第89話「躊躇い」

 私は、隠れながら遺跡の様子を見ています。


 武器を使って戦う私は、魔法使いの二人よりも前に立つべきです。


 そう思って遺跡を見つめ、数歩進みます。


 私は、そっちに行きたくないんですよ。嫌な予感がするんです。


 そう思って足元を見つめ、立ち止まります。


 リージュさんも、ジオさんも大丈夫でしょうか?


 私は、絶対に遺跡に近寄りたくないんですよ…。


 私が旅の仲間として必要とされる意味はひとつです。剣士として二人を守るべきです…。


 しょうがないじゃないですか…。


 迷いながら遺跡と足元を交互に見つめ、少しずつ遺跡に近づいてしまいました。私の中の前向きな意思は進む事を選び、後ろ向きな意思は、すぐに遺跡に近寄らないように時間を無駄使いさせています。遺跡はもう目の前ですが、背中を向けて逃げ戻る事も選べます。どうするか決断の時です。


 ジオさんのくれた服は、隠れるのに丁度いいのかもしれません。野生の動物は、こんな柄の毛皮や羽毛を持っていて、簡単に見つからないように隠れます。こんな柄の服は、着た事がありません。軍に居た時にこれがあれば、森での訓練や実戦で役立ったかもしれません。


 ジオさんがこの服をくれた理由を考えます。ひとつしかありません。単純に、見つからないようにという優しさでしょう。これを着て、隠れてついて来て欲しい。そんな風に思っているとは思えません。思えませんが…。


 少しだけ、出来る事をしましょう。


 遺跡の入り口の傍に隠れていて、誰かが出て来た時に話声を聞く。情報を集めておいて、ジオさんに伝える。これだけをしましょう。誰も何も話さなかったら何もしません。そうしましょう。


 遺跡に入った連中から隠れて待ち伏せするのなら、視野に入らない場所がいいです。遺跡の入り口の上に登って、石で組まれた屋根のすぐ上の茂みに潜みます。誰かが遺跡から出て来た場合、私はその誰かの後頭部を見下ろす位置取りです。


 中から出て来てすぐに後ろを振り返る人なんて、きっと居ません。まして、やや上方になりますから完全に死角になるはずです。ここは丁度、草や木でいっぱいですから、ジオさんのくれた服と帽子が役立ちそうです。きっと私に気が付きません。


 あの連中は、中で何をしているのでしょうか? 私は近づき過ぎでしょうか? 本当は遺跡には近寄りたくないんですよ。






 わたしは、心の中で思っただけだった。


「ふん。面白い事を考えるね。お前は」


 わたしが思っただけの事に対して、あいつは意見を言った。わたしの敵は、わたしを簡単に倒せる自信があるから、他所事を考える余裕がある。距離をとったまま話し掛けてくる。


「動物の心ね…。確かに試した事は無かった。そこの奴で試してみようか?」


 この敵は、自らの能力を簡単にばらしてしまった。だからといって、わたしが有利になる要素は無い。悔しいけれど、逃げる以外に選択出来ない。その事実を確信させられた。


 あいつの居る辺りから目線を外し、ダニーの方を見る。ダニーはずっとわたしに寄り添ってくれていて、一緒に後ろに下がっていた。変わった様子は無かった。


 余所見をした間だって、あいつへの警戒を怠ったわけではない。探知魔法で動きは追えている。短剣を投げてきたのは見なくても分かっていたから、体を守るために盾を使う。短剣を弾き飛ばすために、体の前に盾を持ち上げる。


 わたしの盾は大きいけれど、それでも全身を隠せるような大きさじゃない。顔や体を守るように持ち上げると、足の先は隠せない。


「痛っ」


 思わず声が出てしまった。わたしの考えている事は読まれていた。わたしが短剣を弾くのに盾を持ち上げる事が、あいつには分かっていて、二本目の短剣をわたしの足元に投げていた。


 そんな風な連続攻撃をされたら嫌だなと思っていたところだった。一本目の短剣は盾で弾いたけれど、焦ったわたしは体が強張ってしまって、二本目は防げなかった。あいつには簡単な事だっただろう。わたしの嫌がる事を探して実行する。心を読まれると、こんな単純な攻撃さえ防げない。


 盾を使わずに躱そうとしていれば、防御魔法を使っていれば、どうだっただろうか? でもきっと、それも読まれているに違いない。わたしが判断を間違う瞬間を狙ってくるに違いない。行動を先取りして、防げない攻撃をしてくるに違いない。


