第100話「ここに来た意味」
わたしは、通路の出口を見つめていた。
ここを出たら、きっとダニーは速度を上げる。ルオラだって走って、すぐに街に着く。そう思っていた。わたしの仕事は、ジオが落ちないように確りと掴んでいる事、考える事なんて無いと思っていた。
外の明るさに目が眩む。苦しい時間には区切りがついたと思った。生きて出られないかもしれなかった遺跡から出る事が出来た。
目が慣れると、ルオラが立ち止まったままでいる事に気付く。ダニーも足を止めた。周囲を見回すと、何が待っていたか分かった。
ダークエルフの女、その横に付き従う狼、武器を持った男達、もう居ないと思っていた奴らが遺跡の周りを囲み、待ち構えていた。
すぐに捕まえようという距離ではないが、隙間無く並んで、逃げ出す事を許してくれない。ダニーが走れば飛び出せるだろうけれど、わたしもジオも振り落とされる。ルオラも子供を背負っては突破出来そうにない。かと言って、遺跡の中に戻るわけにはいかない。
ダークエルフの女がわたし達に言う。
「あいつを倒してきたのは予想外だった。だが、お前達に逃げ場は無い」
そう言った後、横に居る狼を撫で、前に出るように促す。狼は静かに進み、敵とわたし達の中間まで来て止まった。
ダニーは体を傾け、わたしとジオに降りるように促す。それに従うと、ダニーは敵の狼の正面に進んだ。ルオラは子供を背負ったまま、動かなかった。わたしはジオの体を抱えて座り込んでいた。また闘いが始まるのだと思った。
二匹の狼は鼻先を近付け、睨み合う。誰も割って入ろうなんて動きをしない。決着を見届ける、そんな雰囲気が場を支配し、静寂が辺りを包んだ。
どちらもが首を狙って噛みつこうとしていて、勝負は一瞬で決まるのだろう。ダニーを信じて待つしかない。わたしは、また誰かに縋っていた。
ダニーは今、何を思っているの?
睨み合いの姿勢を続けるダニーの考えている事は分からない。遺跡に入る前から、ダニーはこの狼を見つめていた。この敵を倒して、わたし達を助けてくれるのか? 困っているわたし達を守ってくれるのか? あなたの考えを教えて欲しい。
動いたのは二匹とも同時だったけれど、誰の予想とも違った事だったと思う。お互いが噛みつく筈だった首に鼻を近づけ、お互いの臭いを嗅ぐ。肩の辺りを押し付け合い、優しく体を揺らす。鼻を尻尾に近付け、また臭いを嗅ぐ。その後、二匹は離れ、また向き合った。
ダニーは仲間を探しに来たんだ。きっとそうだ。
「この結果は予定外だが面白い」
ダークエルフの女はそう言った。ダニーを倒し、わたし達も襲わせる予定は違ってしまったようだけれど、慌てる様子は無かった。
ダニーがこの狼も仲間にしてくれるの? そう思ったわたしの予想も間違いだった。敵の狼は息遣いが荒くなると、その場に伏せてしまった。その急変化が何なのか、わたしには分からなかった。
「そうか。時間切れか…」
落ち着いた女はそう言って、残念そうな顔をした。女は、近くに居るダニーを恐れる様子は無く進んで来て、伏せる狼の体に触れた。狼は息を引き取ったようだった。ダニーは察したようにこちらに戻ってきた。
「何が、どうなっているんですか?」
ルオラの疑問は当然だけれど、わたしにも答えは無い。何か少しでも教えてくれそうなジオは意識を失ったままだ。
「分からないよ…」
そう言った時、強い風がわたし達を襲う。倒れそうになったルオラが前傾姿勢になって耐える。わたしは顔の前に片手を翳し、もう片方でジオの服を強く握った。風が止んだ時、わたしの目の前に剣の切っ先が止まっていた。風の魔法の使い手は、自身で戦う事を選んだようだった。
「まず、宝石を返してもらおうか」
「何ですか? そんなの持ってない」
返事は出来たが、震えていた。男が持っていた宝石を奪ってくる勇気は無かった。
「嘘はつかなくていい…」
そう言ってから女は後ろに飛び退く。ダニーが近づこうとしたのに気付いたからだ。この女に隙は無い。
