第21話 風の変化

 俺は、リージュが何と言ったか聞き取れなかった。


 風の音が大きくなっていたからだ。


「なんだって。なんて言ったんだ?」


 狼の体重で押えられ、取り出せなかった短剣を漸く腰の鞘から抜き出すと、麻酔が切れる前に狼の首に当てる。まだ時間に余裕はあった。


 突然、強い風で狼の体が揺れ始める。強風で家や巨木が揺れるように…。一瞬だけ狼の重みが無くなった気がした。これが魔法なら、俺のより遥かに強い。もう一度、狼の重みが消える瞬間に合わせて、俺も魔法の風を吹かせる。


 二人の力で狼の体が浮き上がると、立っても手の届かない高さまで持ち上がった。リージュを見ると、閉じていた目を開いたところだった。


「そっちの木に勢いよくぶつけるぞ」


 体を起こしながら、そう言って木を指差す。リージュが頷く。


 大きな音を立てて木にぶつかった狼は、気を失ったようだ。木は折れなかったが激しく揺れていて、葉や枝を狼に降らせる。狼の体は、三分の一くらいが見えなくなってしまった。


 これが本来のダークエルフの風魔法なら、俺の魔法と全然力が違う。呆れるばかりだった。


 狼の手足を縛って動けないようにする。クローの斧が当たった場所の血は止まっているようだった。


 リージュが近寄って来て、自身の腰の帯に結び付けた道具袋から包帯を出し、俺の右手に巻き始める。治療魔法は相手の自然治癒力を高める魔法で、使う本人には効果が殆ど無い。だから俺は、俺の治療が出来ない。骨は折れていないので痛みは我慢しよう。


 目に涙の残る彼女が言う。


「ごめんなさい」


「いやいいよ。殺したくなかったんでしょ」


「狼は悪くない、と思います…」


「その通りだと思う」


 狼の事はいい。重要な方に話を変えよう。


「ところで、動物を操る魔法は仕組みがよく分かっていないが、近くに居ないと上手く操れないのかもしれない」


「急に何ですか?」


「探知魔法を使う余裕はあまり無かったんだが、俺の探知出来る範囲の限界の所に誰か居た気がするんだ」


「宝石を盗んだ犯人、動物使いが近く寄って来ていたかもって事ですか?」


「そう。やっと見つけた」


「あの、昨日ははっきり聞きませんでしたが、風の魔法が使えるんですね。あなたは人族なのに…」


「うん」


「そうですか…」


 そうですか、とはどういう意味か? 俺が変わり者だと言いたいのか? さっき狼を持ち上げた時、自らの魔法の力だけじゃないと分かって落胆したのか…。そんな事は無い。彼女の力は十分強い。


「あの狼を気絶させたのは君の力だ」


 思っていたのと違うが、これが良い経験になったらいいと思う。彼女が包帯を巻き終わると、俺は立ち上がって言う。


「有り難う。よし、他の皆を探そう」


「わたし、追いかけます」


「ん?」


「時間が無いと思うんです」


「確かに無いが、追うのは危険だぞ」


「わたしは戦っていないから怪我をしてません。探知魔法も防御魔法も使えます。だから大丈夫です」


 確かに他の三人は、俺みたいに負傷しているかもしれない。足を負傷していれば追えない。治療には、怪我の程度に応じて時間がかかる。もしかしたら、まだ戦っている途中かもしれない。それにさっきの強力な魔法を見てしまえば、彼女は自身の安全くらいは確保出来るだろうとも思える。


「絶対に近寄るな。気付かれたら逃げるんだ」


「任せてください」


 森に入った初日や昨日に比べると、顔つきが変わっていた。


「この塗料で目印を付けておいて欲しい。こっちも三人と合流して追いかけるから」


 彼女は、俺が取り出した塗料の缶を手に取ると、要らない荷物を置いていくために道具袋の中身を片付け始めた。


「狼も治療してあげて欲しいです。じゃあ、行きますね」


 彼女はそう言って、足元に風を起こして前傾姿勢を取る。大きく足を踏み出して飛び跳ねると、一歩で長い距離を跳ねて行く。家の屋根から隣の家の屋根くらいなら簡単に飛び移れそうな一歩だった。


 すぐに森の奥に消え、見えなくなってしまった。あれなら追いつきそうだ。平衡感覚が鈍いと転びそうだが、器用なものだ。そのうち空も飛べそうだと思った。


 こちらは三人を探そうか。薬の入った鞄を掴んで歩き出した。


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