第93話 結婚してすぐ、妻の妊娠が発覚

前回の投稿で、私たち二人が、妻が未だ18歳で結婚してしまった話を書いた。結婚後は、ルームメイトが、別のアパートに引っ越し、私と妻が私の住んでいたアパートに住み始めた。妻は、デパートでの仕事を続けていたが、まもなく、生理がこなくなった。産婦人科でみてもらうと、妊娠していた。避妊具は使っていたが、妻は、ピルは飲んではいなかった。その後の診察で言われた出産予定日は翌年の8月半ばだった。米国では、妊娠の期間を9ヶ月と言う。日本では10ヶ月のようだが、実は数え方の違いで、両方とも実は同じ期間なのだそうだ(https://kateinoigaku.jp/qa/2068)。


妊娠期間の数え方は置いておいて、私は妻に本当に産みたいのか聞いてみた。すると、妻はかなり怒ってしまった。私が子供を下ろす可能性を持ち出したからだった。「未婚だったら未だしも、結婚しているのに子供を下ろすとか、よく考えられたな!」的な扱いだった。いや。未婚でも下ろすつもりはなかったのだろう。これには、義母(妻の母)までもが、私の発言に怒っていた。米国南部出身のこの二人には、中絶は余程のことがないとやってはいけない罪であったらしい。現在では、南部の多くの州では、随分早くから中絶が禁止されてきている。妻は、中絶を禁止する法律には反対だが(女性の権利と思っている)、自分の子を簡単に中絶することは論外だった。私としては、若い妻がその歳で母になる覚悟あるのか心配だっただけなのだが。これは私の結婚生活大失敗第一号だった。


妻は、つわりとかで、体調が悪くなってしまい、デパートの仕事を辞めざるを得なかった。年が明けてから、私たちは、物理学部の建物の向かいにある大学が所有する既婚者用のワンルームアパートへ引っ越していた。ここなら、携帯がない時期でも、妻に何かあれば、物理学部のオフィスに電話すれば、授業を受けている私のところへ連絡が来るからだった。院生の博士課程の手伝いのバイト先も、物理学部に繋がった研究所だった。8月の予定日が近づいてきていた、夏季の講義を受けていた間には、二回ほど呼び出された。妻を病院へ連れて行ったが、まだまだ生まれはしないと言われたことが全部で3−4回あった。秋季の講義が始まる前に、妻の兄と一緒にキャンパスから離れたアパートを借りて住むことにした。8月初旬に引っ越しの予定を入れたので、引っ越し予定の前日に、アパートの荷繕いをした私は、ぐっすりと寝てしまった。その夜、妻は、陣痛で全く寝られなかったらしかったのだが、私はよく寝てしまった。そして、翌早朝に、妻は私を叩き起こして、病院へ連れて行かせた。未だ予定日よりも一週間早かったので、追い返されると思っていた私は、生まれかけていると言われたので少し驚いた。妻の兄に電話して状況を説明すると、彼が友人と一緒に私が準備した荷物を、新しいアパートへ運んでくれることになった。元々、兄がトラックを出してくれるはずだった。後で鍵をとりに来た。病院の待合室には数人の夫達がいて、中にはもう丸一日以上待っていると言う者もいた。ところが、私は、妻の兄に電話した後、すぐに呼ばれ、息子は、2時間もしないうちに生まれてしまった。実は、女子ではないかと思っていたのだが、男の子だった。出産に立ち会って、正直、私はそれまでの人生にない感動を感じた。私は、いつも平常心が保てると自他ともに認める様な男なのだが、自分の子供の出産は、この私でも心の中で静かな爆発があった。涙が出てきた。こんな経験は今までの人生でもその時だけだった。銃か刃物を持っているかも知れない男に対等しても、私は平常心が保てたのだが。私が全く興奮しないと言うことではなく、興奮しても常にその自分を観察しているもう一人の自分がいる様な感覚なのだが、この時は、人生でただ一度我を忘れていた様に思う。それも興奮ではなく、感動だったと思う。


ちなみに、この時の、一晩中続いた妻の陣痛にも気づかず、寝過ごしてしまったのが、大失敗にナンバー2だった。妻はこのことを今でも忘れていない。実は1.5的なイベントがあった。それは妻の妊娠が発覚して2ー3ヶ月頃、勢いで、私が妻を担ぎ上げてしまったことがあった(妊娠していても軽いので簡単だった)。これは、妻の弟達と悪ふざけをしていた時だったと思うが、担ぎ上げた途端、妻に叱られて、ゆっくりと妻の体を下ろしたのを覚えている。義母がお前は馬鹿じゃないかという顔をしていた。


実は息子が生まれるまで、私は、日本の実家に何も言っていなかった。結婚の通達もしていなかったのだ。息子が生まれたことを聞いた時の両親と親族は驚愕したらしい(まあ、当たり前なのだが)。その後、両親からは、婚姻届と出産届に必要な書類を送らされたが、両親が息子と妻に対面したのは、もう少し後のことだった。この、両親への連絡を怠っていたことも、妻には忘れられない裏切りだったと言われている。これが失敗にナンバー3だった。妻も、私の両親に連絡したかと聞いてはこなかったので、何も言ってなかった。常に冷静とか自負している私も、実は、親に言えないでいた、小心者だったのだ。


私が大学へ通うために渡米した際に、外国人女性を連れて帰ってくるなら、その家の敷居はまたがせないと言った親族もいたが、私の両親も祖母も、黙っていたことに文句は言ったが、妻と息子はとても歓迎された。やはり、既に子供が生まれたという既成事実が大きかったと思うのは自分だけかも知れない。先に、妻と結婚すると告げたら、反対されたかもしれない。その後、これは、私に取っては一番良いタイミングだったと思うとか言うと、日米両サイドから叩かれた。ちなみに、弟と妹は、「又、兄がやらかした」的な反応だったらしい。大して驚かなかったそうだ。二人とも、そんなことをやってしまいそうだと思っていて、そんなことがおこるだろうとか冗談で言っていたらしい。馬鹿な兄には、将来馬鹿な甥が育つのであったが。


妻は未だ18歳で、私も23になる1週間前だった。

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