第64話 嘘はひとつだけ

「保留ですっていうところは聞かれたくないです」


「ははは」


 久しぶりに笑うとお腹が痛い。数日前なら想像もしていない。


 少し冷静になって考える。彼女がジオに振られた場合を想定して、王様のお誘いを保留にして担保しているとしたら、正直、強か過ぎてちょっと怖い。わたしだとそんな器用な事思いつかない。


 王様のお誘いは口先だけの社交辞令に近いものだろうし、その時だけの話だろうから、もう無効だと思う。だからこれは彼女のとっておきの冗談だろう。


 ジオに対して一途かと思えば、そうでもない姿勢も見せる。そもそも、この事をわたしに正直に言う理由は何か? 口が滑ったのか? 本音を話して和解の気持ちを押し出してきたのか?


 どちらでも、どちらでなくてもいいけれど、思う事はふたつ。


 彼女は真面目そうな外見に反して、ちょっとあざとい女かもしれないという事。


 そして、その事をちょっとだけ見習わないといけないという事。


 この事は後で考えるとして、もっと本音の話がしたい。どこまで乗ってくれるだろうか。


「ごめんなさい。傷の事は聞く気は無かったの。その事もだけれど、どうしてわたしなんかに大事な事を話してくれるの? その、王様のお誘いの事とか、誰にでも話せる事じゃないでしょう?」


 彼女は、少しだけ笑って答える。


「その、待ってくださいね。あの、あなたもあの時、自分が死んでしまうって思ってたんじゃないかなって。その、あの時の紋章の魔法の事です」


 話しが逸れているけれど、待って欲しいのなら待つ。声は出さず、大きく頷いて答える。彼女は話を続ける。


「ほんの少し、少しだけですよ。死んでしまうって思ったら、それから後は、少しだけ自分の気持ちに正直になってもいいと思います。なんて言うか、分かりますか?」


 この言葉は彼女の本音だと思った。この答えだけでも、彼女の気持ちを推し量れるのだけれど、もう少し確かめたい。


「正直、あの時は死んじゃうと思ってた。わたしの事を良く思ってなかったと思うけれど、何故助けてくれたの?」


「そうですね」


 そう言って彼女は言葉を止めた。良く思ってなかったのは否定しなかったけれど、別に構わない。答えを待とう。


「そうですね。なんとなくです」


 死んでもいいと思うほどには憎らしくなかったという事か。それが解れば十分だ。


 彼女は戦争の時に怪我をして、自身の死を意識した。その経験からわたしへの共感が生まれ、会ったばかりのわたしを助けてくれた。そして、その事を隠さずに話してくれる。わたしも正直になろう。


 本来ならば、ジオとは仕事で知り合って数日しか経っていない事、その後、身を守るために一緒に居る事なんかを順に話すべきなのだけれど、面倒だから手順を飛ばそう。


 彼女の確認したい事はひとつしかない。もしかしたら、最初からこの一言だけでよかったかもしれない。


「わたしはジオから冒険者としての技術や知識、魔法の上手な使い方を盗めればそれでいいから。その、気にしないで」


 それを聞いて、彼女は何も言わない。少しの間、二人で沈黙する。


 私の事、気付いてましたか?


 そりゃ分かるでしょう。


 ごめんなさい、私、勘違いをしていて。


 気にしないで、わたしも少し意地悪だった。

 

 もし、この沈黙の間に会話があったとしたら、こんな風だったと思うし、丁度それくらいの時間だった。向こうも同じように思っていたと思う。だから、次の彼女の言葉も予想の範囲内だった。


「あの、私の事はジオさんには…」


「言ってない。言ってないよ」


「よかったです」


 また少しの間、二人で黙り込む。


 この僅かな時間で、お互いが壁を壊して歩み寄れたと思う。向こうも仲違いのままではいけないという意識があったから上手くいった。ここまで来れば、あとひとつやっておきたい事がある。ジオが戻ってくる前に。


 浅く腰かけていた荷台から降りて体の向きを変え、荷台に座ったままの彼女の正面に立つ。少し照れくさいけれど、言いたい事は決まっていた。しゃがみ込んで片膝をつき、頭を下げてから言う。


「あの、森では酷い事を言ってごめんなさい。訓練場では助けてくれて有り難うございます。この旅がいつまで続くか分からないけれど、その間、よろしくお願いします」


 そのままの姿勢でいると、彼女も荷台から降りたのが分かった。


「私も謝らないと、ごめんなさい。それに、そんなに大した事してません。立ってください」


 彼女は、わたしの前にしゃがんで両肩に手を添えてくれた。そのまま立つように促してくれたので一緒に立ち上がる。


「リージュです。改めてよろしくお願いします」


「ルオラです。こちらこそ、よろしくお願いします」


 そう言って右手を差し出してくれたので、しっかりと握って答えた。


 挨拶をしてから、また横並びの位置に座り直した。


 こんなに色々な話をしてくれるとは思わなかった。含みのある言い方でも、心の内が大体推測出来るから、急に仲良くなれた気がする。何でも話せそうと思うと、話したい事があり過ぎて困る。


 王様と会った時はどうだったの? あいつのどの辺が好きなの? 言葉遣いが丁寧なのは、王様の申し出にいつでも応えられるようにしているの? 死んじゃうと思った時、苦しかった? あいつは鈍感そうだから大変でしょう?

