第38話 学生運動を見て勘違いしていた田舎者
私が小学生の頃は、日本の大学では、学生運動が盛んであった(米国でも同時期に似たようなことがあった)。東大の安田講堂事件があったのが私が小学校高学年の時だったが、それまで、テレビニュースで毎週のように学生やデモをしている社会人の集団が、警備していた警察と揉めて、放水車が使われたりしていた映像を見ていた。テレビのニュースに映る過激派の学生と警察の機動隊との衝突を見て、その頃の私は、大学生になったら、警察と角材を持って、公(ここが勘違いのポイント)に殴り合いができると思い、絶対に大学へ行きたいと思ってしまった。親には言ってはならないとは自覚していたが、全学連が何をやっているかは知らずに、大学へ進み全学連に入るつもりでいた。これも、私の黒歴史の一つだ。しかし、あさま山荘事件の頃までには、私も中学生になっていて、学生運動には負のイメージの方が強くなっていた。高校生になった頃には、鎮火していたし、警察と角材持って殴り合いするつもりもなくなっていた。
私が小学生の頃、高校生だった従姉が、私が進学することになる高校でも、座り込みのストを行ったと話してくれた。発端は、漁師住んでいた女子高生が差別を苦に自殺してしまったからだった。後に、生徒の訴えを教師達と話し合う機会もあったと教えてくれた。高校でも、なんとか暴れ流ことができるかもしれないとちょっと期待していたが、私が進学した頃には、まったくそ学生運動の雰囲気はなかった。ただ、どう見ても共産党員という先生達は何人もいた。メイデイのストで、先生達もストに参加して、授業がキャンセルされることも何度かあった(中学と高校で)。ある年、高校の授業が全てキャンセルされ、早く下校するために、駅についたら、労働者の団体が駅前でデモ行進していた。その中に、普段はおとなしい、かなり年寄りの小柄な生物の先生が、プラカードを持って、叫びながら行進しているのを見て驚いた。しかし、何にでも反抗していた私は、少し尊敬した。
私が従姉と同じ年か年上だったら、学生運動で大変なことになっていたと思う。きっと警察のお世話になっていただろう。実は、その従姉も、学生運動(それ過激ではなかったが)に参加して、留年している。その頃、彼女は、大叔母(祖母の妹)の家に下宿していたのだが、その大叔母の夫は警察官だった(一時期所長)。彼女は、2階の部屋に下宿していてたが、集会へ参加すために、夜遅く、こっそり抜け出していたことがバレてしまった(相手は超ベテランの警察官だ)。靴を脱いで裸足で瓦屋根をあるいて、電柱を使って路面へ降りていたらしい。彼女はおとなしいと思っていたが、これを効いて、実はやり手だったと悟った。私よりも頭が良いので、できるだけ公にせずに行動していたのだろう。
ところで、安田講堂事件があった年は、東大の入試がなかった。私は、そのおかげで、東大ではなく京大へ進んだ教授を何人か知っている。その年の京大入試は物凄い競争だったのだろうと察しる。
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