第103話 妻はおばちゃんマグネット。日本ではおばちゃんたらし?

英語でマグネットと言うと磁石の事だ。ご存じの通り、磁石は鉄などの強磁性体を持つ金属を引き付ける特性を持っているが、人間をマグネットと堪えると、ある種の人間(または動物等の場合もある)を引き付けるという意味がある。日本にいた頃の妻はおばちゃんマグネットだった。日本語なら、「おばちゃんたらし」というのだろうか?病院で知り合いになったおばちゃんの話は前回のエッセイに書いた。


未亡人でダンプトラックの運転手をして子供3人を育てた肝っ玉母さん的な、お隣さんの (私には怖い)おばちゃんも妻が気に入って、良く料理を分けてくれたりしていた。この家族の娘さんがオーストラリアとニュージーランドでワーホリのビザを取って滞在したいという希望があり、妻に英語を教えてほしいと頼んできた。(この旅のゴールが、ニュージーランドで野生のイルカと一緒に泳ぐことだと聞いて、こっちは引いた。)おかげで、このおばちゃんの知り合いも含めて英会話教室を開いていた時期があっった。私は、毎回レッスンの終わりに出てくるおばちゃんの家庭料理を味合わせてもらっていた。娘さんがニュージーランドとオーストラリアとのワーホリに出て行った時、このおばちゃんから私に、娘が青い目の恋人を連れて帰って来たら、このきっかけになった私たちを一生許さんと言われたこともあった。結局、この娘さんは、夫となる男を連れて帰って来たが、それは、ワーホリをしていた日本人男性だったので、我々家族は一命をとりとめた。


日本に来て何年か経った頃、ある時、近くのダイエーで買い物をしていて、妻は疲れたと、フードコートで休んでいた間に、隣の町から来たおばちゃんとその娘と仲良くなっていた。母と娘で、相撲部屋を見学しに来たのだとか。このおばちゃん、かなりの行動力を持っていて、その後、大学へ連絡して私のオフィスの電話番号を探し出して連絡を取って来た。是非もう一度会いたいと言われ、妻にOKを取って、遊びに来てもらった。いっぱいお土産を持って、おばちゃんだけで来てくれた。その後、妻もこのおばちゃんと仲良くなり、一人で泊まりに行くほどになった。このおばちゃん、地元では名家の出身らしく、麻◯元総理の地元で、選挙の度に選挙活動を応援しているので、昔からの顔見知りだと言っていた。このおばちゃんのおかげで、彼女の叔父が所有する海辺の別荘へ毎年連れて行ってもらったり、旨いものをご馳走になっていた。残念なことに、我々が渡米する前に、彼女は肺癌で亡くなってしまった。結婚して今は新潟に引っ越した娘さんとは今でも交流があり、クリスマスカードを送ったりしている。


他にも妻がたらしたおばちゃんはいるのだが、その中に、際立った女性がいた。ある教授の奥様で、実は、前学長(その前は大学病院の院長)の娘さんだという方だった。この教授の祖父は、東大医学部出身で、この大学の創始者の一人だったとか。大学病院に銅像があった。その奥様は英語が得意で、妻と不自由なく会話ができた。さすがお嬢様育ちである(逆に、ご主人の教授は、「わしは英語が嫌いじゃけん、国際学会へも行かん。」と言われていた)。こんなエリートな家族の家へ、妻は頻繁に遊びに行き、ご馳走されたりしていた。私は、恐れ多くて近寄れなかった。家族同士が、お父様、お母様、お婆様と本当に呼び合っている家など初めて見た。ある時、妻がこの家から帰って来て、感謝祭に七面鳥(ターキー)をこの家族が食べたことがないと言われていたので我が家へ招待したと、軽く伝えて来た。おかげで、私は、朝の4時から起きて、ターキーの調理をしたのだった(勿論、妻は寝ていた)。ターキーの丸焼きは喜んでもらえたが、私はたまったもんではなかった。招待しておいて、誰が調理するのか考えたのかと、後で聞いたら、いや何も考えもせずに招待したと笑って答えた。これをいつも許す私なので、こんなことを繰り返すのだろうが。実は、一番たらされていたのは私だったのだろう。

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