 今の攻撃は脛を掠めただけだから、少し血が出ただけだった。もし、あいつがその気になれば、わたしは簡単に致命傷を受けてしまうのかもしれない。


「どうかな? 飼い主が怪我をすれば、飼い犬は怒ったりするのかな?」


 あいつの言葉遣いは不愉快だけれど、言い返す余裕は無い。奥歯を噛み締めて堪えるしかない。


 ダニーの様子が変わったのは、その時だった。

 





 こいつは俺に向かって、十回は剣を振った。


 風の魔法で位置が分かるとはいえ、斬りかかってくる見えない剣を弾いたり、まして、手や体のどこかを掴んでねじ伏せる事は難しい。こいつの方がやめるまで躱し続けるしかない。


「いい加減、諦めてくれよ」


 そろそろ限界だろうか? 肩で息をしている子供の姿が僅かに見え始める。立ち止まって動かない。息を整えるのに暫くかかるだろう。


「俺の言ってる事、分かるだろう?」


「う、うるさい。ボクはまだ負けてないんだ」


「特別な魔法が使えるからって、力試しをしたってしょうがないだろ?」


「う、うるさい」


 こいつの剣を持つ手が震えているのは、単に疲れのせいか? それとも、訓練場で人を刺した事を思い出しているのか? 願わくば、あの時の事を後悔していて欲しい。たった今俺自身に斬りかかっている事ではなく、誰かを傷付ける事を躊躇って欲しい。


 しかし、俺の想いは伝わらない。


「中で勝負だ。まだ負けてない」


 そう言って茂みの方に走り出した子供は、そのまま姿を消した。調べるのに近づくと、小さな穴があった。


 これは通気口だろうか? 遺跡の内部に繋がっているのか?


 子供がこの中に入って行ったのは間違い無い。しかし、ここから俺が中に入って行く事は出来ない。罠があると予想出来るし、大人の体格では入れない大きさだからだ。


 追い掛ける必要は無いのだが、俺達がこの森に居る事を報告されると困る。それにリージュが中に潜入している場合、面倒な事になりそうだ。追って行くしかないか。






 私は、音に集中して動かずに待っています。


 遺跡の中から人が歩いてくる気配を感じます。何人かが出て来そうです。帽子を目深にかぶって待ちましょう。


 その数人は、遺跡を出た所で立ち止まります。私が居る事に気が付きません。私に背を向けたままで話を始めます。全員で五人のうち、一人はダークエルフ族でしょうか…。


「今のところ、問題は起きていませんね」


 そう言ったのは、明るい口調の男性です。


「そうだね。君達は、もう少しここに居て欲しい。何かあれば中から人を呼ぶといい」


 返事をしたのはダークエルフ族の女性。手を振って、どこかに歩いて行きます。一緒について行ったのが、リージュさんの言っていた狼ですね。確かにダニーさんにそっくりです。


 残った四人は、入り口の近くに座り込み、周囲を見張っているような素振りです。


 ですが、おかしいです。来ている鎧は体に合っていなくて、どれも大き過ぎるように見えます。いえ、体つきが華奢なのでしょうか…。槍を持っていますが、その構え方も頼り無いです。


 この方達は、兵士じゃありませんね…。そんな人達が鎧を着込んで、ここに居るのは何故でしょうか?


 見当がつきません。しかし、武器を持っている以上見逃せません。ジオさん達の安全を考えると、今のうちに気絶させて縛っておくのがいいでしょうか? 素人で四人なら簡単です。


 四人のうちの一人は、私の方を時々振り返り、すぐに遺跡の正面の方へ向き直ります。ですが、この人の目線よりも高い位置に居るので、簡単には見つかりません。


 それでも、ジオさんにもらった服を着ていなかったら、どうだったでしょうか?


 この服の模様は、どれくらいの効果があるのでしょうか? 周りから見て、私は森の一部に見えるのでしょうか? 相手が訓練を受けた兵士ではなさそうなので、より効果的なのかもしれません。距離は、数歩分しか離れてないです。もしかしたら、すごい効果があるのでしょうか? 面白いです。


 私は、見張りの四人の方にそっと近づきます。数歩の距離をゆっくり詰めます。布が枝葉に擦れて立てる音は、私には大きく聞こえますから心配になりますが、相手には気にならない程度の音のようです。


 遺跡の屋根の端から飛びます。遺跡の前、扇状に並んだ四人全員の背後に着地します。着地の瞬間まで気付かれませんでした。やはり冒険者でも兵士でもなさそうです。


 驚いた四人は、声も出せないようでした。全員の頭を棒で打ち、気を失ったのを確認します。地面に倒れた四人をこのまま寝かせておくのは可哀想です。それに、戻ってきたダークエルフ族の人に簡単に見つかっては困りますから、茂みに運んで寝かせておく事にしましょう。

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