第114話 米国の高校1
米国の高校へ1年間留学する事になった私。8月の終わりに、シカゴでホストファミリーに迎えられて、その後、高校へ初登校した。先ずは、校長(Principal)に、スーパーインテンデッド(Superintendent)と言う小学校・中学校・高校の各校長の上の位置にある先生と面会し、次は、校内の案内をされた。そして、ランチの後は、未だ受講科目が決まっていなかったので、ホストファミリーの弟と同じ講義に出た、その中で、フランス語の講義に参加して、一言二言習ったの今でも覚えている。翌日、進路指導の先生と、受ける授業の相談。通常、アメリカの高校では、自分の思う進路によって好きなコースを選べる。私の場合、数学、物理に化学を選択し、必須と言われた英語、米国歴史と体育を受けた。私には別にアドバイザー的な先生が付いてくれており、その先生は、ホストファミリーの友人でもあった。ホストファミリーと一緒にシカゴの空港まで迎えに来てくれてもいた。残念ながら、この先生は木工などの実技の先生で、彼の講義を受ける事はなかった。今になっては、オートメカニック(自動車修理)コースも受けてみればよかったと思う。妻は、高校の最後の2年は、デパートで働く事で、アルバイト代を稼ぎながら、これが実習と言う事で高校の単位を貰っていた。普通の講義も午前中は受けてもいたが、午後は、実習だった。そして夜には、同じ仕事場でアルバイト(単位は貰えない)をしていた。実質、高校とバイトで週60時間は費やしていた。実は、そんな生徒も私の留学先にいたのかもしれないが、私は、そんなことが可能だとは知らなかった。私は、放課後は部活を選んだが、アルバイトに励んでいた生徒がいるのは知っていた。農家の子供たちは、朝学校へくる前から放課後に、動物の世話をしたりしていたとは聞いた。農業クラブの様な団体があり、自分で育てた作物から家畜の展示や品評会もあった。
物理を一緒に取っていた生徒の一人は、オートメカニックのコースも取っていて、卒業したら、メカニックとして働くと言っていた。働きながらお金を貯めて、短大で授業を受け、四年生大学へ編入できる単位を取ろ、エンジニアになるのが目標だと言っていた。貧しい家庭のなので、親の助けはあてにできないと。もう一人、私が初めてデートに出かけた可愛い女の子も、夏休みの間に貯めたお金と奨学金で大学へ行くと言っていた。10人兄弟姉妹らしく、彼女も親の支援は期待できなかった。米国の高校生は、金銭的には、自立していた者が多くて驚いた。後に大学生になって出会った友人たちも、親が裕福でも、若い頃からバイトをしてお金を稼ぐ経験をさせられたと言っていた。米国の親の多くは、今でも、このお金を稼ぐ経験を重視していると思う。私は、父の土建会社できついバイトはしていたが、遊ぶ金のためで、学費を自分で稼ぐなど夢にも思っていなかった。田舎の高校でも、私に同級生はバイトしている生徒はそれほどいなかった。そんな時間があれば、受験勉強をせよというのが大多数の親の考え方だったと思う。
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