第65話 大学・研究所は変人ばかり IIA

今までに、私の研究室にいた二人の先輩について書いてみたが、彼ら二人の奥さんたちも興味深い人たちだった。まずは、私の教授の院生第一号で、ガソリンにトウモロコシから精製したエタノールを混ぜたガスホールという燃料を製造するプラントを10数件も建てたが、全て倒産して、その全てのビジネスから訴えられた先輩。彼の最初の奥さんは、彼が大金持ちになりそうな時に結婚した相手だったが、何十億円も額の訴訟を目の前にして、離婚させれてしまった。彼は、父親から相続したお金で、アパートが数棟入った建物を購入していたので、秋田犬のペットと一緒に、その一棟に住み始めた。教授から、パートの職を授かって、少しだけ研究の手伝いをしていた。研究室へ犬を連れてきては、研究所の筆頭事務員に叱られていた。しかし、この犬は彼にとっては家族以上の存在なので(最悪でも、逃げ出した元妻よりは)、犬を連れて来るのは譲らないと喧嘩していた。そこで、我々、グループの現役の大学院生は、その筆頭事務官のオフィスのドアの前に犬のウ○コのおもちゃを置いて、つでに、スプレイボトルで、○ッコに見えるように水をふりかけておいたが、その後、二人の間で何があったかは、私は知らない(今は監視カメラがあるので、彼がやったのではないと直ぐにバレてしまうだろうが)。


そんな中、二人目の先輩が、ワシントン州へ引っ越す前に、同棲していたガールフレンドと結婚式を、彼女の故郷の町で挙げた。その結婚式て、一人目の先輩は、二人目の先輩の奥さんの同僚に出会って、付き合い始めた。やがては、この人が、彼の二人目の奥さんになった。この女性は、背が高い綺麗な、子持ちのシングルマザーだった。彼女は、最初の夫と、できちゃった婚をして、一時期、イリノイ州から、アラスカ州へ引っ越していた。夫と幼い娘と3人で、アラスカの荒野の中の一軒家(というよりも丸太小屋と言った方がよい)に住み始めたが、一年後には、夫と別れてしまった。シングルマザーになった彼女は、この小さな丸太小屋(キャビン)で、二冬を越したそうだった。小屋を温めるために、斧で大量の薪を割る日常生活を送っていた。アラスカの冬を一人(それも乳児と共に)で乗り切るとは、外見とは異なり、とてもタフな女性だった。


娘が3歳の時に、私の大学がある街に移り住み、大学院生になり、もう一人の先輩の奥さんと同僚になった(分野はやや異なっていたが、文系は一緒に纏っていたのだと思う)。その結婚式で出会い、二人はキャンパスタウンに帰ってから、付き合うようになったが、一年もしないうちに、できちゃった婚をした。アパートで質素な暮らしをしていた、先輩第一号は、結婚前にちゃんとした家を買った。彼の新しい奥さんも修士号をとって、カウンセラーとして働き始めた。すぐに、二人目も生まれ、彼は、3児の父となった。30代後半で、離婚したので、もう子供はできないと思っていた彼の生活は変わってしまった。結婚当初は、ご飯を炊く時に、いつバターを入れるかどうかで、夫婦喧嘩をして、彼が家出して、研究室で泊まったという、大人気のない話もあったが、3児の父を全うしていた。(私にバターを入れるタイミングを聞いてきたのだが、勿論、我が家ではバター入れないので、夫婦喧嘩の白黒の解決の助けにはならなかった。)やがて、奥さんも教育学部で博士をとって、どこかの学校の校長になった。その間、先輩第一号は、裁判も済み、父が亡くなって受け継いだ遺産で、アパートを何棟も購入して、不動産で家族を支えていた。時たま、衛星に積んだ鏡で太陽光を反射せせて、地球を太陽から遠ざかった軌道に乗せて温暖化を防ぐとかいうクレイジーなプ計算したりして、物理学を楽しんでいた。


