第108話 将来はヤ●ザか、良くて土方の社長?
以前書いたが、私が日本の大学の教官として赴任すると知った私の通っていた小学校の校長先生は驚愕した。この先生は小学校で、私の担任を3度も勤めていた先生だった。1−2年生と、6年生でお世話になった(大変迷惑をかけた)。ご存知の通り、私は問題児で、先生は私の担任として苦労されただろうと思う。他の担任だった先生達も、街中で母に出会うと、私の思い出を語って止まなかったが、内容は、母が頭を下げる必要のある事(事件)ばかりだった。赴任する直前に、地元の小学校へ、この校長先生へ挨拶に行くと、まさかfumiyaが人を教える職につくとは思ってもいなかったと驚かれた。私には、直接言われなかったが、妻は、この先生から、fumiyaは、将来ヤ●ザなるのではないかと心配だったと言われた。良くて建設会社の社長(父の跡を継いで)かとも言われたと後で妻から報告された(ここでも、妻は私がとんでもない小学生だったと再認識した)。実は、教えるのも仕事のうちだが、実は研究が本職だと私は思っていた。教えるの中には、学生達と研究を一緒にやって、研究の仕方を教えるのも重要だった。私は理工系には、歴史を覆してこそ大発見があるし、本に書いてある事を繰り返しても、それは研究とは言わない(特に基礎研究は)とか言って見たが、理解はして貰えなかったと思う。
因みに、私の小学校の担任の先生は6年中、5年間が女性だった。この校長先生は、私が知っていた先生の間では、初めての女性校長先生なられた方だった。私がメガネをかけた女性が初めて美人だと思った女性でもあった。
しかし、この先生の発言に付いて、最近、気づいた事が一つある。それは、私の同級生だったYが、まさに、この道を歩んでいたのだった。Yは、保育所から一緒の学年で時々喧嘩もするし、一緒に遊ぶ仲だった。まあ、一学年に男は10人しか居なかったので、喧嘩も時々したが、一応皆仲良しだった。ちなみに女子は6人しかいなかった。Yは五年生の頃、両親の都合で、町の中心部の小学校へ転校して行ったが、中学では又一緒になった(中学の1学年は100人ちょっと)。そこで、Yは、以前に増して面白いキャラクターになっていた(まだグレる前)。私は野球部、彼は陸上部だったが、休日などは時々彼の家へ遊びに行ったりしていた。高校は、私が県立の進学校へ進んだので、別々になった。下校時に、お好み焼き屋で一緒になると昔の様に、バカな話で盛り上がっていた。しかし、Yは段々と暴れん坊になって行った。そのきっかけとなったのは、中学の陸上部で仲が良かった友人(私も中学時代は仲がよかった)と、ナナハハンで暴走していて、その友人を事故でなくしてからだった。Yが先に見通しの悪いカーブへ突っ込み、ダンプトラックと衝突しかけたがなんとか避けた。しかし、後続の友人はトラックと衝突し、帰らぬ人となった。その後のYは、両横を剃り上げた赤く染めたリーゼントになり、学ランも長い丈のいかにも番長らしい物になった。我が町では、やんちゃなやつだと言うくらいの認識しかなかったが、一歩町を出ると、高校生の間では恐れられる存在となっていた。私は彼と時々バイクで走ったりしていて、ちょっとしたトラブルに巻き込まれたりしていたが、警察沙汰とかになった事はなかった。留学前に、一度、私の高校へ会いに来たが、あの学ランで来たので、うちの校内は大変な事になった(これと似たことが、工業高校へ進学したもう一人の小学校からの幼なじみでもあった)。そして、3年生の二学期から米国の高校へ留学して帰って来たら、同級生は皆卒業していたが、Yは留年していた。お好み焼き屋で会うたびに、私たちは、二人一緒に留年した同士だと、周りに言いふらして、私をからかっていた。私は一年遅れで、無事高校を卒業して、米国の大学へ旅立った。Yは、又卒業できなかったらしかったが、その後、どうなったかは知らなかった。
4年後、米国の大学を卒業して帰国して見たら、このYは、親の会社でブルドーザーの運転手をしていた。彼の父親の会社は重機を使う土方仕事の下請けをしていた。元々、Yの母と私の父は小学校の同級生で、建設会社を運営していた私の父とは、彼の両親とも若い頃からの知り合いだった。父の会社も、彼の父の会社と頻繁に取引があった。しかし、Yがこの重機の運転手になる前に、実は、広島市内で、Y組にレクルートされて、ヤ●ザになってしまっていた。この組の研修として、九州のある地区で、半年を過ごし、東京へ送り込まれた。最初の任務(?)で警察に逮捕されたが、奴は3月生まれで、未成年だった。そのお陰で、収容されていた鑑別所から、起訴されずに父親の保護の元に釈放(?)された。東京から父親に連れて帰られた後、重機の免許を取らせれて、無理矢理父親の会社で働かされた。この話を、いきつけのバーで、出来損ないの息子だと愚痴を言うYの父に、自分の若い頃とそっくりだと、父達飲み仲間に言い返されていたと、私の父から聞いた事があった。
やがて、私が大学へ赴任した後、中学の同窓会で出会って、何故か九州のある地域に詳しいので、問い詰めたら、ヤ●ザの研修で行ったと吐いた。私達同級生の間では、彼がどんな事をしていたとかは関係なく、皆、仲間だと言う意識だった。特に私達は同じ保育所からの付き合いだったし。そして、同級生達は彼が今では、町のなかでは、色々と頼りになる人間になった言っていた(この意見は女子同級生の間で強かった)。その時、彼は彼の父の会社を継いで、社長になっていた。私の父の建設会社の事務の手伝いをしていた私の母も、Yとは仲が良く、若くて良い嫁をもらって頑張っていると言っていた。
そこで、この校長先生になられた私達の恩師に言わせて頂きたい。先生が心配するべきだったのは、私ではなく、Yでした!(もう一人の保育所からの幼な馴染みで、工業高校で番長になったTは、卒業してから自衛隊に入って真面目な大人になった。二人とも、幼い頃は私が泣かしていたのだから、私も少し手助けをしたと思って良いのではないか?)^_^
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