第95話「迫る歯牙」
私は、何故、声を出したのでしょうか。
目の前の小さい影には心当たりがありました。あの日にジオさんと一緒に見た敵です。
かばう必要なんて無いはずですが、致命傷になりそうな予感がして、思わず体も動きます。一歩目を踏み込み、小さい敵に向かって手を伸ばします。突然、男の気が変わって、私が狙われるという危険は当然あり得ます。
その時に現れたのは違う影でした。勢いよく入り口から飛び込んできた影は、私より先に手を伸ばします。さらに素早い仲間も行動を起こしていました。離れた位置に居たダニーさんは、男の注意が逸れた今、鋭い牙で攻撃を仕掛けます。
全ては一瞬です。
ダニーさんの牙が迫った事に気付いた男は、避ける事を諦め、左手を犠牲にして身を守りました。片手を深く噛まれた男は、顔を歪めます。強力な噛みつき攻撃には、手を守る防具が役に立ちません。骨にひびくらいは入ったでしょうか…。
それでも男は怯みません。左手を噛まれても倒れません。小さい敵に目掛けて振り下ろしかけていた右手を止め、ダニーさんに反撃しようとします。
この事で、その子は命を守られた事になります。止まった拳は、頭に軽く当たっただけで済みました。それでも気を失うには十分な痛みだったのでしょう。力無く倒れていきます。
部屋に飛び込んできたのはジオさんでした。その子を守ろうと伸ばした手は結果的に届きませんでしたが、倒れ込む前に抱えこみ、一緒に地面に伏せます。
私の伸ばした手は行き先を見失いましたが、判断を変えて次の行動に移ります。ダニーさんに向かう拳を止めましょう。万が一、刃物でも持っていたら致命傷になりかねません。どうか間に合って下さい。
私が男の拳を止めるとしたら、腕に抱きつくようにするくらいしかありません。歩を進めて間合いを詰めます。その時、男はダニーさんの方から目線を移して、私を見て笑ったんです。その表情から読み取れたのは、この男がまだ実力を隠しているという事でした。
わたしには、ルオラの真似なんて到底出来ない。
さっき短剣を振っていた時、短剣が届かないのを承知で、男の間合いには入らなかった。今も近づくのが怖い。彼女が子供とダニーをかばいに踏み込んだ事を尊敬する。
男が何かを隠していそうな予感はあった。最初に魔法を使った時からあった。
この男、指差す動作が無くても魔法が使えるかも?
手足を使って戦う武術家が毎日訓練を重ねるとして、殴りに行く拳を休ませて魔法を使うなんて訓練をするだろうか? わたしならしない。拳を振るいながら魔法を同時に使う訓練をする。わたしがその訓練を思いつくなら、強さに自信を持って部屋に残ったこの男は、絶対に思いつく。
ダニーの大きな体が手前にあって、男の右手と彼女の様子は見えない。わたしが感じたのは不安だけ。それを理由に魔法を使う事にした。休まなければあと何回も使えない魔法を使う事にした。
風の魔法で、近づき過ぎた彼女を離れた所に移動させたい。そのためには、思いきり風で吹き飛ばす必要がある。
ダニーは、自身に迫った拳を避ける為、噛みつくのを止めて離れる。男の拳は空振りする。
ダニーの影になっていた部分が見えると、目につくのは光る点。男の目線はダニーを見ていて、光る点は違う場所にある。やはり心配した通りで、そして、彼女が危ない。火の魔法で狙われている。
疲れていたって、体重の軽い彼女を浮かせるのは簡単だ。光る点が危険な温度になる前に、わたしの起こした風は彼女を救う。吹き飛ばしたのだから、少々乱暴だったけれど、彼女はしなやかに着地した。
緊張と疲れから、もうまともに戦えそうにない彼女とわたし。間合いを取り直したけれど、一番に狙われるであろうダニー。転がり込んできたばかりで事態の把握から始めないといけないうえに、きっと子供の治療を始めるであろうジオ。それぞれが離れた位置で、また睨み合いに戻った。
本来は、治療魔法を得意とするジオに戦いを任せるわけにはいかない。いかないけれど、わたしにはもう頼るしかなかった。
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