「やめて下さい。ガーネットさん。俺達は戦いに向いてません。それに…」
止めに入ったのは、後ろに居た男達だった。武器を持つ様子が拙い男達は、おそらくダニーに対し、恐怖している。
「そいつらは宝石を持っていません。まだ中です。中から出てくる空気が異常です。検知器が見た事無いくらいに反応して…」
「そうか。取りに行かないといけないな」
女は少しの間、考える素振りをした。
「まずいか? まずいな。早い方がいい…」
そう言葉を足して剣を収める。そして、わたしに言う。
「今は見逃そう。だが…」
わたし達は、怪我をしたジオを街の病院に運ぶ。治療が終わるまで街から出る事は出来ない。今は離れる事が出来ても、街ですぐに組織に見つかる。だから、わたし達は見逃してもらえる事になった。
「その子供は置いて行け」
ジオが助けた子供は、武術家の男に疎まれていた。この集団の多くがそう思っているのなら、わたし達が連れて行くべき…。ルオラはきっとそう思ったに違いない。ジオと一緒に病院に連れて行く。この子を悪いようにするつもりは無い。
「嫌だ。あんた達は…」
わたしがそう言いかけた時、ルオラが子供を床に寝かせた。
「従いましょう」
ルオラは、わたしに小声で言った。
「応急処置は済んでいます。ジオさんだから、きっと」
悔しい決断だ。わたしとルオラは敗北感で胸が一杯。ジオは意識不明で、ダニーの仲間は死んでしまった。宝石を手に入れる機会を失い、僅かな情報さえ手に入らなかった。せめて、この子を助ければ、今日ここに来た意味があったと思えた。そのひとつさえ失う決断を、今からする。
「でも…」
言いかけて言葉を飲み込む。ルオラの意見が正しいのは分かっていた。わたし達が選ぶべきなのは、ジオの命。それだけだった。
「手当をしてあげて下さい」
子供を気遣うルオラは静かに言って、わたしとジオの傍に来た。二人でジオを抱え、またダニーの背中に乗せる。女は無言で見ていたが、遺跡の入り口に近付き、道具を持った一人と話を始めた。その道具が何かは分からなかったし、単語の意味も分からなかった。
囲みを作っていた集団は道を開け、わたし達が去るのを促す。
その意図を汲み、わたし達は歩き出す。王様の行進に道を開ける群衆のような様相だが、実際は違う。わたし達は敗者だ。前を歩くルオラは振り返らない。わたしだって後ろを見たくない。来た道を戻り、街に着くまでの間は目を閉じている事にした。ジオの服だけは確りと握っていた。
わたしは、ジオの怪我が深刻ではない事を願っていた。ダニーが立ち止まったのが分かって目を開けた。
「リージュさん」
ルオラの声が聞こえて、周囲を見回す。街がすぐそこに迫っていた。
「なんか、ごめん。わたし…」
「後にしましょう。ダニーさんはここまでです。街がすぐそこですから。私は走って馬を借りて来ます。ここからは、ダニーさん抜きでジオさんを運びましょう」
「そうだね。分かった」
彼女がそう言う事は分かっていたから、短く返事をした。わたしはジオを抱えて道端に座り込み、ただ待つ。本当は短いのだけれど、長く感じる時間を待つ。わたしの頭の中では、朝から起きた事が何度も繰り返されていた。
それと一緒に、ジオが言った言葉やいつもの仕草を思い出す。
「腹減ってるだろ? 昼御飯にしようか?」「ああ、ダニーに決めたんだろ?」「明日、遺跡を見に行ってみないか?」
一点を見つめて、黙り込んで考え事をしている横顔。集中して料理をしている時の顔。魔法を使う前に呼吸を整える仕草。
昨日までの日常と、たった今の最悪の事態。比べる度に胸の中が潰されるような気分になる。
こんな事にならずに済む方法は無かったかと考えるが、自身の判断の間違いや力不足を思い知らされる。それでも、悔しいとも悲しいとも思わない。ただ、ジオの怪我が早く治る事を願っていた。
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