第81話「予想通りの夜」
次の朝、わたし達は宿場町を離れた。
進んで行く馬車の荷台で、周囲を何度も見回す。正面には、次の町へ向かう街道。彼方まで続いて見える。街道の左右には農地。随分前に麦を刈り終わった農地には、誰も見当たらない。遠くには山と森が見えるけれど、動く影は無い。後ろには遠ざかっていく町。見るたびに建物が小さくなっていく。
わたしは、町を出たらすぐに、あの狼が息を切らして走り寄ってくる事を期待していた。懐いた飼い犬が尻尾を振って抱きついてくるみたいな触れ合いを期待していた。狼とずっと前から仲間だった気分になっていたから、たった今一緒に居られない事が悲しくて仕方が無かった。
ねぇ、町に戻ろう?
何度もそう言おうとして、言葉を飲み込む。今、ここに狼が居ないのは狼の意思。だから、もう会えない。会う必要は無い。わたし達の旅は、関係無く続く。
ルオラも心配そうに周囲を見回していた。ジオだけは、気にする様子が無かった。彼は、こういう奴だった。よく考えたら、彼は一度、狼に噛まれている。彼は、狼の事が嫌いなのかもしれない。そうに違いない。
この旅が始まってから、昼間に一度も寝なかったのは初めてだった。狼の事がずっと心から離れなかった。
夕方になり、いつも通りに野宿の準備をする。暗くなる前に焚火を用意して、周りを三人で囲む。わたしは、ジオと目を合わせたくなくて俯いていた。三人とも黙っているうちに真っ暗になった。
火の傍にずっと居ると暑いから、少し離れたところに座り直す。誰も喋らないから、時間が経つのが遅く感じる。薪の代わりにと拾ってきた枯れ枝を指で弄んで、小さく折っては火に投げ込む。何も考えたくない。
暗くなって暫く経つと、馬の様子が少しずつおかしくなった。馬車の傍で座って休んでいたのに、慌てた様子で立ち上がる。その後小さく鳴いて、そのまま凍ったみたいになってしまった。
ルオラが心配して寄って行く。馬の様子は、鬼みたいな先生に名前を呼ばれて緊張した学生みたいだった。
「言った通りだろ?」
ジオは、わたしの方を見ずに言った。この言葉の意味がすぐには分からなかった。
それまで彼は無言で料理をしながら、探知魔法に集中していたようだった。わたしだってずっと魔法を使っていたけれど、何かが近づいてくる気配を感じていなかった。彼だって同じはずだ。だけれど彼は、何かが近づいている事を確信している。
動物は、魔法使いよりも敏感な感覚を持つ。馬は、遥か遠くに居る気配をわたし達より先に感じていた。怖くて怖くて仕方無い敵が寄ってくると分かって、一歩も動けなくなっていた。ジオは、それを見て状況を判断していた。わたしはやっと気が付いた。
ついに探知魔法で気配を感じる。大きなものがゆっくり動いている。近づいてくる。これはきっと狼だ。溜め息と一緒に、体の中から不安とか淋しいとかいった感情を吐き出す。代わりに嬉しい気持ちが心に溢れる。
「嘘? 嘘でしょう。嬉しい」
わたしの命を助けてくれた狼は、わたしのところに来てくれる。これからもきっと助けてくれる。こんなに嬉しい事は無い。狼に捨てられたんじゃなかった。
ルオラは、馬が怖がって暴れないかと心配していた。馬に寄り添って背を撫でている。馬が慌てて逃げようとして、怪我をするようなら大問題だった。ルオラの心配をよそに、馬は怯え過ぎて固まってしまったままだった。剥製みたいになって、全く暴れない。
こうなってしまった馬の気持ちを思うと、苦笑いするしかない。何の根拠も無いけれど、狼はわたし達の大事な馬を食べないと信じたい。
狼が近くまで来て、その姿が見えた時は言い表せない程に嬉しかった。思わず駆け出して狼に抱きついた。狼は、焚火から少し離れた所に伏せた。
「ダニーは、ずっと俺達を尾行してきたんだろ? これまでも町に居る時は、寄って来ていなかった。兎を持って来てたのは野宿の時だけで、今日も野宿だ。昨日は寄って来なくて、今日寄ってくるのは予想出来ただろ?」
彼は、こういう奴だった。そして、続けて言う。
「少し先の広場にも焚火をつけるから、ダニーと一緒にそっちに移ってくれ。馬は俺が見ておくから。馬と一緒に俺が移ってもいいんだが、馬は動きそうにないからな」
言葉に詰まったわたしを見つめて、彼は、さらに続けて言う。
「食事がもうすぐ出来るから、ちゃんと取りに来いよ」
わたしは、少しずつ落ち着いて来ていた。彼の言葉を確認しないといけない。
「ちょっと待って、なんて言ったの?」
ちょっとだけ泣いてしまっていたわたしは、声が鼻声になっていた。
「ああ、ご飯はもう出来るぞ」
ジオは、わたしの聞きたい事を分かっていない。
「そうじゃなくて…」
「馬の面倒は俺が見るぞ」
「違う。名前。何て言ったの?」
「ああ、ダニーに決めたんだろ? 何でもよかったが、名前が無いと不便だしな」
「ずるい。わたしが…」
わたしが最初に名前を呼ぼうと思っていたのに…。
彼はずるい。愛情の無いような事をいくつか言っても、大事なひとつだけは間違えていない。彼は、こういう奴だった。
「いい名前だと思いますよ。気に入ってもらえるといいですね」
馬の背中を撫でていたルオラはそう言った。
結果を見れば、ジオの言った通りだった。ダニーは、ちゃんとついて来ていた。その目的は分からないけれど、旅の仲間が増えた事は本当に嬉しかった。
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