第31話 息子は2度目の謹慎、親には秘密だった
あの、高層ビルの寮で、ガールフレンドをいつも泊まらせてルームメイトに迷惑をかけていた隣人を懲らしめたが、火災警報を押されて消防が駆けつけ、謹慎処分になった息子だったが、それは半年で解けた。しかし、その翌年、2度目の謹慎処分になってしまっていた。その大学では18歳以上になると、もう親には通知は来なくなってしまったので、我々は1回目の謹慎処分さえ、息子に言われるまで知らなかった。(実は、1学期後は成績表も送られてこなくなった。どうも、プライバシーがなんのこうので訴えた弁護士がいたらしい。)
2回目は、息子が私の祖父がフィリピンで戦死したと言ったら、「お前の祖祖父は戦犯だろう」と言われて怒り、ヘッドロックをかけて失神寸前まで追い込んでしまったらしかった。二人とも謹慎処分になったそうだった。米国にはいまだに第二次世界大戦を根に持ったような人間もいるが、数はそれほど多くないというのが私の実感だ。私が学生だった頃、硫黄島で日本軍と対戦した元海兵隊の技官と知り合いになったが、彼は、戦った日本兵に対して全く憎しみや偏見を持っていなかった。お互い、兵隊になって、上司から戦うように命じられ、任務を執行していただけだったと言っていた。しかし、海軍の船乗りで、直接、日本兵と戦ったわけではないが、海戦には参加した軍艦に乗っていたことのある元海兵は、日本人は嫌いだと言ってきた。ある同級生の父親は、朝鮮戦争の経験があり、アジア人は皆嫌いだったらしい。そして、今の世代でも、真珠湾攻撃がどうのこうのという若者もいないことはない。
息子が後になって話してくれた時、お前は、米国軍へ戦いを仕掛けて、敗戦国となった2国出身の両親を持っているのだと言っておいた。妻は米国の南北戦争で負けた南部の出身で(妻の両親も南部で生まれ)、私は日本人なので。その後、息子が大学院で知り合ったアラバ州(妻はここで生まれている)出身の同僚の父親が米国が第二次世界大戦で日本に勝利したことを何度も言ってきた。その父親に向けて、息子は、母(私の妻)は南北戦争に負けたアメリカ連合国(南部)の一つのアラバマ州生まれだが、北部で生まれ育った自分は、勝った北部の米国市民だと思っていると言って黙らしたらしい。
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