第80話 ジャイアンにも不利益はあった。

私は、生まれた時の体重が4000グラムで、その頃の男子新生児の平均体重よりも800グラムほど重かった。ちなみに弟は平均よりもやや上で、健康優良児そのものと医者達に言われていたらしいが、私は、デカすぎて、評価を控えられたそうだったと、母から聞いた。その後もよく食べ、よく食べる子だった私は、同級生に比べると、体は3−4学年ほど大きかった。一年生の時の入学時の写真でも、頭ひとつデカかった。力も強く、おかげで、喧嘩には負けたことがなかった。2年生や3年生と喧嘩しても負けなかった。それ以上の上級生になると、一年生と本気で喧嘩する者はおらず、私は、まさにジャイアンだった。もうひとつ、この状態(生意気さ)になってしまった理由があった。それは、私が、一軒家の長男として育ち、保育所に行くまで、自分よりも年上=「見上」の子供がいなかった点も加勢していた。普通、集団で育つと、学年が一年上でも、見上として対応するように、子供達でも習いながら成長するのが、その頃の日本の田舎だったと思う。しかし、田舎の小さな小学校での私は、お山の大将状態で育ってしまった(=ジャイアン)。その上、母のスパルタ教育のおかげで、成績も良かった。その結果、学校では、本当に好きなようにしていた。先生達から見れば、大変な問題児であったのだが。


しかし、このジャイアン状態にも不利益な点はあった。それは、あまりにも体がデカすぎて、子供用の服屋靴などに入らないことも、そのひとつだった。私が小学校へ入学した頃、母に連れられて、弟と共に、靴(ズックと呼んでいた)を買いに行き、弟はテレビアニメで流行していたキャラの靴を買ってもらった。しかし、その靴屋には、私の足のサイズのテレビアニメの靴はなかったのだ。私に会うズックは、キャラのない地味なものしかなかった。そこで、どうしてもキャラのデザインの靴が星良いと、私が駄々をこねてしまったので、母はとても困っていた。これが、実家で起こったなら、母は私に1発かまして、「うるさい!」と一括したのであろうが、人前では、お淑やかな母親を演じていたのか、叱りはしなかった。その頃の私に取って、叱られると言うのは、大きな声で怒鳴りつけられるのと、頭か顔をひっぱたかれることであったが、母は注意したり宥めたりするだけで、母から前述の二つの行為はなかった。それで良い気になってしまったのか、私はかなりごねてしまった。今でも、母がのその時のことを思い出して文句をいる時がある。(まあ、帰宅してから、ひっぱたかれたが。)そして、学校へ行って、私の好みのテレビアニメのキャラ入りのズックを自慢していたクラスメイトには、不可抗力が働いてしまったかもしれない。


もうひとつ思い出すのは、学校中で、鉄棒のいろいろな技を習得して競い合っていた時期のことだ。体がでかい私には軽い子供達とは習得が難しい技もあったが、私なりに努力して身につけていっていた。しかし、ある技は、鉄棒の上で、長座した状態から回転するものだった。もちろん両手は鉄棒にしがみついている状態で行う。クラスの鉄棒の上手い奴らは、これをまず、低い鉄棒でマスターしていた。私も彼らに習って、同じように低い鉄棒で試みた。しかし、私の胴体はクラスメイトよりも頭ひとつデカすぎたのだった。おかげで、回転しようとして、顔面を地面に叩きつけてしまい、その時私は、多くの星を見た。小学生の頃、これだけ星を見たのは、他には自転車事故を起こした二回だけだった(一度目は、大きな坂を高速で下っていき、Tの字にあった大きな石へできるだけ近づきながら曲がっていくという、馬鹿みたいに危険なことを競っていた時に、石にぶつかってしまった時と、二度目は、自転車をわき見しながら漕いでいて、5メートルほどの水路へ落ちた時だった。)。脳震盪と起こしていたかもしれないが、昼休みに起こったことで、午後の授業を受けて帰宅した。私が認知症になったら、この三回の星を見たおかげかもしれない。もっと成長してからも、空手や武道の練習や試合で少しの星は見たが、この三回ほどではなかった。

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