第63話 続く言葉


 いくつかの展開を予想していた。


 話し掛けても答えが返ってこない場合、素っ気無い返事で会話が続かない場合、こちらを見もせずに立ち去ってしまう場合。どうなっても粘り強く話し掛けようと思っていた。覚悟は決めていた。声を出そうとした時だった。


「髪、綺麗ですね」


 向こうから話し掛けてくるのは、全く予想していなかった。驚いて息が止まってしまった。 頭の中が真っ白になったけれど、すぐに考えを纏める。神、紙、わたしの髪の毛の事か。すぐに返事をしたい。


「わたしの、髪の事?」


「そうです」


 優しい口調だった。昨晩、空を見ながら話した時の口調。


「この、青味がかった灰色の髪は、すぐに人族じゃないなって分かっちゃうけど、気に入ってる」


 しまった。この返事だと彼女が言葉を繋げにくい。でも心配は要らなかった。


「私も以前は伸ばしていたのですが、軍に居る時、短く切ってしまって。また伸ばしている最中なんです」


 彼女の前髪は瞳が隠れる位の長さだったけれど、後ろで縛ったりするには全体が短過ぎる。


 兜をかぶる時には、全部の髪を後ろでひとつに縛るのが手早くて簡単だから、髪を伸ばしたい人は全体を長くしている。そうでない人は、前髪が邪魔にならないように丁寧に鉢巻をしたり、何ヶ所も束ねたりしないといけない。冒険者が髪型に拘るには手間が必要だった。


「軍では規則で短くしないといけないの?」


 髪の長さに彼女が劣等感を抱いているようなら、長く続けたくない会話だけれど、向こうが言い出した事だし、少し続けてみよう。


「いえ。私の居た隊で短くするのが流行ってしまって。悩みましたが切りました」


「そうなんだ。どこまで伸ばすの?」


「決めてないです」


 彼女はそこで言葉を止めた。ジオの気に入る髪型に、と思っているのだろうか? 

 

 あの男の感性は怪しいから、自身で決めた方がいいと思う。


「長いと乾くまでに時間がかかるから、困るよね?」


「その点は、短い時は楽でした」


 風の魔法で髪を早く乾かす方法は無いかと試したけれど、今のところ完全ではない。冷風を当てて乾かす事は出来るけれど、いいのは真夏のうちだけで、冬は風邪を引きそうになる。温かい風を作る方法が思いつかない。


 話題を変えてみようか。


「お風呂で見たけれど、その、お肌、綺麗だよね。わたし、あんまり自信が無いから、羨ましい」


「そんな事無いですよ。特に何もしてないですし」


「その、何と言うか、剣士の人達ってもっと生傷が多いのかと思って。その、綺麗だと思うのは嘘じゃないんだけれど…」


「確かに怪我はしますよ。でも、治療魔法が凄いですから、ちょっとした怪我なら跡も残らないですよ」


「そうだね。そうだった」


 治療魔法は確かに凄い。何なら怪我をして治してもらった後の方が、調子が良かったりするらしい。


 純粋に褒めたかったのだけれど、この話題は失敗だったかもしれない。そんなつもりじゃなかった。隅から隅まで見たわけじゃないけれど、彼女の体のどこにも傷なんて無かった。一か所を除いて。


「この手の傷跡ですか? 気になりますよね?」


 彼女の左手の大きな傷跡が気になっていた。治療魔法なら、跡も残らず治るはずではないのか? やはりこの話題は失敗だったか…。彼女を貶めようとするつもりさえなかった。話の向きを変えようとするのも遅かった。


「これはですね…」


 心配をよそに、彼女は気にする様子も無く話を始めた。


「こんな風に見えて、痛くないんですよ」


 傷跡は痛々しい。手首の下から肘の近くまで広がる、長くて歪な傷跡だ。塞がった跡がしっかり残っていて、昨日か今日に退院したばかりと言われても納得しそうだ。わたしは言葉が出ない。


「一年前の戦争の時に負った傷なんです」


 そう言いながら、左手を胸元まで上げて、見つめながら右手で摩っている。


 恋人同士の様子に例えるなら、もらったばかりの婚約指輪を薬指に付け、色々な角度から眺めるような素振りだった。不思議な振る舞いだ。もし、話してもらえるなら続きを聞きたい。


「その、立ったままだとあれだから、座ろうよ」


「そうですね」


 馬車の荷台の後ろ、あおりの部分を外して、並んで腰かける。


 焚火はまだ点けていないから、ここには松明の明かりだけ。時折、風が吹いているから特に暑くはない。お互いに顔を見て話すのは、まだ出来ない。面と向かうより、横並びの方が話しやすいかもしれない。特に今の話題では。


「最前線で戦っている時、王様に向かって飛んで来た矢と槍を防ごうとして…」


「ちょっと待って。王様の傍って、近衛隊でしょ? それって?」


 わたしは彼女を軽く見過ぎていたのか?


 一介の兵隊だろうと思っていた。王様の警護を任されるなら、実力と信頼が必要で簡単になれる役職ではない。かなりの優等生だ。


「近衛隊ではないですよ。ただ、その時は人手が足りなくて、すぐ傍で戦っていました」


「代役でも、相当凄いよ」


「そんな事無いです。怪我をした時、すぐに応急処置をしてもらったのですが、もっと大怪我の人がいて、その人を優先して治してもらって…」


「それで跡が残っちゃったの? 勲章やお金もらっても、割に合わない」


「確かに、お金も勲章ももらったのですが、割に合わないです。後で王様に謁見して、妻として娶ろうかって真顔で言われましたが…」


「ちょっと、それって。受けたの?」


「いえ。考えさせて下さいって言って…」


「断ったの? まあ、そうか。自由が無いよね、きっと」


「保留です」


「え、曖昧なまま放ってあるの?」


「その、まあ、そうです」


「それって、面白い。断る人いるのかな? 第何夫人か知らないけれど、一生安泰だよ」


「その、言いにくいのですが…」


「そうだよね。気持ちは分かるよ」


「分かってもらえて嬉しいです」


「わたしが代わりに言ってあげる」


「お願いします」


 わたしも彼女も、話の途中で気になる事が出来た。だから、お互いに意図を確認して、話を止め、処置する事にした。


 足元に近い地面を見ながら、俯くような姿勢で話をしていたけれど、揃って顔を上げる。同時に少し離れたところの塀を見る。


 わたしは、しゃがみ込んで小石を拾う。その塀を睨みながら立ち上がって、塀の端を狙って山なりに小石を投げつける。塀に当たった小石は小さな音を立てて跳ね返り、どこかに転がっていった。


 それを見てから声を張り上げ、きつい口調で言う。


「覗き魔。変態。盗み聞きしないで」


 塀の向こうから聞き慣れた声が返ってくる。


「小声で喋ってたから内容は聞こえてない。心配するな」


 塀の向こうに隠れていたジオは、隠れたままで悪びれる様子が無い。公衆浴場の方へ歩いて行ったはずだが、わざわざ反対の通りに出て回り込んで隠れていたのか。


 油断も隙も無い奴だ。気にしてくれるのはいいが、聞こえていないからいいわけではない。次は、声の調子を変えて諭すように言う。


「お風呂、閉まっちゃうよ」


「ああ。もう行くよ」


 ジオは塀の向こうから手だけを出すと、大きく振ってから引っ込めた。そのまま立ち去ったようだった。多少の罪悪感があって、顔は出せなかったのだろうと思いたい。


「本当に聞こえてなかったかな?」


 さっきの話に戻って続きをしたい。

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