第120話 妻のファッションへのこだわりと水着の不思議。

前回の話の終わりに、ちらっと私の妻のファッションについて書いたが、佐藤宇佳子さんからコメントがあった様に、妻はあまり流行に押されないタイプだった。南部で育ったためか、どちらかというと控えめな服を好んでいたと思う。例の高校最後のダンスパーティーでも、丈が短かく足を見せるドレスか、胸の大きく開いたドレスを好んでいた多くクラスメイト達とは異なったドレスを選んだ。妻よりももっと古臭い母親(義母)と一緒にドレスを買いに行ったせいかもしれないが、本人はそれで十分納得していたと思う。確かに義母はもっと保守的なドレスを買わせようとしたらしい。それに比べ、周りの友人の親達までが、もっとはちゃけて良いと意見してきたのには、妻は怒っていた。これがその頃の北部の常識と南部の常識の差だったのだろう。今では、この常識が逆転しているかもしれない。私は、妻が着たいものを着てダンスへ行けばそれで良いと思っていた。


米国では女性はズボンを履くべきでないという人間もいた(特に南部では)。女性は、いつも丈の長いドレスを着るべきだと。今でも、やはりキリスト教の教えがなんとかで、日本でもお馴染みのエホバの証人の勧誘にやってくる奥様達のような格好をしている女性もいなくはない。私の妻は、あまりスカートを履かない。幼い頃は、親と共に日曜日にはドレスを着て教会へ言っていたらしい(子供は教会でもやや短めのドレスでもOK)。大人になってからも、教会へ行く機会があれば、普通にドレスは着ていた。もちろんミニスカートのドレスではない。ドレスも数多く持ってはいなかったが、何かの機会に必要があれば着れるれる様に持っていた。大体、友人や親戚の結婚式に出られる様なドレスで、少ないと言っても、数は私の持っていたスーツの数よりはかなり多かった。米国では葬式でも、ちょっと控えめなドレスで出席する(黒付目ではないのだ)。日本では、母が礼服を買って与えてくれたが、一緒に買いに行って、日本人様なのでサイズがうまく合わない(胸とお尻がデカすぎる)と母は笑っていた(妻は白人にしてはそんなにがでかい方でもないのだが、その頃の日本人女性の標準よりは大きかったのだろう)。その上、足が長すぎて、ミニスカート状になってしまうものも多かったとか。


ついでに思い出すのは、妻はミニスカートを履いたことがなかった。活動的(実はじゃじゃ馬っぽい?)であった妻はジーンズが多かった。時にはショーツは履くが、ミニスカートはなしだった。あんなもの(ミニスカート)は、男に下着を見てくれと言っている様なものだと言ったこともあった。「活動的」でお淑やかな行動を忘れる妻なら、ミニスカートを履いているのを忘れて、足を広く開いたり前屈してしまうかもしれないのは確かだった。一度だけ、白くて下着が透けて見えるのではないかと思う(これは私が勝手に心配していただけでした)ショーツを買ってきたことがあった(その頃はホットパンツと言っていたと思う)。あれはなんの衝撃だったのだろうか(妻は忘れているが、よく覚えている夫がここにいる)?


もう一つ妻の服装(?)について思いだすのは、妻はビキニを着ないということだ。水が好きで、夏はプールやビーチへ頻繁に行くのだが、ワンピースの水着しか着ない。これもミニスカートと同じ考えなのだろうか?普段、ジムで水泳のために着る水着(大学時代は運動のために冬でも屋内プールで泳いでいた)とビーチで着る水着は別物だった。前者は競泳用のナイキとかスピードのもので、ビーチ用は、ハイレグのものが多かった(<--これもよく覚えている夫)。ビキニを着ないのは、腹に余計な肉がついたからかと聞いたら、ぶっ飛ばされたことがあった。逆に結婚当時は、痩せすぎて肋が見えるのが嫌だったからかもしれない。飛び込んだりした時に、ビキニは外れる可能性もあるのを心配したのか?川で泳いでいる時は、川底に沈んでいる根っことかに水着が引っかかってしまうと、脱いで浮上して息をした後に潜って水着を回収できるので、ビキニの方が良いのではという、私のアドバイスは白い目で見られた。そんな川や湖で潜るようなことはしないと一瞬された(それでも実家の前の川ではよく泳いでいたが、ある時、川を渡る蛇を見かけてからは、川に入らなくなった)。日本では、白人の胸は平均的なサイズでも目立ってしまうので、胸の大きさを強調しない水着が良いとは言っていた。日本へ行って間も無く、人が多い人口の砂浜ビーチへ行ったら、周りの白人女性の多くはトップレスで日向ぼっこしていて(これは米国人は普通しない)、いつ脱ぐのかという自分への周りの目が痛かったと苦情を言っていた。最初は一緒に行った息子も、二回目は拒否した。目つきの悪い私がついて行って、睨みを効かしたこともあったが、そこよりも外海のビーチの方が綺麗で、人も少なかったので、そこへ行くのはやめた。


雨 杜和さんからは、米国人女性はボロを着ても気にしないというコメントがあったが、これも的を得たコメントだと思う。特に日本人の女性に比べると。そして、特に理工系キャンパスの人間は、おしゃれに敏感ではない(これは日本でも同じだろうが)。その中でも数学専攻が最悪だと思う。私の初めての数学の教師は若い博士とりたての助教授だった。髭ぼうぼうで、いつもTシャツとジーンズに穴が空いたのを着ていた。ソックスも、毎回、色が違うのものを片足ずつに履いていたが、ある日、同じ色のソックスで登場したら学生達から拍手が湧いた。それでも、この先生、数少ない女子学生達には人気があった。なんだか構ってやりたいとか言っていた。


しかし、女子大生も、学部が変わると、本気で化粧とかしている女性たちも多くいた。寮の女子の階では、朝6時前に起きで、シャワーを確保し、あの頃、流行始めていた、ビッグヘアを作り上げるため、ドライヤーで長い時間を費やしていたらしい。おかげで、シャワーに入れなかった女子学生達が、男用のシャワーを使わせろとやってくることもあった。たいていの男は、講義のギリギリまで寝ているので、朝の6時台にシャワーを使う男はほぼゼロだった。男子トイレ/シャワーの前に、交代で見張りをしている女子を見かけたら、別のトイレ/シャワーへ行くのが男たちの使命でもあった。最近の寮には、男女混合の階があり、バスルームは、男女どちらでも個人で使えるのだそうだが、私の時代は大きなシャワー室にシャワーが4−6個くらい並んでいた(この部屋にトイレも数個あった)。ちなみに、妻はそんなに化粧や髪型に時間をかけたことはない。ドライヤーを10分以上も持っていると、腕が疲れるので無理だと言っていた。

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