第69話 疲れた男

 朝になり、俺達は出発の準備をする。


 俺達が食事を済ませて焚火を消し、馬車に荷物を積んでいる時だった。旅は十一日目、いつも通りの朝だった。その男は、俺達の来た道を歩いて来たようだった。夜通し歩いてきたような疲れた髭面をしていた。


「済まない。済みません。水をもらえませんか」


 男は俺達を追い越して行かずに馬車の傍に座り込み、話し掛けてきた。


 同じ方向に進む誰かに会うのは、旅が始まって以来初めてだった。ルオラとリージュは、顔を見合わせてから荷物を置き、武器を手に取れるように身構えた。黙ったままで、俺に会話を任せてくれている。


「水はやる。飲んだら行け」


「済まない。済みません」


 男の取り出した器に水を注ぐ。男は器を口に当てると、大きく傾けて一気に飲み干した。傾け過ぎて、器の端から水が零れていた。服の首周りを濡らした男は、一息ついてから喋り出す。


「馬に逃げられてしまって、ずっと歩いて来たんだ」


「そうか。災難だったな。道は間違ってないから、このまま歩けば町に着く」


「あんたらも町まで行くんだろ? その、乗せて行ってくれないか」


「俺達は、お前の来た方に行くんだ。逆方向だ」


「そんなはずが無い。馬車の向きはあっちに向いてる。俺は商人だ。乗せてもらえれば礼はする」


「俺達はお尋ね者じゃないが、他人と慣れ合って旅してるわけじゃない」


 俺がきつく言うと、男はたじろいだ。


「頼む。このとおりだ」


 男は立ち上がって深く頭を下げた。俺は、この男がただの間抜けな奴だと思っていた。馬を逃がしてしまった不器用な奴だと…。完全に油断していた。


 きつく言い放った後に俺が男から顔を背けたから、食い下がる男は俺の正面に回り込んできた。そこは馬車の横だった。男は不自然な動きをせずに俺達の馬車の傍に移動していた。俺には本当に偶然に見えた。


 頭を下げていた男は、素早い動きで馬に近づき、馬と馬車を留めている金具を外して馬に跨った。こいつは馬泥棒だった。始めから狙いはひとつで、慣れた動きだった。ルオラもリージュも俺も、同時に危機に気付き行動した。


 ルオラの投げた鍋は、男の後頭部に向かって真っすぐ飛んだが躱された。俺とリージュは風の魔法を使い、男を落馬させようとしたが遅かった。逃げられてしまった。


「済まない」


 俺は二人に謝るしかなかった。


「ジオさんのせいじゃないです」


「一言も話を聞かずに斬っちゃえば良かったね」


 ルオラは慰めの言葉を選んで言った。リージュは極端な事を言って、俺の罪悪感を消そうとした。どちらも有り難かったが、俺が油断したせいだ。


「じゃあ、ちょっと行って来る」


 二人に声を掛けて近くの村に向かう。来た道を少し戻ったところに脇道があったのを覚えていた。その先に小さく家が見えた事も。走って行って、馬を譲ってもらえないか交渉に行く事にした。


「近くの森で、薪集めとか食べ物探しとかして待ってるね」


「気を付けて行って来て下さい」


 リージュとルオラに馬車と荷物を任せて出発した。


 俺は走りながら考える。あの男は、ただの泥棒だろうか?


 俺達をずっと追って来ていて、ここで立ち往生させようと馬を盗んだのだろうか? 


 追手の集団のうち、あの男一人が先行して足止めし、本隊が追いつく算段かもしれない。それならば追いつかれないように早く出発したい。或いは、道を外れて隠れていて、本体を追い抜かせてしまいたい。上手くいけば、いくらか安心して旅が続けられるはずだ。


 クローの追手であっても組織の追手であっても、俺達にとっては危険な存在でしかない。二人を守るためにも、早く馬を手に入れて馬車の所に戻りたい。


 そこは小さな村だった。大きな井戸のある広場を中心に数十軒の農家が並ぶ。馬小屋があり、何頭も馬が居そうだった。この際、なんなら牛でもいい。村人に話し掛けると、村長の家に案内された。

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