第14話 金髪でないと女として見てない(II)
前回に次いで、私の恥ずかしいところを書いていくつもりなので付き合っていただきたい(大体この「エッセイ」は黒歴史みたいなものなので)。
長年、米国中西部に住み、白人社会に自然と同化していた私は、日本にいた頃とは異なり、白人女性と気軽に話せるようになっていました。しかし、日本では異性との接点がほとんどないまま、米国へ渡りました。中学・高校時代、私は同年代の女子生徒たちに怖がられたり、変わり者だと思われたりしていたようです。そのため、ほとんど異性と親しい会話をする機会がありませんでした。
大学教官になった後、中学校の同窓会に出席した際、学年で一番美しかった女性と隣の席になりました。彼女は私が教官になっていたことに驚きつつ、「同級生だったのに初めて話すね」と言いました。私は内心、「そうだったのか」と納得しました。さらに、小学校時代の担任の先生も私が大学の教官になったことに驚き、「あのヤンチャな子がこんな立派に…」と妻に話していたそうです。
米国の高校に留学してみると、現地の女子生徒たちは非常にフレンドリーで、英語が未熟な私にも親切に接してくれました。デートに誘えば応じてくれる人もいましたし、男子と女子が混ざったグループで出かけるのも普通でした。その中で、特に印象的だったのは、小柄でスポーツ万能な可愛い女の子との経験です。勇気を出してダンスに誘ったら「イエス」と言ってくれ、さらにキスもしてくれました。彼女に恋をしましたが、彼女の方は友達以上の気持ちではなかったようです。
田舎で育った私は、若い日本人女性に出会う機会が少なく、テレビに映る白人女性が身近に感じられたのかもしれません。特に、「魔法使いジニー」のバーバラ・イーデンが一番可愛く、今でも彼女のファンです。初めて白人女性に話しかけられたのは、大阪万博の米国パビリオンでの出来事でした。一眼レフのキャップをつけたまま撮影しようとしていた私に、若い米国人女性が「キャップ、キャップ!」と注意してくれました。その笑顔にはドキッとしました。
私は、米国で過ごす中で「バナナ化」したのかもしれません。しかし、日本人女性と上手く接することができなかったのは、私自身の問題であり、彼女たちに非はありませんでした。日本社会に馴染む努力を怠ったこと、そしてコミュニケーションを避けたことは私の責任です。もし若い頃の自分に伝えられるなら、「もっと勇気を持て」と言いたいです。
***この章はChatGPTの助言をもとに書き換えてあります。
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