第107話 残酷な推理

 今日のわたしは、朝から病院でジオに付き添う。


 といっても病院の待合室に座って居るだけで、すぐにやる事は無い。組織の誰かがまた来ないかを警戒し、体を休めながら考え事もする。


 ルオラはやりたい事があるみたいだから、わたしは仕事を探そう。


 ジオの治療代は、謝りに来た組織の連中に払わせたらいいんだ。


 ジオが怪我をしてなかったら、どうしたかな?


 仕事を選ぶなら、なるべくその日だけで終わって、その日にお給料がもらえるものがいい。


 組織には、治療代以外にも迷惑料も請求してやらないといけない。


 ダニーは、どうしているかな?


 少しだけれど、街に着いてすぐに仕事探しに歩き回っておいてよかった。仕事の募集の様子がなんとなく分かる。明日はルオラと交代して、少しでもお金を稼いでこよう。


 廊下を見つめながら考え事をしている最中に、優しい看護師さんが話し掛けてくれる。


「大変ね。これ、よかったらどうぞ」


 紅茶の匂いがして、顔を上げる。


「休憩中で、少し多めに作ったから。食器は後から引き取りに来るから、感想も聞かせてね」


「あ、有り難う」


 優しい彼女は、小さく笑って控室に戻っていった。


 いい匂いのする紅茶を顔に近づけて、ゆっくりと香りを吸い込んでから、飲まずに机に置く。


 街を歩き回っているルオラと動けないジオに申し訳無い気持ち。それがあって、すぐには口をつけられない。それでも、看護師さんに感謝しないといけないし、温かいうちに頂く方がいい。こういう時は考えない方がいい。


 机から器を持ち上げて紅茶を口に含んだ時、廊下に目を引くものを見つけた。


 階段の所から廊下に姿を現したのは、一昨日、連れ帰れなかった子供。ジオが守ろうとした子供。幻の魔法を使い、何度もジオを襲ったという子供だ。


 これはいけない。


 ジオの居る病室に近付いて来るのだから焦る。紅茶を机に置いて、待合室を飛び出す。大きく息を吸って廊下を走り、子供の目の前で止まる。右手を振りかぶって、殴りかかろうとする。


 しまった。これが幻だったら、わたしの右手は空振りだ。


 誰かを叩いた事なんて無いから、大した威力の無い右手の拳。これが空振りになったら、今度はわたしが危険だ。寸前になって、実体がある事を探知魔法で確認する。確かにそこに居るのは、間違いが無かった。


 わたしの目に映ったのは、反射的に両手で頭をかばう子供。怖がって、少し身を捩っている。躱して反撃とか、受け止めて投げ飛ばすとかあり得ない、弱弱しい姿。わたし達を襲ってきたようには思えなかった。


 わたしは、この子が襲ってきたところをしっかり見ていない。だから、ジオとルオラに比べて、この子に対する悪い印象はあまり無い。二人が言うから、敵だと認識しているだけ…。


 そんな子が、わたしの弱そうな拳を怖がっている。当然だが、事情を知らない病院の人達の誤解も生む。この状況は、わたしが拳を引っ込める理由を作った。


「あんた、何しに来たの?」


「………」


 立ったまま俯き、答えない。


「わたし達を襲おうとして来たの?」


「………」


 立ったまま俯いているが、首を少しだけ横に振ったように見えた。


「黙ってたら、分からないでしょ?」


「………」


 泣き出すのを我慢しているみたいに、鼻で息を吸ったのが分かった。


 わたしの腰くらいの高さしか無い子供の身長。それを見下ろすわたし。𠮟りつける大人と叱られる子供。静かにしているべき病院の廊下。わたしの立場は、とても悪い。


「はぁっ…。こっち来て」


 仕様が無い。この一言に尽きる。もし、少し年の離れた妹か弟が居て、機嫌を損ねてその場を動かなくなったらこんな風なのだろうか? 世の兄や姉達は、大変だなと思った。


「行こう。こっち…。待合室で座ろう」


 わたし達が占拠して二日目の待合室。前例があるからなのか、看護師さん達は優しい。部屋の真ん中に置かれた長椅子の両端にそれぞれ座り、落ち着くまで数分待つ。


 冷め掛けている紅茶は、まだいい匂いを漂わせていて、この子を落ち着かせるのを助けたかもしれない。


「ちょっとは落ち着いた?」


 大人に聞くような聞き方をしてしまって、失敗したと反省する。


 ああもう、やりにくいな。


「森で怪我をしたでしょう? 痛くなかった? もう治った?」


「………」


 椅子に座っても、俯いたままの様子は変わらない。小さな肩掛け鞄の紐を確り握りしめて動かない。ただ、小さく二回頷いたように見えた。


「森で手当てをしたの、あいつだから」


 わたしは、口調が少しきつくなっていた。苛立って当然だ。しかし、ジオに怪我をさせたのは大男で、この子ではない。この子はジオに付きまとっただけ。聞いた話だけれど…。


「あいつ、大怪我して、大変で…」


 泣きたいのはこっちの方だ。わたしだって俯いていたい。


 俯いたままの子供は、小さな手を鞄に突っ込み、何かを探し始める。


 出てきたのは、小さな革袋。中身は、金貨二枚と銀貨数枚、銅貨もあった。それを長椅子の座面に置く。


 次に出てきたのは、指輪が二個。その次が、布で出来た花の形をした飾り。


 全部を並べてから、両手を握って膝の上に添える。また俯く。口を動かしたみたいだけれど、声が小さくて何も聞こえない。唇も見えないけれど、頬の動きから読み取って、ご免なさいと言ったように見えた。


