第23話 湖と敵

 わたしは、動物使いを追いながら考える。


 狼の下敷きになっていた時は頼り無さそうだったけれど、彼はちゃんと切り札を持っていて、本当は一人で敵をやっつけられた。その立ち回りには憧れる。


 他の人達もきっと何か隠している。これから、わたしも同じようにしないといけない。自力で敵を追って捕まえたい。


 風の魔法を使って速く走る。足を動かす速さは変えられないから、自身の背中を風で押すようにして低く遠くへ飛び跳ね、一歩一歩の歩幅を広くする。


 森の中の道無き道を行く。


 背の低い木、倒れた巨木、岩、地面の大きな窪みも全部飛び越えて走る。時々立ち止まり、息を整えてから探知魔法を使う。遠く離れたところに誰か居る。


 わたしが立ち止まっていると、少しずつ離れていく。敵が走る速度は大して速くない。十分に追いつける。寧ろ、近づき過ぎないようにしないといけない。


 また追いかけ始める前に、塗料の缶を道具袋から取り出し、手近な木の幹に色を塗る。


 蓋を開けてから、その辺の木の枝を拾って缶に突っ込み、何も考えずに塗ってから蓋を閉める。枝は使い捨てでいいし、塗るのは簡単だけれど、蓋の開け閉めが手間だった。面倒なものを渡されたと思った。


 缶の中の塗料が少しずつ零れずに出て、手が汚れない道具を作って欲しい。はあ…。


 溜め息をついてから、さっきより遅めに走り出す。そしてまた考える。


 敵は今何を考えているのか? 準備した動物を全て倒されて、慌てて逃げているのか? それとも罠を準備していて、そこに誘うために移動しているのか? 罠があったら危ない。敵が止まったら何かしている証拠だと思う。近づき過ぎないようにしよう。


 しかし、慌てているかどうかは探知魔法では分からない。観察するためには、姿が見えるくらいに、ある程度は近寄らないといけない。


 敵はどこに向かっているのか? 隠れ家にしている場所か? それとも、とにかくわたし達から離れようと走っているのか…。進路も確かめないといけない。


 地面を強く蹴って垂直に飛び上がる。風で体を押し上げる。次に、頑丈そうな水平の枝を蹴って、もっと上に飛ぶ。風の魔法でなければこんな事出来ないだろう。


 枝を三本程蹴って、木の上まで飛び上がる。木の上の方は、細い枝や密集した葉が飛び上がる邪魔をするが、気にしてはいられない。目を閉じて手で体を守り、勢いで強引に突破する。


 森の木々が見下ろせるくらいの高さに飛んで、落ち始めるまでの短い間に遠くを見渡す。クローが言っていた湖が見える。


 およそ湖の方へ進んで来たようだ。ほんの少し空が白んで来ている。まだ暗いけれど、もうすぐ夜明けだ。水辺の広場に出れば、視界が開けて罠は見つけやすいだろう。勝負するならその場所で、と思う。


 わたしはどうしたらいいか? 仲間を待って、集まってから敵を捕まえるべきか? 準備していた切り札を使って先に戦うべきか…。


 仲間はみんな怪我をしているかもしれない。追いつくのも間に合うか分からない。動物が近くに居なかった時だけ戦おうと決める。その決断の時は、もうすぐだ。


 敵の移動速度が遅くなってきたので、こちらも速度を落とす。


 湖が近くなってきた。音を立てないようにして、気配をうまく消さないといけない。頭を低くして進む。後姿が小さく見えるくらいの距離を保ってついて行く。もう探知魔法は使わない。


 歩いたり止まったりして追い掛けるうちに、敵は先に森の中を抜け、湖の傍に出た。こっちは森の中で立ち止まって、湖の方を観察する。


 飛び上がった時に見えた通り、湖の近くには木が生えておらず、障害物の無い広場のようになっている。身を隠せるような岩も無い。森から出て戦うとしたら、闘技場で行う決闘のようになるだろう。


 森の中から敵の様子を見る。


 湖の傍に立つ男が見える。こちらを向いているが、俯いていて表情は見えない。分厚そうな鎧は身に着けていないし、盾も剣も持っていない。周りに動物は居ない。

 

 この男が盗賊で、動物を操る魔法使いなのか確信は無い。しかし、森には他に人の気配が無かった。


 湖に背を向けて、こちらを向いているのは偶然なのか? わたしに気付いているのか? どちらか分からない。心臓の鼓動が速くなる。立ち止まってから随分経つけれど、呼吸が荒くなってきた。汗も止まらない。


 でも決断しないといけない。深呼吸をしよう。


 逃がさない。観念しなさい。


 心の中での呟きは、わたしの迷いを表している。


 わたしが盗賊を逃がさないのか?


 差し迫った状況がわたしを逃がさないのか?


 盗賊を観念させるのか?


 わたしが観念して戦うべきなのか?


