第100話 100話記念、実は離婚されそうになったことがあるI
このエッセイを書き始めて、これで100話目となる。記念(?)に、離婚されそうになった話を書くことにする(なんでそんあおめでたくない話が百回記念になるのかは不明)。前回の話で、私がどれだけ世間離れしていたかは、ご想像がつくと思います。妻は、そんな私でも付き添ってくれて、今まで離婚されてはいない。諦めたのだろうか?息子のためだったのだろうか?しかし、妻が本気で私との離婚を考えた事があった。
結婚・出産した後でも、妻は自分に自信がなく、自己評価が低かった。いくら私が彼女が魅力的な女性であると言っても、彼女にあまり効果はなかった。息子に対してとて良い母親でるというところは嬉しそうに聞いていたが。そこで、私が行き着いたのは、この問題の解決法として、妻が他の男性と付き合ってみるのも、彼女のためになるのでないかだった。その理由は二つあった。一つは、彼女は自分が、あまりモテない女だと思ってたので、そうではないことを証明すれば良いのではないか?私以外の男達にもモテるなら、彼女の自己評価が上がると思ったのだ。もう一つの理由は、妻が私との結婚生活で苦戦しているのは、あまりにも若くして結婚してしまって、他の男との付き合いがなかったため、他に比較できる対象となる男が、今までにいなかったからではないかと、考えた。私と高二で付き合い始めた妻は、私以外の男性経験がなく、私が彼女の理想の相手(または、一応許容範囲の夫)だと言う判断/決断ができていないのではないかと言う理屈だった。ちょうどその頃、妻の高校時代のアルバイトと、卒業後の就職先であったデパートの同僚達の2−3人の男は、彼女を良いなと思っていたが、告白する前に、私に取られたと言っていると、別の同僚達から聞いたらしかった。そこで、私は、妻に、他の男と付き合ってみてはどうかと提案したのだった。その気になれば、セックスを含めて、経験しても良いという提案だった(別にして来いと言ったわけではなかった)。そもそも、その頃の米国人女性の多くは、数人またはそれ以上の男と付き合ってから、結婚相手を決めることが多かった。結婚しても、半数くらいは離婚して別の相手と結婚するという確率だった。この統計は今でもそんなに変わらないと思う。妻がそう言う経験をするかどうかは自分で判断して、私との結婚を続けていきたいかどうかを判断すれば良いと伝えた。私は妻にこれを強要しようとしたわけではなく、そうしても構わないと言っただけだった。しかし、この話、例のカウンセラーにバレてしまい、また、呼び出されて叱られた、お前は何を考えているのかと。妻は、私がこんなことを言うのは、私が彼女に魅力を感じなくなったため、彼女以外の女性と付き合いたいからで、いずれ、私は妻と離婚したいと思っているのだろうかと、疑い始めていた。カウンセラーとのセッションで、舌がすべってしまったと言っていたが、本当は私に雷を落として欲しかったのかもしれない。私の方は、妻との結婚に十分満足しているので、他の女性との交際に興味はないし(面倒臭いし)、妻が浮気をしようが、私の彼女への想いは変わらないと告げた。もし妻が私よりも好ましい相手を見つけたなら、身を引いても良いと(親権の問題はあったが、私が取っても、彼女が取っても、または共有してもよかった。)。しかし、このカウンセラーには、妻が、私の提案した様な、自分を蔑むことをしたら、妻はもっと精神的に不安定になってしまうと言われた。カウンセラーは妻に、本当は、この男は諦めて、離婚をしろと言いたいとも言っていた。正直、こんなことを言い出す夫は、離婚させれても仕方がないと、今では思う。こんな仕方ない夫だったのだが。私にとっては、勉強(警告?)になった。しかし、離婚の危機は訪れる。
