第107話 息子の現在。

あの、未熟な両親(特に父親)に育てられた(私の母によると、ダメな両親なのに、良い子に育ったらしい)息子は現在、ある米国の大学の准教授である。スポーツ関連の教科を教えている。研究も盛んにやっていて、多くのペーパーを専門誌に載せている。(正直、この分野でどんな研究成果を発表するのか全く検討は付かないが、経済学的な物に近いらしい。しかし、経済学でどんな研究が発表されているかも知らない。)分野は違えど、私が40代にやっていた生活だ。息子嫁が、自分の幼少期は悲しい思い出ばかりで、自分が親になれるとは思えないと言っていたので、子供はできないだろうと思っていた。(ここで、実は、似たようなバックグラウンドを持つ嫁を貰った様だ。)しかし、なぜか、息子嫁は気が変わり、孫を産んでくれたので、今では、息子は一児の父親でもある。未だ一歳ちょっとの孫だが、今までに、二度程、息子が孫の世話をするのを見た。効率よく動いていたので、驚き、安心もした。妻は、あまりにもスムーズな動きでオムツを変える息子を見て、驚いていた。普段からやっているのが分かる。ご存知かも知れないが、先月、3週間ほど、孫の世話をさせられたが、息子のおむつ替えの早さには敵わなかった。風呂に入れるのも慣れたもので、孫が泣く事もなくささっと顔を洗ってしまう。私も3週間やったが、いつも嫌がって泣いていた。食事など細かいことを沢山「御指導」頂いたが。余りにも多くて、妻は全部は習得できないと嘆いていた。そして息子命令口調も気に入らなかったらしい。夜中に、私達二人だけの会話で弱音を吐く妻に、息子も息子嫁(今回は来ていなかった)とも教官なので、院生に対して指導するのと同じ話し方しか知らない。、おかげで、職場の上司が部下に命令する様な話し方になる、職業病の様なものだろうと説明しておいた。ついでに、今では、ショートメッセージ等で連絡できるので、忘れた事があっても、すぐに聞けば良いので、私は全く気にしていないとも告げた。我々も親だった(過去形?)ので、赤子の世話くらい何とかなるし、いっぱい甘やかして、後は、あいつらが対応しなくてはならないだけだとも。米国的労働者の典型的態度と言えるかも知れない。逆に、妻は心配しすぎなのだった。


そもそも、妻が孫が病気になったりして病院へ行く必要があった場合に為の保険証(日本と違い、民間の保険しかない)の移しとかを送る様に息子に連絡していた時、臨時の親権に関する委任状が必要だろうと、妻に告げると、息子と二人でやり取りして、5ページに及ぶ、同意書の様な書類に四人が行政書士の前でサインしたものが出来上がった。何だこれは、孫を貸し出す契約書かと思った。一日一度のフェイスタイムで孫との顔合わせまで約束させられた。テレビ厳禁だったが、妻は孫と一緒にYouTubeを見ていたのは秘密だ。それも、クラシックか童謡しか聴かせないと言う契約だったが、その辺はクソ喰らえで、私もビートルズを一緒に歌っていた。親公認のスポッティファイの子供用サイトにビートルズのイエローサブマリンとかもあったので、範囲内だと言うことにしておく。


息子は、パリの学会の後、カタールの大学で客員講義を6週間行うために、パリからドーハへ旅立った。息子夫婦は世界を飛び回っていて、ヨーロッパとアジアの国々を訪れている。カタールに行くのは息子だけだが。国内の学会にも時々出るので、孫はこちらでも色んな所は連れていかれそうだ。学会後の息子嫁はドイツとポーランドの同僚と親戚を訪ねた後、帰国して、孫を迎えに来た。一日だけの滞在だったが、息子の実態をバラしてくれた。そして、息子に関する諸悪の根源が私にあるかの様に問い詰められもした。今まで、嫁姑らしく、余り上手くいってなかった二人が協力して私を打ちのめしに来た。息子を甘やかしてしまったのは私だと、「濡れ衣」を着せられてしまった。


気になる事も浮かんできた。息子の好き嫌いは激しいが(これは私が好きなものを作って出してやっていたせいだと、両者から言われた)、こだわりも強く、日本食以外に、メキシコ、インド等のスパイの強過ぎる食事を好むのは知っていたが、妊娠中に糖尿病の症状が出てしまった息子嫁の食事のスタイルに全く合わせないらしい。二人で別々の食事を作り食べるのだそうだ。孫も今は、別メニューなので、三人三様の食生活なのだ。これには、妻も、カタールから帰ってきたらガツンと言ってやると言っている。息子は妻の言う事は聞かないだろうと見解一致し、二人は、私に何か言って欲しいらしい。なぜなら、理屈めで、息子に勝てるの私しかいないからだとか。女二人の方が強いのではないかとと私は思うのだが。


息子嫁は、私になぜ、息子をソフトウェアエンジニアの道へ導かなかったのか聞いてきた。息子は工学部にいたが、化学ができずに、挫折して、文系へ転学部した。そこで、スポーツ関連の学科に出会い、博士を取り、教官となった。同じ学部(スポーツではない)の院生だった息子嫁と出会い結婚した。息子嫁曰く、息子は経済学関連の複雑なソフトを簡単に習得でき、自分でプログラも書いてデータを分析してるらしく、本当はソフトウェアエンジニアに向いていたのだと言うのだと。どうして、そちらの学部に入れなかったのかと、これを問い詰められた。息子の通ったインタナショナルスクールには、ソフトの教科はなかったので、そんな適性があるとも、親子共々知らなかった。私はソフトでプログを組んで、物理的な計算やシミュレーションはできるが、それを見ても、息子は興味を見せなかった。今の能力を発揮しだしたのは、自分の興味がる分野で必要なスキルだった為に習得したのであって、高校生の時にプログラムを習えと言っても喜んでやったとは思えない。


早く、帰国して、嫁と母親からの同時攻撃を受けて欲しい。私が母と妻から攻撃されていた様に。「お前のせいで、俺はどれだけもんくを言われたか!今度はお前の番だ!」

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