 わたしは誰に向かって呟いたのか…。ただ、戦う決意だけは間違いが無かった。


 木に隠れたまま魔法を使う。


 広場に風を起こして、弱い竜巻を起こす。砂煙を舞わせて、目を閉じさせるためだ。その竜巻を男の方に近づける。俯いた男は笑い出した。そして大声で叫ぶ。


「これは誰にも渡さん」


 何の事だろうか? 盗んだ宝石の事か? わたしが追って来ていると気付いていて、わたしに言っているのか…。


「手に入ったのは運命だ。他の誰にも使いこなせない」


 何の意味か解らない。砂煙が到達し、男は顔を腕で覆った。先手を取って倒してしまおう。相手は十分な防具が無いから、身を守る術が無いだろう。


 わたしはしゃがみこんで、道具袋から太い鉄の釘を取り出す。風の魔法で目線の高さに六本並べて浮かせると、尖った方を相手に向けて風で勢いよく飛ばす。


 拾った石を飛ばしてもいいのだけれど、形が不揃いで曲がった方向に飛んでしまい、うまく命中しない。弓を使わずに矢を飛ばす事も試したけれど、矢を隠して持ち歩くのが不便だった。


 あれこれ悩んで、これにした。同じ形の釘で何度も練習している。ただでさえ小さくて見えにくいのに、薄暗いとほぼ視認出来ない。これで倒せる自信があった。


 男の後ろ、湖の水面が波立つと同時に黒い影が浮かび上がる。


 大きくて素早い影は、水から出ると男の前に身を乗り出す。這いつくばったそれは、男の体より遥かに大きく、こちらから男が見えないように隠してしまった。撃ち出した釘が跳ね返る音がした。わたしが何か仕掛ける事は、男に読まれていた。


 森の中で木に隠れたまま、観察する。

 

 相手が反撃してくる様子は無い。何も出来ないうちに徐々に空が明るくなってきた。湖の周囲も明るくなり、敵の様子が見えてくる。あの動物はなんと言う名前だったか?


 初めて見るが知っている。黒ずんだ体に大きくて長い口、鋭い歯、そして長いしっぽ。


 ワニ。


 小さい頃見た図鑑にはそう書いてあった。絵の横に書いてあった解説では、こんなに大きくなかったと思う。やはり魔法で大きくしているのか…。


 男の前に横たわる胴体は、男の背より高くて、男の頭の先も見えなくなってしまっている。向かって左に大きな口、右に長いしっぽが見える。


 口の先からしっぽの先までは、とてつもなく長く、一人だけでなく何十人も隠れていられる大きさだ。全身が鎧のような鱗に覆われていて、剣も槍も刺さりそうにない。背中には尖った鱗が生えていて、安易に背中に飛び乗ったら怪我をしそうだ。ただ、動き出す様子は無く、待ち構えているようだった。


 状況証拠しか無いけれど、宝石を盗んだ盗賊と、動物使いと、動物を大きくしている魔法使いは同一人物で、目の前のこいつだ。


 男が逃げ出す気配は無い。森の中にわたしが居る事は確信したと思う。でも、他に追手が居ないか様子を見ているのだろう。姿は見られていないと思うけれど、ワニが突進してこないとも言えないので、少しだけ森の奥に後退する。


 わたしには、もう打つ手が無い。


 切り札の飛び道具はワニに効かなかった。風で吹き飛ばして地面に叩きつけようにも、ワニは大きくて重過ぎる。ワニが壁みたいに動かないでいてくれたら、飛び越えて剣で斬りつけてやるのに…。


 そう思っても、実際には無理だ。近寄ったら口で丸呑みにされるか、しっぽで吹き飛ばされるかどちらかだろう。どうすればいいか分からない。時間が過ぎて行く。


 急に後ろから手が伸びてきて口を押えられる。


 心臓が止まるほど驚いた。運良く止まらなかった心臓が激しく鼓動する。伸びてきた手を両手で掴んで引き剥がそうとするが、無理だった。さらに、もう片方の手が伸びてきて体を押さえられ動けない。


「待て待て、落ち着け」


 聞いた事のある声。ジオだった。囁き声が続く。


「あれは何だ? 動物使いはどこだ?」


 口を押さえられては説明出来ない。


「放すぞ。大声を出すなよ」


 やっと解放された。心臓は激しく鳴っている。まだ質問が続く。


「あのでかい奴の後ろに居るのか? お前は見つかって隠れてるのか、見つかる前に隠れてるのか、どっちだ?」


「み、見つかってます。後ろに居ます」


 なんとか声を出した。


「俺はワニを初めて見たが、あんなのなのか?」


 ジオもワニを知ってはいるようだが、わたしと同じで本物を見た事が無かったようだ。大きさに違和感を持った様子だった。当然、戦った事など無いだろう。二人で並んで敵を見つめる。


「このまま待ってれば敵の魔力が切れて、ワニが元の大きさに戻ったりしないだろうか?」


 ジオの願いもわたしと同じ。このままでは戦えない事を意味している。


「時間切れは無い。もしくは待てないほど長いよ。多分ね…」


 追いついてきたクローが合流し、分かったような事を言う。クローは、数歩離れた所で止まって、そこから寄って来なかった。ジオの顔色が変わって、警戒を隠さない目つきに変わったのが見えた。

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