第94話 無事生まれたが、妻、産後鬱になる

息子は無事に生まれ、病院で息子が生まれた為、我々の引っ越しを妻の兄がやってくれたので、私たちは引っ越しの荷物の輸送はせずに済んだ。良い息子だった。荷物の手解きと後片付けは必要だった。


息子が1日妻よりも早く退院してきたので、私が一晩面倒を見ることになった。米国では、できるだけ新生児と母親を退院させる。保険が降りないので、何か命に関わることがないと、二日くらいで追い出される。私の友人の妻は、産後一晩で出てきた。もともと、彼女は、産婆さんのお世話になりたかったらしいので、病院にはできるだけ短い期間で出てきたったらしい。


翌日、妻が退院してきて、私たちの育児が始まった。二人の退院から2週間で、私の新学期も始まった。妻が、昼間、私が夜中の担当で、24時間体制で子守りをした。以前にも書いたが、物理または物理工学専攻は、宿題が通常の理工系の生徒とは比べ物にならないほど出る。工学部ももう勉強しないと卒業できないという評判があるが、物理専攻は、その2倍くらい勉強が必要だった。電磁気学や量子力学の宿題を、一問、合計で48時間以上かけて解いたり、または、数式の展開が、全部で50ページを超えるような問題も出た。おかげで、我々は、物理学科の図書室の鍵をもらっていた。夜遅く図書室が閉まっても、残って勉強できるようにという配慮からだった。インターネットがなかった時代だった。


おかげで、私は睡眠時間なしで2−3日は軽く行けた。夜寝ていても、息子が泣きだすとすぐに飛び上がって、おむつを変えたり、哺乳瓶でミルクを与えたりとかしていた。夜は私の担当だというのは、妻は、一度寝ると、なかなか起きられなかった。きっと、低血圧だったのではないかと思う。その点、私は、どうせ起きて宿題をやっていた可能性が高かった。何の苦にもならなかった。


しかし、妻は違った。朝から私が帰ってくるまで、一人で、赤ん坊の面倒を見ている時が多かった。一緒に住んでいた兄もスケージュールは不規則だったし、ガールフレンドとのデートを繰り返していた。時には、その彼女と喧嘩して、検温な空気が流れることも良くあった。この二人、なんで、いつも喧嘩しているので、別れてしまわないのか不思議だった。それもバカみたいなくだらない理由で。例えば、おやつのポエットチップスの銘柄が違うとか、KFCで注文した品目が自分が頼んだのと違うとか。それ以上にくだらないことでいつも喧嘩しては仲直りしていた。妻は、兄は癇癪持ちなところがあり、それは、母が別れた父の虐待によるところが大きいかもしれないと言っていた。その上、その母と継父と衝突することも多かったのももう一つの理由だろうと言っていた。本当にとんでもない親であるが、そのガールフレンドも、なんで、別れては帰ってくるのだろか、不思議だった。高校生の時からこの調子だった。正直、兄と住んだのは間違いだったと思うようになった。


そんな中で、19歳にならない妻は、良妻賢母として、子育ての圧を感じていた。まあ、良妻でなくても、私は構わなかったのだが、子育ての方は頑張って欲しかった。しかし、義母に台所に入れてもらえなかった妻は、料理ができなかった。健全は料理は得意だと言ってた妻が、結婚する前に一緒に住み出して、料理の仕方を知らなかったと私は気づいた。妻が料理していると思っていた品は、ケーキやブラウニーにクッキー等、皆デザートだった。それを告げると、彼女は自分自身に驚いていた。その後、籍を入れてから、少しずつ料理を習い始めて、スパゲッティとミートソースなど簡単なものは作れるようになっていた。そんな妻が、赤子の世話をするのは、精神的に大変だった。おかげで、6ヶ月後には、産後うつ、子育てノイローゼになってしまった。2週間ほど入院させられたが、正直、この時、別な精神科医に相談してじゃら、入院させるべきだったと思っている。私も若く、そのようなことができるとはおもだせなかった。妻が入院してる間は、妻の母と、妻の親友が子守りを買って出てくれた。しかし、妻は、自分の母をあまり信用していなかった。絶対に、夜は、自分達のアパートへ連れて帰り、義母の元へ日が変わるようには預けるなと言っていた。私も、夜と講義に出る必要がない間は自分で面倒をみていた。


その後、退院した妻は、少し元気にはなったが、心配性は続いていた。そこで、私はまた、結婚後の大失敗を犯してしまった。ある日、物理の宿題を図書館でやっていたのだが、そこは午後9時には閉鎖していた。しかし、私たちはその閉鎖時間を過ぎても、この図書館にいてもよかったので、私は、最終のバスが出る11時まで図書館で宿題の問題を解いていた。結婚前はよくやっていたことだったが、息子が生まれてからは、初めてだったと思う。遅くなっても、私が帰ってこないので、妻は心配して、大学の電話帳から、私がパートで研究を手伝っていた院生の担当教授の家に電話してしまった。妻から話を聞いた教授は、グループの大学院生全員に電話して私の安否を尋ねて、誰も知らなかったので、ついには大学警察に連絡して私を探すように依頼したのだった(米国の大学は警察組織を持っている)。何も知らない私は、11時半ごろに、アパートへ帰ってきた。すると、怒っていた妻は私に何も言わず、アパートから飛び出していった。残された息子の面倒を見ていると、電話がかかってきた。出てみると、中年のおばさんの声で、私なのかと聞いてきた。私は、"Yes, I am, but who is this?"とイラついていた声で尋ね返した。すると、そのおばちゃんは、教授の奥さんだった。妻はいるかと聞かれ、今出かけているとと伝えたら、妻が私の帰りが遅いので、教授宅に電話して、大学警察が私を見つけるための捜査をしていると言われた。翌日、バイトに行った私は、教授の部屋に呼ばれ説教を食らった。


その後、妻は短大で授業を受け出したので、学校のカウンセラーにカウンセリングをしてもらえるようになった。このカウンセラーが、後に、私の欠陥を指摘してきたのだが、最初は妻のためになったと思った。息子が産まれた直後に引っ越したアパートには、1年だけ住んで、その後、キャンパスの外れにあった大規模な既婚者用のアパート群へ引っ越した(妻の兄は、長年喧嘩ばかりしていたガールフレンドと別れ、フロリダ州へ引っ越していった)。その既婚学生用アパートには、私たちと似たような境遇の学生夫婦なかりが住んでおり、友人が沢山できたのは、妻にも私にも良いことだった。息子にも同じくらいの歳の友人が多くできた。この頃の息子のベビーシッターは、マリ(西アフリカにある共和国)から来た大学院生の奥さんだった。同じアパート群に住んでいたこの人はとても良い人で、2歳児くらいの時の息子は彼女が大好きだった。私たちも安心して息子を預けらる人だった


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