 これ、この子なりの謝罪なんだろうな…。


 問い質したって答えてくれそうにないから、わたしが推理するしかない。


 昨日ここに来たというダークエルフは、ジオが入院している事を把握し、帰ってから報告した。それをこの子も聞いた。ジオが怪我をした事に対して、自身に原因があると聞かされたか、或いは、感じ取ったこの子はお見舞いにやって来た。この推理は、大きく外れていないだろう。


 組織が森で活動中にわたし達が被害を受けたんだから、もしもジオの怪我の事でお金を受け取るとしたら、組織から受け取るべきであって個人からではない。この子はそれが分からないから、自身の手持ちのお金を治療費に充ててもらおうと持ってきた。これだって容易に想像出来る。


 子供が不始末を起こしたら、親が一緒に謝罪に来る。わたしだって一緒に謝ってもらった事があって、その方が自然だ。今ここに、この子の親は居らず、代わりに指輪が二個。


 どう見ても結婚指輪だよね。これ。


 この子が大人になった時のために準備されたものか? そんな想像よりも、もっと単純で残酷な答えが簡単に思いつく。


 はぁ…。もう居ないって事ね。


 指輪をそれぞれひとつずつ指に嵌めていた二人は、もう居ないから一緒に謝りに来ていない。亡くなった誰かの形見を受け取って大事に持ち歩くなんて、よく聞く話だ。銀か白金で出来ていそうな指輪は、売ればそれなりのお金に変わる。これも治療費に充てて欲しいという事だ。


 お見舞いというと花だけれど、これ、そうじゃないよね…。


 誰がいつ作ったのか分からない小さな花の飾り。赤と黄色の布で出来た飾りは汚れていて、それなりの古さを感じる。小さい子をあやすのに親が作った手作りの玩具。無くさないように持ち歩いていた大事な物。


 この子にとって、お金と同じくらいに価値があると思って差し出した治療費の代わり。これは少し想像力が豊か過ぎるかもしれないが、あり得ないとは思わない。


 こんな風に思ってしまったら、もう他の想像は出来ない。座っている子供の前にしゃがみこんで、優しく両手を掴む。怯えるように体を小さく逸らしたから、一度手を離す。


「大丈夫」


 そう言って手を掴み直し、ゆっくり動かして両手で水を掬うような形を作る。わたしは椅子の上の全部を優しく両手で掬い上げ、この子の両手に返す。


「あいつ、ジオっていう名前なんだ。まだ寝てる。起きたらね、お姉ちゃんと一緒に謝ろう。お姉ちゃんも謝らないといけないんだ」


 遺跡の中でこの子の治療を優先したジオは、きっと怒ってなんていない。謝る事は、この子にとっての区切りでしかない。けれど、とても大事な事だ。お金を差し出す必要は無い。この子は、ジオが目覚めるのを一緒に待っていて欲しい。


 この事以外に気になる事がふたつ。


 わたしが悪い事をして反省したとして、持ってる大事な物を何もかも差し出すなんて事を考えるだろうか? まして、家族の形見を差し出すなんて…。


 三度もジオを襲った事をたった一日かそこらで猛省した変わりようは、やや不自然だが共感出来ない訳じゃない。小さなきっかけで大きく考えが変わる。後悔して、反省する。


 きちんと考えられる子なら、出来ない事じゃない。同じ年の頃のわたしは、きっとしなかっただろうと思うと、反省の深さが想像出来る。頭のいい子に違いない。


 大事な物を全部手放した後、この子はどこに行くつもりだったか?


 この想像は、わたしを憂鬱にさせる。単純に組織に戻るとは思えない。どこか違う居場所があるとも思えない。俯いた顔を上げて前向きになれるまで、生活の面倒を見てくれる誰かが居るのか? 居ない場合の行き先なんて、悲しい結末しか…。


 今は、ルオラの声が聞きたくなった。


 魔法でも道具でも、方法は何でもいい。例えば、街のどこかを歩いているルオラが、離れた場所に居るわたしの呼び掛けに気付いて立ち止まる。そして話をする。顔は見えなくても仕方無い。声だけ届けて、声だけ聞ければそれでいい。それが出来ない今は、思いつめながら一人で耐えるしかない。


 この子が話してくれないから、殆どがわたしの妄想かもしれない。それでも何もしないという選択肢は選べなかった。


 俯いたまま動かない子供は、何もかもを手に持ったままだったから、わたしが丁寧に鞄に戻した。その後は、真横に並ぶように座り直して、どこかに行かないように手を握っていた。ルオラが戻るまで何も話さなかった。

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