第45話 夫は何にでもなる。

結婚当初の私達はお互い若かったので、知らないことが多かった。特に妻は未だ10代だったので、どちらかと言うと、私に頼っていたか、それとも、言い出せなかったことが多かったとのだと思う。私は、勘違いでも、「議論だけなら何時間でも付き合えるぞ」という人間だった。研究をしていると、研究室での議論は長くなることも多い。一般人である妻は、未だ幼いと言ってもよかったし、大学院で行うような議論には参加したくもなかった。そして、私にはただの議論であっても、育った家庭の環境から、彼女は議論=喧嘩と思っていた。おかげで、妻は、議論(家庭では口論とも言う)はできるだけしないようにしていた。(我が家の逸話:私の妹と結婚した義弟が初めて我が家に来た時、朝起きて、父と母の会話を耳にして、両親が喧嘩していると、妹を起こしたらしい。起きた妹は、会話を聞いて、あれは普通のやりとりで、喧嘩ではなく、通常の会話だと告げたらしい。)


やがて、結婚生活も長くなり、大学教授や博士課程の学生も、一般常識は欠けている者が多いことに少しずつ気づいていく妻は、私もそう言う人間であると察知してしまった。そうすると、何かわからないことは、一応きいいてみるが、昔みたいに、全部は信じてはいけない(私には一般常識はないと思え)と悟ってきてしまった。物が壊れたりすると、私は多くを直せる。しかし、捨ててしまいたい物でも直してしまう可能性ありなので、そのような時は、見せずに捨てるかどうかの判断は自分でする。


息子が中学生になった頃には、私は、息子と妻の二人に、かなり侮られてしまっていた。私が、長い話を始めると、また始まったと二人で目を合わせることも良くあった(英語でRool their eyesとも言う)。まあ、勝手に暴走させておけという雰囲気にもなることも良くあった。そして、大抵、私の理論は、妻に却下されるのであった。この頃になると、立場は、私の方が弱くなっていた。


しかし、妻が何か必要な時や、解決できない問題に出くわすと、これは、面倒なことなの、夫にやらせようという発想になってきてもいた。結局、面倒臭いことは夫にというのが我が家(妻)の方針となった。他にも、食べ物が余ると、私に食べさせることで始末していた。若い頃の私は大食で、夕食などの残り物はないように食べ尽くしていた。やがて、息子が高校生になって、大食い伝説を築き上げるまでは、妻は私をディスポーザル(英語ではGarbage Disposalという、そうゴミなのだ)のように使っていたと思う。


息子のリトルリーグの練習を見て、私が息子のプレイに色々と口出しすると、息子にうるさく言わず、自由にやらせろと叱られた。サッカーでも、バスケでも、口を突っ込む父親(私)は鬱陶しいやつなのだった。唯一、それほど文句を言われなかったのは、息子の空手の練習だけだった。息子のリトルリーグの試合を他の保護者達と観戦していると、親達は熱くなる。特に、審判が誤診したとか思うと、かなりうるさくなる。私は、逆に、試合中は選手も審判も非難するようなことは言わない。ある時、明らかに審判が誤審したように見えたプレイがあり、味方ベンチ裏は騒然となった。妻も怒って、私に向けて、「Go beat him up! (あいつ(=審判)を殴ってこい!とでも訳せるでしょうか?)」と叫んでしまった。普段はか弱く見える妻の発言は、保護者達を驚かせた。その上、自分が行くのではなく、私に行ってこい、それも喧嘩を売ってこいというのだ。それを聞いた周りの保護者達も一瞬、彼女をガン見した後、笑い出した。それを見て、妻も恥ずかしくなったようで、両手で顔を覆っていた。私は、笑いが止まらなかった。


その頃から、私は、妻の便利屋をしている。召使いかもしれない、いや、単に言うと、奴隷である。特に息子が大学へ行き、同居しなくなってから、私だけで、いわゆる「ぱしり」でもある。日本のお父さん達は、ATM化している人たちも多いかもしれないが、彼らには料理は出てきていると思う。我が家では、妻が、何が食べたいか教えてくれるのが日課である(もちろん私に作れと言う意味だ)。今思えば、あの新婚時代の妻はどこへ行ったのかと一人思い耽ることもある。そんな妻は、私が彼女をこんなにしたと言う。

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