第79話 進み始めた馬車
わたし達の馬車は、もう一度進む事が出来るようになった。
馬車の前、本来は馬が居るはずの位置に狼が立っている。予備の手綱は無かったので、狼の前足の横にジオが立って、馬具を引っ張って前に歩き出すように促した。狼はまるで馬車を引いた経験があるかのように荷車を引き始めた。
わたし達は西の方角に進んでいるから、朝日は後ろの方から昇って来る。夜明け前の時間に馬車を走らせる事なんて無かったから不思議な感覚だった。
狼の馬車はゆっくりと進み、その間に空からは星が消えていく。少しずつ白んでくる東の空からは遠ざかって行くはずだけれど、もう朝日に追いつかれそうだった。それでも、町に近づいて行く事がとても嬉しかった。
御者の位置に座っているけれど、手綱が無くてやる事が無いジオは、狼の様子を見ていて何の心配も無いと思ったようだった。狼の歩調は一定で、本物の馬に引かれているようだった。
わたしとルオラは、荷台のいつもの場所に座っていた。追手の心配はもう無くて、色々な事がうまくいき始めていた。
なんとなく朝日が昇って来ているのを感じたジオが、振り返って話し掛けてくる。
「多分、狼は毛皮が厚いから、昼間に馬車なんて引いたら暑くて死んじまうぞ。日が高く昇る前に宿場に着きたいな」
わたしはジオに怒っている事があったから、この言葉は無視してやった。代わりにわたしが言いたい事を言ってやる。
「あのさ、ジオの作戦、最後は滅茶苦茶だったでしょう? わたし、最後に剣士に背後を取られて殺されそうだったよ」
ルオラも思う事があったのか、この話題に乗ってくる。
「急に凧が燃えながら落ちてきて、死ぬかと思いました」
「そうだよね、もっと言ってやってよ」
わたしは、ジオが謝るまで追い詰めるつもりだ。
「あと、背後から鉄の粒が高速で飛んでくるとすごく怖いです。今度からなるべくやめて欲しいです」
急にわたしの旗色が悪くなった。ジオを問い詰めるはずだったけれど、失敗したかもしれない。
「ジ、ジオの作戦が悪いんじゃない? わたしはあの武器を使えって言われただけだし」
「俺が悪かったか? まあ、上手く敵を倒せたからいいだろ?」
今回は、ジオは本当に囮になるつもりだったのかもしれない。追手がもっと大人数だったら、結果は分からなかった。
わたしが背後を取られた時、ジオが気付いていても、どうしようもなかったのかもしれない。緊張したあの状態では手出しが難しいし、油断したのはわたしだ。やっぱり、ジオを責めるのはやめておこう。
さっきまで一番心が穏やかではなかったのは、ルオラだ。ジオの事が心配で仕方無かったに違いない。
あの作戦の結果は、わたしの動きの良し悪しにかかっていたから、わたしまで取り乱さないように彼女は我慢をしていた。彼女はずっと、落ち着いたふりをしていたのだ。
彼女とはもっと色々な話をして、もっと仲良くなりたい。そのためには、今は邪魔をしない事。
「そ、そうだね。作戦は良かった、良かったよ。わたし、少し疲れたから寝ようかな。おやすみなさい」
目が覚めると宿場町に着いていた。時間は、まだお昼になっていないくらいで、太陽は真上くらいの高さだった。
いつもだったら夕方に到着するはずで、普段は見られない町の姿が見える。起きる時間を間違えたのか、慌てて町を出発していく一台の馬車が目に付く。
旅人を送り出した町は、日中なのに静かで、夕方に到着する旅人を迎えるまで眠るのだろうか?
旅人が居なくなった路地を無言で掃除している人、汗をかいて洗濯物を出してくる人、眠い目をこすって宿の従業員通用口から出てくる人、誰かをもてなすような空気は無い。
陽射しが明るいけれど人気の無い宿場町を見ていて、わたしは本当にただの旅行をしているような気分になった。わたし達の旅がまだ続くと思うと、今は楽しい気持ちで一杯になっていた。昨晩に怖い思いをした事も忘れて、とてもいい気分だった。
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