第37話 「幻と曖昧な記憶」

 私は、宿の部屋でジオさんに置いて行かれた後、ダークエルフさんを見ています。


 彼以外に頼まれたのであれば絶対に断っています。見るといっても、うなされて動くダークエルフさんの毛布を直したり、額を冷やす濡らした布を取り替えたりするくらいしか出来ません。早く帰って来て欲しいです。


 ダークエルフさんが起きる気配は無いです。でも喧嘩をしましたし、まだ目覚めて欲しくないです。


 ご飯は何を買って来てくれるでしょうか?


 私の好きな物なら嬉しいですが、そんな話をした事が無いので駄目でしょう。それでも期待してしまいます。外はもうすぐ真っ暗になって来そうです。ランプを点けておきましょう。


 扉を叩く音がします。帰って来たでしょうか?


 扉の小窓から廊下を覗くと、ご飯は持っていません。怒りませんが、少しがっかりです。扉を開けましょう。


「戻ったよ。どうなってる?」


 声が小さくて、聞き取りにくいです。


「何も変わっていません。用事は終わりましたか?」


「ああ」


 何か、声の感じが違います。


「どちらに行っていたのですか?」


「ああ、少し黙ってくれ」


 教えてもらえません。また声が小さいです。何か不自然です。出て行った時の土で汚れた服の匂いがしません。


 この人は、ジオさんじゃないです。


 顔も髪も服も靴もそっくりですが、違います。部屋の奥まで入ろうとしてきたので、思わず手で遮ってしまいました。ダークエルフさんを守りたいわけではないですが…。


「待って下さい。ここで止まって下さい」


 思わず見つめ合ってしまいましたが、嬉しくありません。かといって、どうしたらいいでしょうか? 本物のジオさん、早く戻って下さい。






 俺は、クローの屋敷から止まらずに走り、そのまま宿の三階まで駆け上がる。


 何かがおかしい。


 扉が開いている。部屋の前まで来ると、もっとおかしなものが待っていた。


「なんだ、これは? いや、こいつは…」


 俺に背を向ける人物。俺の服とそっくりだ。感覚だが、髪型と体格も俺と同じだ。


 俺の偽物が居る。


 振り返る偽物は、鏡で見る俺の顔とそっくりだった。


 恐怖から、そいつに掴みかかろうとするが、しゃがんで躱される。転びそうになったが偽物の横を抜けて、立ち尽くすルオラの横に並ぶ事が出来た。


「何があったんだ?」


「なんて言ったらいいか分かりません」


 ルオラはそう言った後、俺に近寄って匂いを嗅ぐ。何がしたいのか分からない。


 状況から見ると、俺の偽物は敵だと思っていいだろう。俺が来るまでの間に、うまく説明出来ない程の事があったのだろうか…。分からない。


「あなたが本物で、あっちが偽物です」


 ルオラがそう言うと、俺の偽物の姿が歪み始める。

 

 幻を見せる魔法があると聞いた事がある。


 噂で聞いた範囲では、もっと蜃気楼のような曖昧なものを遥か遠くに見せる魔法を想像していた。


 実際に見たこれは、ぼんやりとしたものではなく、目の前に現実に人が居ると実感する高度なものだった。知らない人が見れば、この幻が俺だと思っただろう。そう思うと、隣に居るルオラは本物だろうか?


「お前は本物だよな?」


 恐る恐るルオラに聞いた。


「そんな事言われても困ります」


 本物の俺と幻かもしれないルオラは、二人で並んで幻の俺と対峙している。ルオラは何かの方法で俺が本物だと確信したようだが、俺に彼女を見極める方法は無い。俺と彼女しか知らない事が何かあればいいが。ルオラ、何か思いつかないか…。






 私が思いつくのは、これくらいしかありません。


 ジオさんに治療をしてもらった時、あの時の戦闘の後からずっと、私は真夏でも長袖の服を着ています。これは他の人に見られてもいいですが、彼にだけは見せたくなかったです。思い出すと、嫌な気分にしてしまうかもしれません。


 幻が外見を完全に再現しているとしても、袖で隠れた部分は再現出来ないと思います。これを見れば、私が本物だと判断出来るでしょう。






 俺は、ルオラの行動を見つめていた。


 表情から見て、覚悟を決めた様子だった。彼女は俺に見せるように左手を前に出すと、その袖をまくり上げる。

 

 左手の前腕部。現われたのは、酷く痛々しい傷痕。


 本来であれば、治療魔法で跡も残らずに治せる怪我の痕。戦争の時、俺が上手く治せなかったせいだ。俺にとって都合のいいように修正されていた曖昧な記憶は、彼女の傷痕をもっと小さなものだと思い込ませていた。


 たった今、はっきりと蘇った記憶と事実が一致し、俺は歯を食い縛る。彼女はこれを隠していた。俺にも誰にも見せないように…。

 

 深く息を吸って、彼女に言う。


「疑って悪かった。許して欲しい」


 許して欲しい。今、疑った事も、あの時の事も…。


「許すも何も、怒っていません。今も、あの時もです」


 そう言ってもらえるのは有り難い。跡は残っても、彼女の怪我を治して命を救ったのは俺だが、彼女に対して負い目を感じている。その度合いは、都合のいい記憶よって軽くなっていたが、たった今、事実に見合った重さに変わった。


