石探しに違いない。遺跡の中には何があるのか? ここを去る理由は分からない。あの女の言葉に、嘘はどれくらい含まれていたのか?


 思い返したうちで引っ掛かった言葉は、俺に対して遺跡に入るなと言った事だった。例えば、遺跡が崩れる危険があるとして純粋に心配して言った事なのか? それとも、俺の興味を引いて、中に何があるか確かめに行かせるためなのか?


 もう胸騒ぎしかしない。遺跡の外に二人が居ないのなら、俺も中に行くしかない。

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