第120話 困った奴ら

 少しだけ落ち着いて、ジオの顔を見る。優しく微笑んでいる。


 わたしの横に居るあの子は、立ったままで何かを呟いている。俯き加減で何度も何度も…。声は聞こえないけれど、謝罪の言葉を繰り返しているとしか思えない。


 ルオラも立ったままだが、彼女は泣くのを堪えている。拳を強く握って、顔を下に向けて歯を食い縛って…。


 彼女は、泣き崩れる弱々しさを見せたくないから、涙を堪える。ジオに頼られるような強さや落ち着きを見せたいから、涙を堪える。わたしには出来ない事だった。


 ジオはゆっくりと喋る。声は、さっきより少し大きくなる。


「お前達が無事だったんなら、それで良かったんだ」


 ルオラは黙ったまま答えない。


「どうしたんだ一体? 俺の怪我は酷かったか? もう大丈夫だぞ」


 俯いた彼女は、小さく震えていて返事をしない。


 仕様が無いな…。


 わたしは、困ってしまったジオの方にルオラの体を押してやった。簡単に揺れた彼女の体は、ジオの胸に倒れ込んだ。彼女は泣き出すきっかけが欲しいんだから、わたしが一緒に泣いてあげる。大好きなジオに抱きついて泣いたらいい。


「ジオさん…」


 泣き出したルオラは、彼の名前を一回呼ぶのが精一杯だったみたいで、泣き声はわたしのより大きかった。堪えていて溢れた感情は、暫く止まらなかった。病室の他の人の迷惑とか、今は考える余裕が全く無かった。






 結局、私は頼り無いままです。


 泣かずに平静を保って、「起きましたか? ジオさん」って言うつもりでした。「まだ体を起こさないで下さい。何も心配要りません」って言うつもりでした。「聞きたい事たくさん有りますよね? でも色々上手くいってますから大丈夫です」って言うつもりでした。微笑を浮かべた私は、胸を張って…。


 出てくる言葉はありません。


 ジオさんが無事で良かった事。優しい声がまた聞けた事。森でジオさんに怪我をさせない方法が無かったかと何度も思い返して、苦しい気持ちになる事。治療魔法が使えないから、直接は何も出来なかった事。治療費を出すのは私ではない事。行動の方針を決められていない事。


 目の前の嬉しい事実と、自身の無力さから感じる悲しい事実が混ざり合った感情は、涙にしか変わりません。


「何だ。仕様が無いな…」


 すぐ近くで聞こえる落ち着いた声。小さく震える喉の様子。呼吸の度にゆっくり動く胸。規則正しい心臓の鼓動…。ちょっと待って下さい。近過ぎます。私は、いつ抱きついたんですか?


 ベッドの端に両手を突いて、ジオさんの体から急いで離れます。立ち上がって、背を向けます。何ですか、この状況は? 私、重くなかったですか?


「いつだってそうだが、俺が寝てる間も頑張ってたんだろ?」


 ジオさんは、背を向けて立つ私に声を掛けてくれます。今は振り返れません。顔が熱いです。


「泣かないでくれ。それに、そんなに気を張らなくていいんだぞ」


 そうじゃないです。今は泣いてないです。それに、気丈に振る舞って背を向けたのではないんです。


 起きたばかりのジオさんの方は冷静じゃないですか? これって、どういう事ですか? ジオさんも少しくらい照れていますか? 気になりますが、今は絶対に振り返れません。私の方が入院しないといけないくらいに心臓の鼓動が早いです。


「すぐに起きられるようになるから、また旅を続けよう」


 鏡、鏡は無いですか? 私の前髪、変じゃないですか? ちょっと待って下さい。






 俺はベッドの上で上体を起こし、二人の話を聞く。


 二人の泣いた声を聞いた看護師が慌ててやって来て、様子を見てから控室に戻って行った。日中は様子を見て、夕方に退院らしい。その後は、数回の通院があるそうだ。


「暫くの間、この街に滞在しましょう」


「そうか? もう治ったんだろ? さっき、そんな風に言っていたし」


「駄目です」


 二人の話を聞く限り、組織の関係の事は心配事が大きく減った。しかし、クローの方はどうなっているか分からない。俺が眠っていた数日間には何も無かったようだが、気に掛かる。俺達は、まだ追われる立場だ。


「絶対に駄目です」


 泣き止んだルオラは赤い目をしたままで、きつく言った。


「通院もあるって言われましたよね?」


 さっきそんな事も言っていたか? 大丈夫だ。なんなら立って歩いて見せようか?


「よし、見てろ。大丈夫だ」


 体の向きを変えて、ベッドの端から足を出す。素早く地面に着けて腰を浮かせる。そのまま両足で立つ。上手くいくはずだった。


「うわ、何だこれ。立ち眩みか? うわ、吐きそう」


 立ち上がるのは六日ぶりになるはずだが、これまで十数年、何の不安も無く歩いていた。誰かの治療をする事があっても、俺自身が倒れた事が無かった。狭まる視界と酷い吐き気。倒れないように足に力を入れるが、立っているのがやっとで歩けない。


「ちょっと、ちょっと…」


 聞こえたのはリージュの声だが、支えてくれた手は合計六本。うち二本は力が弱い。この小さな手が伸びてきた事は、意外だが少し嬉しい。ルオラは遠慮気味に手を添えるが、確りと支えてくれている。倒れずに済んだが、すぐには元通りにならない事が分かった。


「ははは…。言うとおりにするよ…」


 見回すと、ベッドの傍には車椅子が置いてあった。これに乗って帰るんだろうなと理解した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る