 許すと言ってくれる彼女の強さと優しさには敵わない。その真剣な彼女の眼差しは、敵であるだろう幻の俺にずっと向いている。


 偽物の俺は徐々に姿を変え、子供の形になった。それも幻かもしれないが、見分ける方法は無い。


「ばれちゃったか。なんでだか分からないけど…。まあいいや。もう来るし」


 この子供の声を聞いた事がある。ブロの所に様子を聞きに来た子供の声だ。この姿は幻じゃないかもしれない。


「ボクが一人で全部やるって言ったんだけど、ついてくるって言うから仕方無いよね」


 もう来るというのは一体何なのか? 一人で何をしに来たのか、ついてくるのは何なのか、誰なのか? 


 突然来た子供は、何が目的なのか分からない。想像が出来るのは、何かの組織に所属しているという事くらいか。あとは、他の誰かではなく、俺か、ルオラか、リージュに用があるという事は間違いなさそうだ。

 

 廊下に大勢の足音。予想は出来たが、子供は増援を待っていたのか。


「残念。君達、もう逃げられないよ」


 子供の声には残酷な余裕がある。明るい声が響いた。


 狭い部屋には、武器を振るう空間は無い。そもそも武器は入り口の傍に置いてあって、取らせてもらえないだろう。もう防具を身に着ける時間も無くなった。


 子供の仲間は黒い覆面を着け、武器を持って入り口に殺到する。それを待って、子供は廊下にさがって行く。

 

 ここは三階だ。上階に移動させられたのは、窓から逃げられないようにするためか。最初から俺達は狙われていたという事だ。

 

 先頭の覆面男が低い声で言う。


「抵抗するな」


 俺はリージュの具合をルオラに聞く。


「リージュはどうなった?」


「は、はい。容体は落ち着いています」


「そうか」


 部屋のほぼ中心に立っている俺は、魔法を使い、狭い部屋の中で風を起こす。


 俺を中心に反時計回りの風を起こした。その風は覆面の敵を吹き飛ばす程ではないが、後ろに転ばないように身構えさせる。こちらに近づくのを躊躇わせる。風の勢いに乗せて、家具の椅子を掴んで放りつけてやった。


 先頭の敵が半歩下がるのが見えた。続いて、風がランプの火を吹き消すと、部屋が真っ暗になる。さらに巻いた風は窓にぶつかって鍵を壊し、両開きの窓を勢いよく外側へ開け放つ。


 俺のやりたい事に気付いたルオラは、俺の後ろを通って窓際の机に足をかける。


 机を踏切台にして窓から空中へ飛び出す。うっすらと笑みを浮かべて三階の窓から飛ぶ彼女の横顔は美しく、目は俺を疑っていない。リージュを抱き上げて、俺も窓から飛ぶ。


 下を見ると恐怖が込み上げる。ルオラの方が俺よりも根性があると思う。敵は、こんな逃げ方を予想していなかっただろう。唖然と見守っていた。信じられないといった顔をしていた。


 隣の低い建物の屋根を目掛けて飛んだ。窓から出た直後から、風で落下速度を減速する。


 ルオラは両手を左右に広げて体の平衡を保つと、階段を一段飛ばして降りたくらいの勢いで着地して、すぐに横に避ける。リージュを抱えた俺は、ルオラが空けてくれた場所に着地する。三階から飛び降りたとは思えない軽い着地だった。


 見上げると覆面の連中が窓から見下ろしていて、何か怒鳴っていた。階段に回って追いかけて来るのだろう。すぐに窓から顔を引っ込めた。


 その屋根からさらに下の地面に飛び降りた後、ルオラが聞いてくる。


「何ですか、これ、何がどうして襲われるんですか?」


「済まない。分からない。でも逃げるしかない」


 たくさんの灯りが点った繁華街を通って逃げる。大勢の人波は繁華街の中心に向かっていくが、それらを追い越して行く。


 武器は無い。防具も無い。ルオラを巻き込んでしまった。


 こうなる事は予想出来たが、彼女の助けを断れなかった。断らなかった。彼女は、こうして一緒に行動するのを望んでいたのかもしれない。全てが望んだ形ではないだろう。さっきの言葉が物語っている。


 こうなれば、三人で協力して生き残るしかない。一人は眠ったままだが…。

 

 俺達の周りを歩くのは、これから食事に行く者、酒を飲みに行く者、女遊びに出掛ける者など様々だ。苦しい表情の者は一人も居ない。その人波の中を汗塗れで走る。

 

 若い女性を一人背負い、さらにもう一人を連れて走る俺は、どんな風に見えるのか?


 考えたくない。飛んでくる下品な野次は、聞こえないふりをする。


 数日前と相変わらず、世間一般の楽しみとは無縁なのかと思うと残念だったが、そんな仲間が一人増え、今日は三人だ。


 俺達には俺達の事情がある。この二人には申し訳が無いと思ったが、運命共同体として問題解決に挑もう。世界中が敵になっても、俺はこの二人の味方であり続けたいと思った。

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