 

 あれもこれも今度にしよう。この数日で、ジオのお風呂が早いのは分かっている。残された時間は少ない。でも焦ってはいけない。ひとつだけ、今聞いておきたい。


「あのさ、戦争で手を怪我した時に治療をしてくれたのは、ジオだったの?」


 答えてくれるだろうか? ルオラの顔を見つめていると、優しい微笑みを保ったまま、一瞬だけ目を逸らせた。そして教えてくれる。


「違います。怪我をして動けなくなった時に来てくれたのは、全然知らない人でしたよ」


「そっか。そうだったんだ」


 これは嘘。そうか。ジオが助けてくれたのか。


「その人とは、そこで初めて会ったの?」


「そうです」


 ほうほう。ジオとは、その時に出会ったんだ。


「そっか。そうなんだね」


「はい」


 楽しい。こういう話をずっとしていたい。でも、今日の所はお終いだ。


「おかえりなさい」


 お風呂屋さんのある方の通りから現れた影にルオラが声を掛けた。彼は、さっきの事を反省して戻った風には見えない。


「ただいま」


 ジオは返事をしながら近づいて来て、わたしとルオラの顔を交互に見ている。何を考えているのか分からないけれど、ろくな事じゃないと思う。溜め息と一緒に声を掛ける。


「はぁっ。おかえり」


「おう」


 彼は短く返事をして、地面に積んであった薪の傍にしゃがんだ。火を点けながら、こちらを時々見る。落ち着かない様子で聞いてくる。


「晩御飯の準備をするよ。何でもいいか?」


「いいよ。その包みは何?」


 戻ってきたジオは、焚火の傍の荷物の上に小さな紙袋を置いた。お風呂に行く前には持っていなかった。


「これか? これは何でもない」


「何?」


 ほんの少しきつい口調で問い質す。


「これは…」


 明らかに誤魔化そうとしていて、口籠ってしまった。ルオラに目配せをする。


「何ですか。ジオさん。晩御飯の材料ですか?」


 意思が簡単に伝わって心地いい。ルオラは聞きたい事を聞いてくれた。


「これは、その、ケーキだ。干し葡萄のケーキが売っていたから買ってきた」


 この男、わたしよりルオラに若干甘いな。わたしが聞いても答えなかったのに。まあいいけれど…。


「いいですね。食後に皆で食べましょう。リージュさんもそれでいいですか?」


 ルオラの笑顔は優しい。声だって優しい。


「いいね。ずっと節約してて、お菓子なんて久しぶり」


 わたしもルオラに笑顔を返す。


「いや、これは、そうじゃなくて…」


 ジオにはいつもの余裕が無い。戸惑いながらわたし達を見ている。それでも何かに気付いたようだった。偉いと思う。


「何かあったか?」


 漠然とした質問だった。


「何も無いよ。ね」


「何も無いです。ですよね」


 わたしとルオラは顔を見合わせてあっさりと返す。さっきの話は絶対に教えてあげない。


「そうか」


 ジオは完全に混乱している。あなたの判断は間違っていなかった。わたしとルオラの仲が上手くいってなかったのは、わたし達が悪い。


 わたしはお菓子が売っているお店を見つけられていなかったから、彼は随分歩き回って探してきたんだと思う。お風呂から戻るのが遅かったし、お菓子で会話のきっかけを作ろうとしたのかもしれない。


 でも一手遅かった。わたしとルオラの問題は、僅かな時間で解決した。声には出さないけれど、有り難う、ジオ。状況が分からず悩んでいるのはごめんなさい。でも教えてはあげません。


 ジオは焚火の傍で晩御飯を作っている。ここは宿からも酒場からも離れていて人通りは無い。焚火の明かりから離れた所は真っ暗で、空には星が輝いている。


 わたしとルオラは荷台の後ろに並んで腰掛けて、足を前後に揺らしながらジオを見ている。


 昨日とはもう違う。わたしが流れ星に願った事は、悩みを相談出来て、何でも話せる人が傍に居ればいいのにだったけれど、もう叶った。嬉しくて涙が出そうだった。

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