第33話 私の叔父

私には4人の叔父がいる。父方に3人、母方に1人。長男である父の弟達は、3人とも曲者だった。母の弟は、母を含む四人の姉妹がいて、大人しい人だ。その中で、次男の叔父はものすごい人だった。小学校から喧嘩ばかりして育ち、いつもトラブルに巻き込まれていた。勉強は嫌いだったので、中学を卒業後、建具屋をしていた実家で、職人になり、家長であった祖祖父からは家業を継がせようと思われていた。しかし、それが嫌で、家出して名古屋に住み着いた。おかげで、職人ではなかった父が経営者として家業を継いだ。


その叔父の武勇伝を多くの人から聞いて育った私であってが、母である祖母までが叔父の行いは知っていたようだった。叔父が小学校6年生の頃、祖母が自転車に乗っていると、下校中の小学生の群れに出会した。すると、祖母に気づいた、前にいた生徒が、「〇〇(叔父の名前)のお母さんじゃ!」と叫んだそうだ。すると十人以上いた方学生達は、別れて道端に並び、自転車に乗る祖母に敬礼したらしい。祖母は驚きながらも、挨拶をして走り去ったそうだ。その話を祖母から聞いた後、叔父に話してみると「それは、俺が正義の味方で、弱い者いじめが大嫌いだったからだ」と言った。


私の9歳年下の妹が隣の町の高校へ進学し、同級生の家に遊びに行き、友人の祖祖父に挨拶し、自己紹介をした。すると、実家の地名と祖祖父の名前を聞かれ、叔父が30年ほど前に、集団に追われながら、この家を土足で走り抜けていったことがあると言われた。その隣町で集団と喧嘩になって、走って逃げると、追い手は一列になるので、一人づつ追いつかせて、倒していくという、宮本武蔵から大山倍達、ブルースリーまでが使ったという集団に対する大戦方法をやってる最中だったらしい。この話は、祖母も知らなかったが、妹は、それが叔父であったことにはそれほど驚かなかった。


名古屋に家出した叔父は建具屋で職人として働きながら、給料を浪費して、飲みつぶれる生活をしていた。喧嘩もよくした。しかし、一度、酔っ払ってヤ●ザと喧嘩になってしまった。相手をコテンパンにして喧嘩には勝ったが、後から、ヤ●ザの組に目をつけられてしまった。その後、ほとぼりが冷めるまで、知り合いのアドバイスで、黒部ダム周辺の工事現場に3年ほど身が隠れしていたこともあった。現場監督にはなれたものの、自分と同じような人夫を相手に、いつも喧嘩腰だったが、それは自分の性に合っていたと言っていた。


そういう叔父でも、奥さんになる人に出会い、私が小学校1年生の時に、実家へ帰って来た。事前に手紙で、婚約者を連れて帰ると連絡したら、祖祖父は感動した孫には合わないと言ったらしい。しかし、叔父の母である祖母が、祖祖父に向けて、叔父は自分が産んだ子供なので、今回は父である祖祖父の意思であったも、その言うことは聞き入れられないと伝え、叔父の帰りを許したと、何年も後から祖母から聞いた。一生に一度だけ、自分の父親に祖向かったことだったことも。叔父が帰省した際には、すごい鉄道モデルをおみげにもらったのを覚えているが、それが家出してから初めとの帰省だとしらなかった。その後、無事に結婚した叔父は、かなり腕の良い建具屋となった。


その叔父は魚釣りが大好きで、お盆に、自分の嫁に娘と息子を連れて実家である我が家に帰省させて、本人は磯釣りに行っていたことが何度かあった。波の荒いところにある一枚岩から釣りをするために船で渡してもらったが、その夜、嵐が来てしまった。一晩中、六人ほどいた釣り仲間と岩を囲んで、お互いを縛って繋ぎ合い、腕を取りながら、声を掛け合いながら、大波に洗われていた。翌朝、波が収まった後、船が救出に来て、夜には我が家にやって来た。そこで、昨夜の出来事を私たちに話してくれたが、祖母が、自分の家族をほったらかしにして釣りに行ったからバチが当たったと叱っていた。それにも懲りずに、翌朝には、家の前の川で釣りをしていた。そして、昼過ぎには私達を連れて、ゴリ干しという、岩と砂で、ダムを作って、川の一部を干して、魚をつかみ取りする遊びをした。夜になる、叔父が帰って来たと聞いた若い子分達がやって来て、夜中に浅瀬で餌を探している魚をヤスで突いて獲る漁をしていた。魚を追いかけていない間は、朝から酒を飲むのが我が家の休日だった。


私が妻と息子を連れて遊びに行ったら、大歓迎してくれた。アーミッシュという、電気や自動車を使わず、馬車に乗り、水車を動力として木工をしている人が作った、手作りのレイジー・スーザンという、各種のスパイス等を置いて、ぐるぐる前して取りやすくする中華のテーブルを小型化したような家具を土産に持っていったらとても喜ばれた。(レイジー・スーザンは、このの4番目に紹介されている。http://blog.livedoor.jp/japanmako/archives/51713757.html)その夜、花火のは待っていた息子のために、公園で花火をしてくれた。おばさんも突いて来てくれたので、少し話していたら、以前、酔っ払った大学生のグループが、この公園で深夜に花火をしだして、怒った叔父が注意に行ったら、学生達が喧嘩をしかけて来てしまい、叔父が半分くらいを返り討ちにしていまった。警察沙汰になってしまったらしかったので、おばさんは、そんなことにならないように、目をきかせるためについて来たようだった。


そんな叔父と私は気が合った。数学が大嫌いだったという叔父は、実は、練磨の造りの名人で、他の木細工を作るのもうまかった。複雑なデザインの木工細工を自分で工夫して作るのだと、その自己流を説明してくれた。叔父は、確かに大嫌いだと言っていた数学の幾何学を実践で学んで、応用していた。これを叔父から説明してもらった時、数学の問題も、私のようにゲームのように楽しんで解き方を学ぶ子供もいれば、実際の応用例を工夫して取り入れて教えたほうが身に付く子供もいると自覚した。(後者は西しまこさんの漢字学習と似ていると思う。https://kakuyomu.jp/works/16817330661145519453

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