第101話 妻の心の揺らぎ、日本へ行きたくなかった理由1。 In Defense of My Wife
前回の話で、妻が、日本へは行かず、私と息子とは別れて米国に残ろうかと悩んでいた話を書いた。これを読んで、多くの人は、家族、特に息子を捨ててまで(私は捨てられても不思議のない夫なので、論外?)、日本へ行きたくなかったのかと不思議に思われるのではないだろうか?これには、ある事情があったので、少し説明しておく。
まず、妻は、母に連れられて父を置いて逃げ出したことがトラウマになっていたのは、もう何度も書いた。その後、母方の親族とは、仲を取り戻し、妻も母方の叔父と叔母達とは交流があった。しかし、父方の親族と交流はほとんどないまま、10年以上経っていた。酔っ払った父から虐待を受けていた兄だけは、父を許し、縁を戻す決断をして、父の住むフロリダ州へ移住していたが。私と結婚した頃の妻は、父と母のどちらかを取るかの必要性を感じていて、母側に近かい付き合いをしていた。
父が2度ほど、母に秘密で中西部の街まで会いにきてくれたことがあった。一度は私たちが結婚する前と、2度目は息子が産まれた後だった。この時に、父との親交を深めた兄は、父のいる街へと引っ越して行き、父の姉のお陰で、大型トラックの免許を取った。その後、父の母の葬式に私たち家族が参加して、少しだけ父側の親族との関係ができた。(父の姉は夫がホンダのディーラーをしていて、夫婦で日本へ何度か訪れた事があったと知った。オリンピックの年に日本を訪れて、新幹線も私よりもずっと前に乗っていた。) 妻は、幼い頃の父と住んでいた頃の楽しい出来事を思い出して、何度も私に話してくれていた。少しだけ暗い思い出もあったが。父との失われた時間を取り戻したいのが伝わって来た。カリフォルアへ引っ越す前に、兄の家まで車で遊びに行ったことが2度あった。同じ街に住む父にも出会って親睦を深めた。しかし、妻は、父に会うたびに、アル中である父の落ちぶれ方が、とても残念で、許せなかった。帰りの車の中では、いつも泣いていた。実は、ジョージア州へ引っ越していた母に会っても、帰りの車の中で同じく泣いていた。妻が両親にあった後泣いてしまうのは、その後も変わらなかった。
そして、私が日本へ帰る決断をする前に、兄が、カリフォルニアへ遊びに来てくれた。その時、兄は妻に、父が、妻と会う機会をもっと増やしたいと言っていると告げていた。父側の親族も妻のことを心配していて、会いたがっているとも告げられた。妻は、私に、彼女の父方の親族が住む地域で就職先を探す様に頼んできていたが、あのテキサス州の会社しか具体的な話は浮かんでこなかった。実は、私は、あまり米国南部に良い印象を持っておらず、あの地域で職を探すのは、それほど積極的ではなかったのは確かだった。テキサスなら、車で二日かかってしまうが、カリフォルニアや日本よりは良かったのかもしれない。その上、あのテキサスの職は水の泡として消えてしまったし。妻は、失われた15年を取り戻すために、本当にフロリダ州へ引っ越したかった。それが、息子との一時的な別れになっても良いのかは悩んでいた。息子が、私と日本で暮らし、私の両親達と楽しく過ごしている間に、自分も父方の家族との交流を深められるのではないかと、考えていたのだと思う。その後、息子の親権を取るか、夏休みなどの長期の休みの間に、息子が彼女と一緒に住むことを私に要請する模索したいたのだろう。彼女に取って、信頼できる家族は永遠に手の届かないところにある物の様だった。両親と祖母以外にも、叔父叔母達との関係はとても良かった私には、それは当たり前の存在で、一瞬たりとも疑ったことはなかった。妻も私も、息子が私の両親と祖母の下で、私が経験した家族愛を体験しているのは、とても良い事だと認識していた。妻は、息子のそのチャンスを奪い取る気はなかった。妻は私の両親と祖母をとても尊敬していたと思う。
妻の夢は、2ヶ月の兄の家でのフロリダ滞在の間に崩れて行った様だった。妻は、落ちぶれた父を許せないでいたし、兄の妻ともうまく行かなかった。兄の妻の家族は、黒人に対する偏見が強すぎたのも、妻と兄嫁との間の歪みを拡大した。他の親族には、電話では話していた様だったが、ほとんど会えずに、帰って来た。それでも、家族と仲良くなりたいという未練はあった。それには、私がフロリダで就職口を見つけ、父ともっと長い時間を過ごせればなんとかなるだろうとも思っていた。自分が助ければ、父も更生してくれるかのしれないと期待していた。そんな中で、私は日本へ行くことを決断してしまった。
そして、もう一つの理由は、妻が日本へ行くのが嫌/怖かった理由は、親しくなった日本人主婦の友人から、日本社会の現実を聞かされていたからだった。3人は、大学教授の奥さん達で、3人とも大学生時代にで会って結婚した旦那さんが、大学の教官になっていた。もう1人は、ある企業から派遣された会社員だった。彼女らは皆、日本へ帰りたくないと言っていた。その内2人は、自分自身も大学の助手だったが、結婚後か妊娠後に専業主婦になっていた。4人共、日本での夫達は朝早くから夜遅くまで仕事ばかりしていて、妻と過ごす時間が殆どなかった。飲み会とかがあっても、1人で行くのが常識で、妻は家で留守番。最悪、夫が連れて帰る酔っ払った学生につまみや夜食を出さなければならない。その内2人は、夫が結婚前の様にロマンチックでなくなり、デートもなくなったとと言っていた。米国に来て、夫婦2人で過ごす時間が増えて、又、デートに行ったり、旅行に行けたが、帰国したら、元の結婚(主婦)生活に戻るのかと、暗い話を注ぎ込まれていた。こんな話を聞いていた妻は、自分もそんな日本人主婦の様な生活を強いられることを懸念していた。正直、私でも、そんな生活が待っていたら帰国したくはなかっただろう。因みに、1人は、帰国後、就職してカリアを築き上げた。残りの2人は子育てに励んでいた。もう1人は、残念にも、闘病生活を強いられた。夫である私の友人は、自分のカリアを犠牲にして彼の奥さんの闘病をサポートしたが、残念な事に、奥様は亡くなった。私は、妻に、できるだけ、その頃の米国での生活が守れるように努力するとは約束していたが、妻は私の仕事環境がそうはさせないと疑っていた。結婚して10年以上経っていたが、私達は週一ペースで、2人だけのデートを繰り返していた。友達と遊ぶ時でも、家族(夫婦と息子)と遊ぶ時でも、いつも2人は一緒だった。特にカリフォルニアへ移住してからは、夫婦以外で出かける事も殆どなかった。私の同僚達とバーなどへ出かける時も、妻は一緒だった。
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