第10話 留学前の祖母の激励
冷やかし半分で応募した留学生制度に合格してしまった私は、留学前の研修に参加したり、パスポートとビザの取得、地元では受けられない予防接種などを済ませていた。もう後は出発するだけ、という留学直前に、一緒に住んでいた祖母が、自分の父親(私の曽祖父)の話をしてくれた。
曽祖父は、私が8歳の頃に亡くなるまで一緒に住んでいた人物だ。18歳の時(明治時代)に渡米し、米国で12年間暮らしていた経験があった。実は祖母も米国カリフォルニア州で生まれている。しかし、祖母が生まれた頃、曽祖父の父親(祖母の祖父)が亡くなったという知らせが届いた。曽祖父は医者に相談し、新生児を船で日本まで連れて帰るにはどれくらい待つ必要があるか尋ねたところ、「生後30日」と言われたそうだ。30日を待って家族を連れて帰国した。
曽祖父が移民した時期は、米国が中国人移民を禁止し、その代わりに日本や韓国から労働者を受け入れ始めた頃だった。日本人移民者たちは3か月の英語講習を受け、その後、各地に出稼ぎに散らばっていった。まだ18歳だった曽祖父は、もっと英語を習得しようと、ある富裕層の家の召使いをしながら、夜間の英語学校に通っていた。
ある日、屋敷のコックに卵を買ってくるよう言いつけられ、店までお金を持って出かけた。しかし、卵を英語で何と言うのか知らなかった曽祖父は、困りながら白人の経営する店へと歩いていった。店に着くと、曽祖父は床に這いつくばり、「コケコッコー」と鶏の鳴き真似をしながら、白いハンカチを丸めて股から落とした。そのハンカチを指さし、これが欲しいと伝えることで、無事に卵を買うことができたという。
祖母は、私の英語が未熟であることを知っていたため、このエピソードを話してくれた。そして「言葉が通じなくても、身振り手振りで意思は伝えられる」と教えてくれた。
私の幼い頃の思い出といえば、母や先生に叱られていたことが第一に思い出される。しかし、不思議なことに、祖母には一度も叱られたことがない。むしろ、目に入れても痛くないほど可愛がられた。3歳下の弟が生まれてからは、ほとんど祖母と一緒に過ごしていた。米国では「褒めて育てる」という教育方針が一般的だと聞いたことがあるが、米国生まれの祖母は米国の生活を全く知らないにもかかわらず、私をまさにそのように育ててくれた。
ちなみに、祖母が米国生まれだと知った妻は、我が家の家族に向けて「おばあちゃんと私と息子は米国人で、あんたたちは日本人だ!」と言いながら祖母を抱きしめていた。そして祖母に "You are an American!" と伝え、英語がわからない祖母に訳して伝えると、祖母は「わしゃあ日本人よ」と答えた。それでも妻は "No, you are an American!" と言い返し、二人のやり取りが続いていた。近くで見ていた妻の腕の産毛が金髪だったことに驚いた祖母の顔を、妻は今でもよく思い出すという。
(「コケコッコー」は英語で "cock-a-doodle-doo" というが、最初の「コ」以外ほとんど似ていない。それでも、床でバタバタしていたら鶏だと認識されたのだろう。ちなみに、この鳴き声は雄鶏のものだが……。)
***この章はChatGPTの助言をもとに書き換えてあります。
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