第36話 「軍人の証言」
火の始末をして荷物を持ち、焚火の場所を離れる。
森の入り口へ戻る途中、ルオラはずっと喋らなかった。彼女達は同じように目の下に小さなくまを作って疲れた目をしていたが、リージュは元気だった。何か無理をしているのかもしれない。その彼女が言う。
「猪、おいしそうだったね」
リージュの言葉に相槌を打ちながら、俺は黙って考え事をする。昨夜、彼女がお姫様だったらと想像したが、全くそれらしくない。次からはもっと正しい仮定をしよう。
あの猪は、何故、焚火の傍に出て来たのか?
操られていたわけではないだろう。あの巨体を維持する為に餌を探しに来たのか?
あの場所が餌場だったのか?
臆病な猪からは考えられない行動だ。特別な理由があってもおかしくない。肉食動物に追われたのだろうか…。
この件には、宝石もクローも関係無さそうだった。仕事が終わったのだから良しとしようか…。
ブロは俺達を観察しているが、冒険者として自然に振る舞う俺達から何か情報を得たとは思えない。毎日の定時報告があるのなら、昨日は報告が出来ていないはずで、今日の報告も異常無しと言うしかない。今のところ問題は無い。
森を歩いて戻った後、次は馬車道を歩く。
夏の日差しの中を歩き、少しだけ街に近づいたところで迎えの馬車数台に出会う。
夕方までに約束の待ち合わせ場所に着いて待っているはずだったのだろう。仕事は終わって引き返した事と本隊が遅れて来る事を伝え、そのうちの一台に街まで乗せてもらう。
馬車の荷台には簡単な木の屋根があり、日差しを遮ってくれる。昼の日差しはきついが、屋根のおかげで森の中程に蒸し暑くは無かった。寧ろ緩い風が顔にあたり、心地よかった。
街に着く直前だった。突然、顔色が真っ青になるリージュ。あの体調不良は一度きりではなかった。残念だが再発だ。
「ごめん」
リージュの小さい声が聞こえたが、彼女が謝る必要は無い。彼女の言いたい事の意味は何だっただろうか?
わたしは、ジオに一言だけ声を掛けた。
これから彼は、必死でわたしの看病をしてくれるだろう。その事に対して、有り難うと先に言っておくべきだったかもしれないが、一言が精一杯だった。
もし、わたしが死んじゃったらごめん。あなたのせいじゃないよ。
俺の目の前でルオラが声を上げる。
「この人は、どうしたんですか?」
座っていたリージュは、横に倒れて馬車から落ちそうになった。それをルオラが反射的に両手を添えて支えている。その動作は俺よりも速かった。喧嘩をしても、彼女の性分は優しいのだろう。心配そうにしている。
俺はすぐに近寄ってリージュの額に手を当て、熱を診る。高熱ではない。そっと脇腹に手を当てると熱い。紋章は服越しに見えないが、あの時と同じだ。
ブロは動く様子が無い。こいつには見られたくなかったが仕方無い。
リージュを荷台に寝かせて街へ急ぐ。
明るいうちに街に着くと、俺達の班は解散となった。
ブロには明日以降に組合で報酬を受け取ってもらうように伝え、先に宿へ帰ってもらった。といっても行き先は同じだ。追い払いたいとは思うが、今は揉め事を起こしたくない。部屋代を自分で払えと耳打ちしておく。
俺はリージュを支えて宿の部屋まで行かないといけなかったが、ルオラに手伝ってもらう事になった。
班長は仕事を終えた事を組合へ報告し、簡単な書類を作らないといけなかったが、俺達の宿に寄ってから後でやると彼女は言う。
信頼出来そうな誰かが助けてくれるのであれば確かに有り難いが、リージュの不調の事は俺達の問題だ。巻き込む訳にはいかない。
俺は詳しい事を何も言わなかったが、彼女は手伝うと言って聞かなかった。他に助けてくれそうな心当たりは無かった。断ると何度も言ったが、彼女は納得しなかった。
ルオラと二人でリージュを支え、宿に向かう。
三階の端部屋、リージュの部屋に着いて彼女を寝かせ、一息つく。ルオラが聞いてくる。
「病院には行かないのですか?」
「行かない」
「もしかして、ジオさんが看病するのですか?」
「そうだよ。仕方無いんだ」
