第93話「効果的な魔法」
俺は、松明を点けずに暗い通路を進んでいた。
通路は殆ど真っ暗だった。入り口の方を振り返ると、通路に僅かな光が差し込んでいるのは分かるが、奥の方を見ると何も見えない暗がりが広がっていた。しかし、風の魔法で周囲を探り、見えなくても通路の大きさは分かっていた。
二人が並んで歩けるくらいの幅、天井は少し高く、手を伸ばして飛び上がっても届かない。長さは、大した長さじゃない。奥に部屋があるのも分かっていた。こいつが待ち伏せている事だって分かっていた。
真っ暗な中に現れた幻は、これまでのものと違っていた。
俺は、僅かに見える左の壁に左手を付けて立っていたが、その壁が完全に無くなったように見えた。あるはずの壁が無くなり、奥行きのある空間に変わった。俺の左には、どこまで行っても壁が無いように見えた。
右も前も後ろもそうだった。薄暗い中に僅かに見えていた壁は全て見えなくなり、周囲には暗い空間が広がっている。何も無い暗闇に俺だけが居る。そんな幻だった。
少し戸惑ったのは、上にあった天井も下にあった床も見えなくなった事。俺は暗い場所に立っているのではなく、暗い空中に浮かんでいるようだった。
これは、さっきまでの幻と違って厄介だな…。
そう思いながら深呼吸する。風の魔法で探知し、壁や床がそのままなのは分かっていた。左手が壁に触れる感触も、足の裏が床についている感触もあるが、このままでは進めない。罠があっても見つける事が出来ないからだ。
しかし、この魔法の使い方は面白い。
何も見えないようにする幻の魔法は、応用次第ではとても面白い。逆転の発想で、有意義に使うべきだ。ゆっくりと呼吸をしながら、そんな風に思っていた。
こいつの頭の中で思った事が幻として他人に見せられるなら、例えば観光地の景色なんかを思い浮かべてもらって、誰かに見せればいい。その誰かは、どこにも出掛けずに観光地に立っている、そんな不思議な経験が出来る。
神秘的な鍾乳洞や、霧が立ち込める山の頂上の景色は、探検家や冒険者にしか見る事が出来ないが、そんな事に縁の無い街の住人だってそこに立っているような感覚になれる。これはとても面白い。暗闇の中で動けない俺は、この場に不要な想像をしながら、少し笑顔になっていたかもしれない。
余計な事ばかり考えていたが、遺跡の奥に進む方法を考えないといけない。しかし、俺にはこの幻を消す方法が無い。落とし穴なんかの罠があるかもしれないから、幻を無視して強引に進む事も出来ない。
この幻はこれまでのものと違い、足止めするという目的に有効で、確実に効果を上げている。当然、焦りはある。また深呼吸をする。俺は動かずに待つしかない。
俺は、この魔法がずっと続くとは思っていなかった。
そう長く待たずに時間切れになると思っていた。訓練場で魔法を使っているのを見た時に苦しそうにしていたのだから、今だってそうに違いない。通路のどこかに身を隠し、荒くなる呼吸を必死に堪えて、俺に襲い掛かる機会を狙っている姿が想像出来る。
俺はゆっくり呼吸をしながら待つ。必死に魔法を維持しようとするこいつと、ただ立って待っている俺、時間が経つほどに優位性が逆転する。幻の魔法をかけられて困惑する事しか出来ないはずの俺は、落ち着いて敵が近づくのを待ち伏せしている。もう勝敗は決まっていた。
やはり先に動いたのは、あの子供の方だった。
通路の端にある置物、おそらく松明の台か何かだろう。小さな体がその影から現れる。音を立てないようにゆっくりと近づいて来る。俺には見えないが、想像はついていた。おそらく外で使っていた短剣を握りしめ、斬りつけてくる。この狭い通路で剣を躱すのは難しい。安全な方法を取らないといけない。
数歩の所まで近づいたこいつは、急に駆け出す。突進してくる相手に対し、風の魔法使いが身を守る方法、よくある手段を使って対処しよう。
向かってくるこいつに風の魔法を浴びせる。突風を浴びせれば、少しは勢いが落ちるだろう。そのうえで風の防御魔法を使う。正面のどこから斬りつけられてもいいように、体全体を空気の壁で覆う。子供の力なら、この壁を貫通しないだろう。
力いっぱいに突撃してきたこいつは、俺の手前で立ち止まる。あと剣一本分の距離が届かない。悔しさが滲み出るように声を出す。
「くぅ、あと、少し、なのに…」
俺の選んだ反撃は、よく使われる手段じゃない。体重のある大人には使えない。だが、こいつには効くだろうし、はっきりと相手の姿が見えない今は有効だ。
俺は背負っていた盾の端を両手で掴み、水平に振り回す。団扇で扇ぐみたいに盾の面を相手にぶつければ、大した怪我はしない。大きいから空振りの心配が少ない。船が帆で風を受けて進むみたいに、盾を風で押してやれば振り回す速度も上がって衝撃力も上がる。これで戦意消失して欲しい。
盾が直撃し、小さな呻き声を上げたこいつは、幻の魔法を解除した。視界が元に戻り、壁に手を突いて床にへたり込む子供の姿が見えた。持っていた剣は、音を立てて床に落ちた。俺は手加減したつもりだったが、やり過ぎただろうか…。
「済まない。少し力加減を誤った。どこか痛いか?」
傍に駆け寄って声を掛けた。
「う、うう…」
聞こえたのは泣き声だった。こいつの考えが上手くいっていた場合は俺が怪我をしていたんだから仕方無かったが、泣きたい気持ちは分かる。何一つ思い通りにならないのは悔しいだろう。自身の実力の無さを痛感すると泣きたくなるのは、大人だって同じだ。
「何と言うか、お前の魔法はきっと役に立つんだ。その、こんな使い方じゃなくて…」
慰めなんて言う気は無かったが、口をついて出てしまった。なんの用意も無かったから上手く言葉が続かない。
「よかったら俺が…」
助けてやろうか? この言葉は、剣を持って襲ってきた敵に掛ける言葉じゃない。
「うるさい。うるさい」
そう言ってこいつは、俺の差し出した手を振り払った。
ボクは、どうしたらいいか分からない。
盾で吹き飛ばされた時の痛みは殆ど無かった。代わりに心が痛い。幻の魔法はまた通じなかった。ボクが怪我をしないように気を遣われた。泣いているのを見られた。もうこの男の顔は見たくない。
奥の部屋には奴が居る。
何も考えたくない。作戦通りに誘導して、奴に始末してもらおう。ボクの力じゃないけれど、それで片が付く。
俺の予想は外れていた。
俺は、こいつが泣きじゃくって動かないと思っていた。座り込んでしまって、どう動かそうか悩んでいる俺。そんな事を想像していたから、手を振り払われた時にすぐに反応出来なかった。
遺跡には、今入らない方がいい。
さっき、あの女はそう言った。この奥の部屋には何かがある。立ち上がった子供は、その奥の部屋に走っていく。
「駄目だ。そっちに行くな」
俺は、手を掴むべきだった。こいつが座り込んで傍に寄った時、泣き声を聞いた時、俺が声を掛けた時。もう遅い。俺は追い掛けるしかない。
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