第61話 それぞれの憂鬱

 六日目の朝、俺が起きると、またルオラが兎を持って佇んでいた。


 夜半にリージュに起こされて見張りをこなし、ルオラに見張りを代わって朝まで眠る。連続して寝た方が良く眠れると思うが、こんな時間割には慣れている。昨夜の見張りの間も何も起きずに過ぎていった。


 朝起きると、ルオラが狩りをしていてくれるのは、これで三回目だろうか。夜行性で警戒心の強い兎を何度も仕留めてくるのは、凄い事だ。疲れているかもしれないから、昼間はゆっくり寝ていてもらおう。


 しかし、俺が声を掛けると驚いたような顔になって、違いますとか、私はとか言いかけて口籠ってしまうのは何故だろうか? 狩りが上手い事を褒められると、照れ臭いのだろうか?


 そのあたりがよく分からない。今日は二羽の兎を片手に一羽ずつ持って、困ったような顔をしていた。可愛らしい兎を狩る事に対して後ろめたい気持ちがあるのなら、言葉に詰まっても仕方の無い事だろうか…。


 荷台から降りて体を伸ばす。朝食の準備をする。荷物を片付けて馬の様子を見る。二人が起きて朝食を済ませたら片付けをして、焚火の始末をする。身支度をして出発する。毎朝のお決まりの手順は体に馴染んでしまって、余所事を考えながら済ます事が出来る。


 この旅は、俺の期待していたものと随分違っている。


 ゆっくりと堅実に進む馬車に揺られながら、長閑な野山の景色を眺めて過ごす旅。夏の終わりの雲が遠くに悠然と並び、近くの鳥の囀りを聞く。


 当然追われているかもしれないのだから全くの無警戒という訳にはいかないが、落ち着いた旅になればいいと思っていた。あの二人にとっても、苦しい逃避行になってしまうより、少しでも楽しみが出来ればいいと思っていた。


 問題解決の糸口は全く掴めていない。


 昼間だって、お決まりの手順が出来上がっていた。順調に馬車を進め、時々止まって森に行く。食料を探して薪を集め、水を汲む。この時にはルオラかリージュのどちらかと二人きりになるが、上手く声が掛けられない事もお決まりになりつつある。


 野宿をする事と宿場町に泊まる事を一日おきに繰り返し、町では無駄使いの無い買い物をする。この事にも慣れてしまって、目的地の第二都市まで問題無く着きそうではある。


 旅をする事自体に心配が無いのなら、そろそろこの問題に対し向き合おう。


 馬車を操縦しながら後ろを振り返る。二人の様子を見てから正面に向き直る。大きく息を吸い込み、そして、ゆっくり吐き出す。


 こうしよう。今日の移動も順調なら、夜はまた宿場町に着く。そこで何か甘いお菓子でも探そう。何か食べながら話せば、上手くいく気がする。

 

 リージュとルオラ、それぞれと話して、彼女達が仲良くなれるように諭してみよう。そのためには何か珍しいお菓子でもあればいいと思う。






 私は溜め息を隠すのに必死です。

 

 兎の事は、ジオさんにまだ相談出来ていません。急な事だと慌ててしまって、上手く説明出来ないのは悪い癖です。いつか治さないといけません。


 三度もあれば、兎の事はもう偶然では済みません。


 食べても問題ありませんから悪意は無いようですが、私達に付きまとっている何者かが居ます。今朝は見張りをしている最中に少し遠くに気配を感じて、息を殺して近づいて行ってみたのですが犯人には逃げられてしまいました。


 明るくなってからその場所を見に行って兎を見つけました。改めて思うと、かなりの危機感を感じます。クローさんという人の関係者でしょうか? それとも例の組織の追手でしょうか?


 三人が寝ているところを襲ってきたわけではありませんし、私の感覚では一人のように思います。今晩、宿場町に着いたら、ジオさんと二人の時に相談しましょう。


 兎のおかげでもありますが、この旅の食費の節約は思い通りになっている気がします。


 私達は、自分達の昼食のために馬車を止めたりしません。馬の休憩のために止まり、その間に森で木の実を探し、移動しながらそれを食べています。慣れると案外快適です。


 昨日の夜、何故、私は彼女に話し掛けてしまったのでしょうか? 話し掛けないと決めたはずだったのに…。


 流れ星にお願い事をする風習は、人族でもダークエルフ族でも同じみたいです。


 彼女のお願い事の内容は分かりませんが、私のお願い事はひとつです。ジオさんと仲良くなりたいです。でも、昨日の私は、何故、違うお願い事をしたのでしょうか? 私は私が分かりません。






 今日の昼間、わたしはずっと考えていた。


 揺れる荷台で寝たふりをしながら考える。


 昨晩、あの人に返した言葉は、あれで良かったのかどうか。きっと悔しがるよ、わたし達に文句を言うと思う、文字に直したら僅かな言葉だった。その言葉が何度も頭の中で繰り返される。もう一度話す事を考えないといけない。


 ジオが唐突に馬車の操縦をやってみないかと言うので、やってみる事にした。


 御者の席に座り、馬の背中と道の先を見つめると、随分景色が変わった。いい気分転換になりそうだと思ったけれど、考える事は同じだった。頭の隅に、昨日の事がずっと在る。


 組織から逃げるこの旅は始まったばかりだけれど、いつ終わるのだろうか? 


 案外すぐに終わってしまうのなら、こんなに悩んで彼女と仲良くならなくてもいいのかもしれない。考えれば考えるほど、わたしの負担になっている。楽になりたい。逃げ出したい。


 以前はもっと前向きに物事を考えられたと思うけれど、今は出来ない。紋章のせいで死の恐怖を感じてから、余計に駄目になった。


 荷台で寝ていたジオが起きて操縦に戻ると言うから、代わってまた荷台に戻る。すぐ横の荷物の向こうに彼女が居る。荷台で馬車の後方に顔を向けて、遠ざかる景色を見ながら考える。


 宝石の事も組織の事も、まだ何も解かっていない。この旅は、暫く続くのかもしれない。追われているわたし達は、協力し合わないといけない。喧嘩なんてしている場合ではない。


 調子良く進む馬とは反対に、わたしの気分は重い。夏は終わりが近いとはいえ、昼間はまだ暑い。夜になって涼しくなればもう少し前向きになれるだろうか。



 宿場に着いてすぐ、町を見て来ると言って一人になった。夕暮れが近い時間だった。この宿場は、出発した街からも目的地の街からも離れているから、少し活気が無い気がする。


 西日が差し、影が色濃くなる風景が余計にそう思わせているのかもしれない。でも、今はその方が過ごしやすい。馬車を停めた近くを一回りして戻ると、ジオが出掛けていてあの人しか居なかった。

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