その危機は、私が日本へ行って就職することを決意した時に起こった。妻は、私に付いて来て、日本で暮らしたいかどうか決断できなかった。カリフォルニアへ引っ越した時も、慣れるのに苦労した。異国だったらもっと苦労するかもしれない、日本に慣れなかったらどうしようか等を悩んでいた。この年の夏は、日本であった学会へ参加するついでに、夏休みに家族で日本へ帰国していた。実家を拠点に、多くの観光地を訪れ1ヶ月ほどの休暇を楽しんだ。妻はこの日本旅行はとても楽しんでいた。学会以外に、私はいろいろな会社や大学で講演させてもらった。その一つの大学で、院生時代から知り合いだった先生に、その大学へ来ないかと誘われた。他にも政府関連の研究所(筑波)でも就職に関する手続きをしていた。その時点で、私の日本での就職の可能性が高かった為、息子を、私の両親の元へ残して、妻と二人だけで、8月の終わりに、米国へ帰国した。息子は、二学期から、地元の小学校へ入れてもらった。
その秋、私はまだ、シリコンバレーで就職活動はしていたが、インテルとアップライドマテリアルズでの面接の予定は諸事情でキャンセルされた。インテルは私が、基礎研ばかりして来たことへの懸念が理由だった。アップライドマテリアルズは、日本での拡張を取り消しため、採用枠が消えたのだった。ある日本の会社の米国支社からも面接は受けていて、カリフォルニアからテキサスに本拠地を移したいこの会社が内定をくれた(実際に日本へ行った時に、この会社の社長と面接済みだった)。私のチョイスは、この会社のテキサスに移る米国本社で働くか、日本の大学かだった。しかし、この会社の人事に、日本の大学から内定(これを内定と呼ぶのかどうか覚えていない)が出ているが、これを蹴って貴社で働きたいと告げると、この大学の内定を蹴るのはやばいと言われ、逆にこの会社からの内定を取り消された。どうも、日本企業は、日本の大学から理工系の就職希望者の斡旋を受けているので、内定が決まった人間を企業が横取りすると、その大学からの新卒の学生の推薦がなくなるからだと言われた(工学部は未だに推薦制度が残っている)。その話を、誘ってくれた先生に話したら、この内定は、文部大臣の名で降りているから、蹴ってもらったら困ると言われた。その先生と学科長が、工学部の教授会で誤り、工学部長が文部省へ出向いて謝らなければならなくなるのだとか。そう言うわけで、日本での就職が決定した。(ちなみ、私は東大のポストを蹴って米国でのポストを選んだ女性研究者を知っているが、彼女の場合、就職先は米国だったので、彼女に被害は出なかったが、東大の関係者はかなりお怒りだったとか。)もう、行く先は、この日本の大学しかなくなったのを妻に告げた。しかし、すぐに帰国するのではなく、数多くの書類を書かされて、待たされた。
私の日本の大学への就職が決定事項だと知った妻は、自分が本当に日本に住みたいかどうか悩んでいた。私はシリコンバレーでの任務が2ヶ月残っていたし、例の書類手続きに時間がかかっていたので、辞める前に、ちょっとしたプロジェクトをやり遂げることにした。息子は日本にいて、一緒に過ごすこともできない妻は、時間をもて遊ばさせていた。そこで、私は、彼女に、フロリダに住む兄のところへ2ヶ月ほど遊びに行くことを提案した。日本へ行くと、彼女の家族とも、今まで以上に会えなくなることを懸念していたので、あそこで、本当に日本へ行きたいのか、それとも、フロリダか米国の別の州で新しい生活を始めるかを決めれば良いと伝えた。決断は彼女に任せ、結果は離婚でも別居でも構わないとも伝えた。ただし、息子は私と日本に住みたいと言っていたので、夏休みや冬休み以外は、きっと日本に住むことになるだろうと想像できた。彼女の兄の住んでいた街には、父も住んでいた。妻は、この提案に同意したが、一人で飛行機に乗ったことがなかったので、ついて来いと言うので、私も一緒にフロリダまで送って行って来た(金曜日に出て、月曜日にはカリフォルニアへ帰ってきた)。それから、妻とは2ヶ月ほどの別居生活が始まった。家族3人がバラバラになってしまっていた。時々、電話では話していたが、顔を会すことはなかった。息子とは、3ヶ月以上の別居だったが、奴は私の両親とうまくやっていたと思う。親である私と妻の関係が微妙だった時期に、私の両親と関係を深められたのは、奴にとってはラッキーだったと思う。妻の側と違って、安定した頼りになる親族がいると体験できたのは、良いことだったと、今でも思う。