さて、もう一人の先輩、先輩第2号の奥さんは、彼と長年同棲していたが、出身はイリノイ州の西側の小さな町だった。キャタピラー本社に近いところで、この一帯は、大小のトラクターを生産する、ジョン・ディアーの本社もあり、農業と、農業機器や重機を生産が主な産業だった。彼女の父親は早く亡くなったので、彼女は、母親がシングルマザーとして育てたが、母がの家族の応援もあった。実際に、彼女と先輩が結婚した時には、彼女の母は、彼女の祖母と叔母と同居していた。


彼女は幼い頃から、本が大好きで、大学では言語学を専攻した。彼女は実家に近い小さな私立大学を卒業して、私の大学へ院生としてやってきて、先輩第2号にであった。言語学の博士課程は、ティーチングアシスタント制もあるが、リサーチアシスタント制度があり、ほぼ100%の院生が下級をもらっていた工学部や理学部とは異なり、多くの年上の院生は、何らかの職について、博士の研究を進めていた。彼女は、近くにある短大の英語の講師をしていた。学生が30人くらいいるコースを毎年二つ受け持ち、作文(レポート)の書き方を教えていた。インターネットがない時代、彼女は、各学生に5−6通のレポート(5−10ページ)を提出させ、それ一人で採点していた。彼女は、生徒が引用した文献が作り物ではないことを確かめるために、図書館で、引用された文献を全てチェックしてから採点していた。こんな時間のかかる面倒なことをやれるのには驚いた。


彼女はパートでもう一つの仕事をしていた。こっちの方が、物理専攻としては驚くべきことだった。その彼女のパートとは、Reviews of Modern Physicsという、専門性の高い、それも、ジャーナルページ50−100ページというものすごく難しく長い論文が載るので有名だったジャーナルの、アシスタントエディターをやっていた。今では、一般人の物理学者でも理解できる論文が多いが、その頃の、このジャーナルは、ほぼ高度の理論的なトピックで、その専門でもないと、読む気もしなかった。エディターが、ノーベル物理学賞を2回受賞した大先生の弟子で、自分もノーベル賞をもらうべきだと考えていた教授だったので、この論文セレクションだった。それに載る論文を全て読んで、文法的なミスがないかを調べ、印刷の基になる文章を作り上げていくのが彼女の仕事だった。おかげで、この女性は、我々大学院生からは、尊敬の念で見られていた。


彼女が、先輩第2号と出会ったのは、例のサパークラブだった。その会員に、面白いメンバーは多かった、私も知っていた面白い奴がいた。彼と出会ったのは、空手の練習にやってきたからだった。彼は、ナーバスな生活で、色々なことを恐れていた。その一つは、ランダムな暴行に出会うことだった。今は、もっと治安が悪いと言われているが、統計的には、70−80年代の方が悪かったかもしれない。彼は、その治安が悪くなっているというニュースを見て、キャンパスを歩き回るのが怖くなっていた。そこで、彼が考えたのは、空手を始めることだった。自己防衛のために。今なら、拳銃を隠し持つ資格を得るコースにでも入っていただろうか?それを聞いて、私が彼に言ったのは、空手をやっていると、争いを避ける習慣も学ぶが、実は、殴られても怖くなくなるんだと言ってしまった。痛いけど、死なないくらいの受けができるようになるとか。これを聞いて、彼は、あまり嬉しそうにはなかったが、長く稽古に来ていた。しかし、その彼は、他にも面白いことをしていた。サパークラブのメンバーは、会費を払う以外に、食事の準備の手助けもする必要があった。中には、コックのアシスタントをやったり、皿洗いとかという担当もあった。彼は、その中で、コックからリストもらい、買い出しに出かける役割を買って出ていた。大量の食料を買うので、車は不可欠であった。しかし、彼は、車を持っていなかった。その代わりに、彼は、中古車屋に出向き、車の試乗を依頼した。その頃の中古ディーラーは、大学院生は一人で、試し運転をさせてくれたので、彼は、その車で、スーパーに向かい、買い出しを済ませて、食材を届けてから、車を返しに行っていたのだ。もちろん車は買わない。これを聞いた時、よくもまあ、そこまでして、買い出しの役をやりたがったなというのが、私の感想だった。彼は後に、ソフトウエアエンジニアとなって大企業に就職した。

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