第15話 逆移民 米国から日本へ(妻の場合 I)

私が米国人の妻を連れて、日本で就職したのは90年代初頭。彼女にとっては、これは移民であった。米国での私と同じ様に、日本国内の彼女は、見た目で、日本人でないとわかる(米国にはアジア系米国人もいたので、私を見た米国人が即「外人」だとは思わなかったかもしれない)。日本に住んでいた十年間、妻はある面ではよく適応していたが、そうでない面もあった。日本に住む外国人の妻の会に加わったので、他の日本人男性と結婚した米国人女性達がどうやって生活していたかの情報も入ってきた。


妻が戸惑った日本の習慣が多くあった。観光客として訪れるのではなく、住人になって初めてであうものだった。週末の朝早くからの町内会の掃除や他の当番とかは、全て私の役割となった。外人とみえると、嫌がらせをしたりちょっかいを出してくる奴らもいた。ある時、地下鉄で、隣に座っている私が彼女の連れとは知らずに、高校生のグループの一人がからかってきた。私が立ち上がって睨みつけ、怒鳴りつけてやったら、全員逃げていった。私は武道をやっていたし、その頃はウエイトトレーニングをしていて、身長は181cm、体重も100kg+り、目つきも悪かったので、かなり柄が悪く見えていた。周りに座っていた乗客が私たちから遠のいていくのを察知した妻から、英語で、絶対にヤ●ザと間違えられた。恥ずかしいことはするなと叱られた。しかし、何もしていなかったら、それで叱られていただろう。これは英語で言う、ノーウイン(No win situation)というやつだった。


実はその後、スポーツ刈りにして、大学の事務室へ入って行ったら、どこかのヤ●ザが来たのかと驚いて椅子から落ちそうになったと、焦った顔をした事務のおばんちゃんに、叱られたことがあった。人相は悪く見えていた証拠だ。その後、電車の中での話をしたら、外国人の妻を連れていたら、もっとそう見えるとそのおばちゃんは言っていた。


妻は、日本で車を運転するのが好きだった。高速での運転は好きではなかったのだが、ローカルな道路ではよく運転していた。田舎の実家の近辺では、私の祖母を連れて医者に行ったり、隣町の叔母の家へ遊びに行ったりもしていた。田舎の狭い道でも脱輪したことはなかった。道幅が狭いため、私が避けていた道路の方が、車がいないので運転しやすいと言っていた。ある日、祖母と隣町へいくために細い田舎道を走っていたら、大型ダンプに出くわしたらしい。そのダンプの運転手は、彼女を見ると、離合地点までバックしてくれたそうだった。その話を祖母が母にしたら、母は大型トラックに迷惑をかけたと、酒を持って工事現場へ謝りに行ったらしい(嫁(妻)と姑(母)、どっちもどっちだ)。私たちの住んでいた都市では、妻は、片側3車線の国道よりも、狭い道を好んで運転していた。そんな彼女の好む道路には、パチンコ屋が何軒かあった。パチンコ屋の前に止めてある大量の自転車で通れない時がよくあり、その時は、私に車を降りて自転車を移動せていた。その辺に住んでいたじいちゃんが、私がかわいそうと思い、一緒に自転車を動かしてくれたこともあった。自転車を動かせと、妻に車から追い出されたと言うと爆笑していた。


その県庁所在地に住んでいる間、妻は常に、田舎に住みたいと言っていた。ある学生さんが、「田舎は不便ですよ。地下鉄もないし。」と言ったら、「地下鉄は便利のうちに入らない!」と言い返した。アメリカ人は、車で乗り付けできないと便利とは言わない!もう一つ田舎について、私の実家は、猪や猿、熊まで目撃情報があるような田舎だが、彼女は、そこは田舎すぎると言っていた。彼女に取って、住んでもよい田舎の許容範囲は、ピザの出前がある町村までだった。


渋滞でよく混む道があったが、右折する車線は空いていた。すると妻は、この右折の車線で渋滞の前まで進み、ウインカーをつけて、にこっと笑って会釈し、直進の車線へ合流していくのだった。渋滞していた車線にいたドライバー達は、外国人の彼女は道路の標識が読めないのだろうとでも思っていたのか、文句なしに入れてくれた。私は、恥ずかしいので、外人カード使うのはやめてくれと頼んだが、聞いてもらえなかった。


息子がインターナショナルスクールのバスケの朝練を始めた頃に、母が遊びにきたことがあった。息子は朝の5時に起きて、一人で朝食を食べて、妻と私が起きる前に出かけていた。私が家事をすることはよく知っていた母だったが、孫が朝学校へ行く前に起きてこない妻には驚いていた。それを見ても、母は、妻には何も言わなかったが、息子の評価はどんどん上がり、妻の主婦としての評価は下がりっぱなしだった。それでも、妻は全く気にしていなかった。彼女の友人の中には、かなりうるさい日本人姑がいた女性もいたが、妻は母から妻としての役割について、一言も小言を言われたことはなかった。母は物凄くせっかちでかなり短気なのだが、妻のことは諦めていたのだろう。


米国に帰った後、中国人同僚に妻の話をしていて、英語では、彼女の様な妻をHigh Maintenance (手間のかかる女という意味)と呼ぶことを教えたら、爆笑していた。https://native-phrase-blog.com/shes-very-high-maintenance-%EF%BC%9A%E5%BD%BC%E5%A5%B3%E3%81%AF%E9%9D%A2%E5%80%92%E3%81%AA%E4%BA%BA%E3%81%A0/




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