結局、この間、妻は、兄の幼い息子の幼稚園への送迎くらいしかやることはなく、甥を幼稚園へ送った後は、雨でも降らなければ、毎日の様に、ビーチへ通っていたらしい(レンタカーを借りていた)。本気で米国に残るなら、就活もすればよかっただろうに、遊んでいただけだった。私と別れて、しばらく兄に面倒をみてもらう可能性を探していたのかもしれないが、二人目の息子が生まれる予定の兄には、そんな余裕はなかった。もう一つの可能性は父だったが、アル中の父は頼りにならなかった。とても同居もできないと言っていた。食費として、十分なお金は兄に渡していたのだが、結局、最後は、兄の嫁に邪魔者扱いされてしまったらしかった。日本へ一緒に行くためには、飛行機の切符を買う必要があったので、その期限を告げると、一人で飛行機に乗って、カリフォルニアまで帰って来た。こうやって、妻は私に付いて日本へ移住した。フロリダから帰って来た妻は、彼女の決断に、完全に煮え切っていたとは言えなかったと思う。北カリフォルニアの、夏でも冷たい海のビーチは最低で、ビーチへ行く意味がない、暖かい海水のフロリダのビーチは最高だと、何度も言っていた。さすが、毎日ビーチへ出向いていた者の言うことだと、私は思った。彼女が幼い時期を過ごした街の上を、帰りの飛行機は飛んで帰ってきたが、飛行機から見たメキシコ湾の海の色はとても綺麗だったとも言っていた(彼女の兄は大西洋側に住んでいた)。見た目が綺麗でも、海に入れないサンフランシスコ近辺のビーチは意味がないのだそうだ。日本へ付いては来たが、やはり、フロリダに未練はあった様だった。実は、日本へ移住した後、日本のビーチもかなり気に入ってしまうことになるのだが。大都市から離れると、あまり人のいない綺麗で水の暖かいビーチが西日本にはたくさんあった。
この2ヶ月で日に焼けた妻の体を見れば、本当にビーチで時間を潰していたんだとわかった。妻はあまり日焼けしない体質なのだが、その時の妻は米国で言う健康的な焼け肌になっていた(日本で言うガングロにはほど遠い)。私は、つい、こんなにビーチに頻繁に出向いていたら、その辺の男に良くナンパされただろうと聞いてしまった。絶対にそんなことはなかったと、妻は言い張っていた。この2ヶ月の間に、妻が他の男と付き合ったりしていたとしても、私は彼女を責めるつもりもなかったのだが、彼女は、そんな話を持ち出した私に怒っていた。きっとあの時のことを思い出していたのだろう。私としては、彼女が一緒に日本へ行くと決断して、フロリダから帰って来て、家族3人で暮らせるようになったので、それだけで満足だった。息子と再会したのは、11月の初旬だった。息子の方は、すっかり両親と祖母との生活に慣れていた。息子は今でもおばあちゃん子で、妻側の親戚とは、近くの州に住んでいても付き合いはないが、日本に住んでいる私の母によく会いに行っている。
追記: 雨 杜和さんからのコメントへ返事を書いていて気づいた事があるので、追記します。私は、実は、昔の同僚達が妻に気があったと、彼女が打ち明けた時、きっと少し嫉妬していたのだと思う。彼女は実際に、その元同僚達は、高校では人気者の少年達で、まさか彼らが自分に気があるとは想像もしていなかったと言っていた。ここで、私は、そら見ろ!自分は思ったよりモテていたじゃないか、もっと自分に自信を持てと言った。しかし、それと同時に、きっと嫉妬と不安もあったのだろうと思う。幾ら頭の中で、妻が望む様にさせてやるのが私の使命/責任だと思っていても、私の心の揺らぎはあったと思う。妻がフロリダから帰って来た時の私の疑いの言葉も、きっと嫉妬心に基づくものだったのだろう。自分はそんなに強い心の持ち主でありたかったが、100%動揺しない男ではなかった。程遠い人間だった。
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