第17話 瀕死の反撃
ワタシは、間近に迫ってくる蜘蛛を見つめていた。
八本の脚を大きく広げ、迫ってくる蜘蛛。しかし、ワタシに飛び掛かる直前、空中で動きが遅くなった。
死の危険が迫った時、周りの様子が遅くなって見える事があるらしい。友人の冒険者から何度も聞いた。今、それを体感していると思った。
実際は違っていた。
蜘蛛の動きは本当に遅くなっていた。そのおかげで、手で体を守るのが間に合った。矢も弓も手放して、腕を胸の前で十字に組み、防御の姿勢を取る。蜘蛛の牙は手の鎧を壊したが、振り払うようにすると、組み付かずに離れていった。
抱きつかれずに済んで、致命傷を避ける事が出来た。蜘蛛はまた木に登った。
もしかして風の魔法なの?
防御魔法か。
それしか考えられなかった。あの傭兵が使ってくれていたのか…。
体の周りに空気の壁を作って身を守る魔法。本人から離れたので効果は薄く、蜘蛛を跳ね返す事は出来なかったが命拾いした。その効果は一度だけで消えてしまったようだが…。
街に戻ったら、お酒をご馳走するわ。傭兵さん。
急に頭が重く感じる。牙が当たった左手が痺れている。毒かもしれない。
蜘蛛糸に囲まれ、逃げ場は無い。こちらだけ怪我をした。さらに、この毒がこれからもっと効いてくる。状況は悪いが、それでも死ぬと決まったわけじゃない。おかげで肝は座った。
痺れている手をよく見ると、糸が一本くっついている。短剣を抜いて切ろうとするが、柔軟さがあって一回では切れない。何度か短剣を振って、漸く切り落とす。
これはまずい。この糸は、思ったより丈夫だ。蜘蛛を狙って矢を射っても、どこかにある見えない糸に当たってしまって弾かれるかもしれない。
それに、何度も飛びつかれて糸をつけられれば、そのうちワタシは動けなくなるだろう。
糸を切ろうとしている間、蜘蛛は動かなかった。明らかに毒が回るのを待っている。早く蜘蛛を倒さないといけない。それでも、さっきのような焦りは無かった。
ワタシはその場にしゃがみ込み、矢を三本取り出して地面に並べた。
次に、道具袋から長い麻紐を取り出して三等分に切り、それぞれを矢の後端に結ぶ。その次はランプ用の油の袋を出して、その油を紐に染み込ませる。
顔を上げて蜘蛛の様子を見る。
さっきの場所から動いていない。まだ時間はある。
落とした弓を拾って立ち上がり、紐を付けた矢を番える。紐の一方を足で踏んだまま、蜘蛛から逸れた方向を目掛け、一本ずつ弱々しく矢を放つ。
蜘蛛に当てるつもりは無い。三本をそれぞれ別の方向へ向かって飛ばした。矢は弧を描いて空中を飛び、離れた所の地面に落ちた。
矢につけた紐の様子を確認する。
矢は蜘蛛の張った糸の上を飛び、紐を引っ張っていった。矢が落ちた後、その紐は蜘蛛糸の上に交差するように乗った。蜘蛛糸は丈夫で、紐の重さくらいでは切れはしない。
三重、四重に張られた見えない蜘蛛糸に支えられた紐は、矢の飛んだ軌道をなぞるような形で空中に止まっていた。それは蜘蛛糸から蜘蛛糸へ弧を描いて浮いているように見えて、見ようによっては、子供が波を絵に描いたようだなと思った。
三本のうち一本は、たった今、蜘蛛がぶら下がっている糸に引っ掛かっていた。蜘蛛を少し驚かせたが、飛んで逃げる事は無かった。当然だ。この紐自体には危険が無い。
手の痺れがさっきより酷くなってきて、呼吸も荒くなってきた。もう勝負を決めないといけない。
ふらつきながらしゃがみ込み、踏んでいた三本の紐を束ねる。火打石で火を点けると、油の染み込んだ紐は一気に燃え上がった。
蜘蛛には、こんな事を予想出来るはずが無い。
火は、紐を伝って三方向へ進んで行く。
それは、短剣では上手く切れなかった蜘蛛の糸を燃やし、簡単に断ち切って行く。狙った通りだった。一番上の蜘蛛糸が切れると、紐は下にある蜘蛛糸まで垂れ下がり、その蜘蛛糸も焼いて切る。
三本の紐は、周囲の蜘蛛糸を焼き払っていった。蜘蛛の作った巣は崩壊した。
火は、蜘蛛のぶら下がっていた所まで届くと、その糸も断ち切った。蜘蛛は飛んで離れようとするが、飛び移る先の糸はもう無かった。蜘蛛が戸惑いながら落ちていくように見えた。
残りの力を振り絞って立ち上がり、蜘蛛が地面に着地する隙を目掛けて最後の矢を射る。
蜘蛛を守る糸は、火で全部断ち切ったから、矢を弾かれる心配は無い。
もう意識が朦朧としていて、地面に膝をつく。手袋や服についた油が燃えているのを叩いて消そうとする。火が消えたかは分からないけれど、もう意識が保てない。
地面が湿っているのか、周囲の火が大きく広がって行く様子は無い。それは有難い事だった。
小刻みな呼吸が不規則になってきて、もう声が出せそうにない。もう誰かを呼ぶ事は出来ない。ただ、矢が蜘蛛に命中した手応えだけは確実にあった。
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