ルオラは驚いて黙ってしまった。沈黙の後、彼女が小さな声で言う。
「後で来ます」
「何だって?」
小声で聞き取れなかった。彼女の次の声は大きくなった。
「組合の報告の後、私、お手伝いに来ます」
「いや、これは俺達の…」
俺達の問題だが、俺の言葉は最後まで言わせてもらえない。声がまた大きくなる。
「来ます」
そう言って彼女は出て行った。
ルオラはすぐに戻って来て、俺と二人でリージュの様子を窺う。狭い部屋の床に荷物を置いて、ベッドの横に二人で寄り添うと余っている場所はほぼ無い。
看病といっても出来る事は多くない。
この状況では、リージュの紋章をルオラに見せないようにしていては確認出来ない。帰る気配の無いルオラに打ち明ける事にした。
「これを見て欲しい」
そう言って、リージュの服の裾をめくろうとする。
「何をするんですか? やめてあげてください」
当然、ルオラは俺の手を掴んで怒る。
「そうなるよな。向こうを見ているから、一人で見て欲しい」
リージュの傍を離れ、窓の方を向く。ルオラの返事は無いが、服の裾をめくって見たのだと思う。
「何ですか。これ?」
驚くルオラの声。当然だ。窓の方を見たまま聞く。
「軍に居た時、何かこんなのを見た事無いか?」
「ありません」
「そうか」
俺が振り返ると、ルオラがすぐに服の裾を元に戻す。苦しそうなリージュの横で、何も出来ないまま時間が過ぎていった。
容体が変わったのは日暮れ頃だった。
リージュの額に手を当てると、熱が少し下がったように感じる。服の上から紋章に手を当てても同じように熱が下がっている。息遣いも少し正常に近くなった。
この時間を逃すわけにはいかない。
「済まない。彼女を一人で見ててくれ。少しだけ出掛けたい」
「困ります。私、一人にされても…」
「頼む」
無理を承知で頼む。彼女の優しさに甘えるしかない。嫌々ながら承知してくれるのを待つ。
「はい。分かりました」
話が決まればすぐに出よう。荷物を準備しながら聞く。
「お腹空いてるだろ。戻る時、食べ物を買ってくるよ。何がいい?」
「何でもいいです」
何でもいいと言われるのが一番困る。少し機嫌を損ねたようだが、時間が無い。ルオラを置いて部屋を出た。
組合に立ち寄ってから、クローに会いに行く。少し探りを入れたい。
屋敷に着き、またあの暗い部屋に立ち入る。あの時と同じように机に着いている。奴は忙しいのか、以前にも増して冷たい対応だ。近くには寄らないで話をしよう。
「俺達を待機させておくのは、いつまでだ?」
返事は無い。
「あの宝石に関係あるのか?」
また返事は無い。机の上の書類から目を上げようとしない。待つと、そのままの姿勢で答えが返ってくる。
「知らなくていい事だ」
何も教える気は無いという事か。
「槍使いの男を雇って俺達を見張っているのは何だ? 俺達を全く信用していないのか?」
この言葉には、すぐに反応があった。
「断じて言うが、そんな人間は知らない」
俺は言葉を失う。
クローの部下か何かだと踏んでいたが、ブロは違うのか?
嘘を言ったようには感じなかった。この言葉が嘘であったとしても、宿に戻って確認しなければ駄目だ。
本当はもっと探りたい事、知りたい事がたくさんあった。
リージュの具合が悪い事は聞いて来なかった。ブロから報告が無かったのか、興味が無いのか分からなかった。リージュに謎の紋章がある事を知っているのか分からなかった。この事は、変に勘繰るわけにはいかなかった。
背後に黒幕が居て、クローを操っているかどうかを探りたかった。宝石を盗まれた領主との関係も知っておきたかった。他にもあったが、そんな暇はもう無くなった。今は宿に走って向かう事が重要だ。俺は話を切り上げ、屋敷を後にした。
暗い自屋から傭兵君が帰った後、自分は独り言を言う。
「餌にかかった奴が居るな。また噂が役に立った」
ついつい笑ってしまう。武器を出して、出掛ける準備をするとしよう。
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