第88話 米国高校生の生活・クルージングとダンスパーティー

私は高校の留学生として最高のホストファミリーに出会い、とても楽しく充実した経験をさせてもらった。ホストファミリーには私と同年代の年子の息子が二人いて、兄は私と同級生で、弟は一級下だった。私よりも6歳年下の中学生の娘がもう一人いた。ホストファミリーの息子達は学校では人気者で、友人も多くいたが、この家族も何年前にこの小さな街へ引っ越してきたためか、あまり付き合いもない生徒も学校にはいた(そんな理由は交友関係にはどこの国でも珍しくなかったのだろうが)。学校の休み時間にはこの兄弟と数人が集まっておしゃべりをしていて、私もその会話に加わった。特に、このホストファミリーの隣に住む同級生の女の子、カレン(発音はキャレンに近い)は、学校中に顔が知れ渡った交友の広い娘だった。彼女と彼女の親友二人と我々3人を合わせた5人が、米国の高校生がやらなければならない儀式の一つ、クルージングに何度も行った。使った車が6人乗りだったので、時々、別の友人も加わることもあった。このクルージングとはスティーブン・スピールバーグ監督の初期の作品「アメリカン・グラフィティ」に出てくる、街中(ダウンタウン)を車でぐるぐる回って、他の若者たちと出会ったり、自慢の車を見せびらかし、加速力を競ったり(と言っても信号でゼロヨンの様にスタートを競うだけ)する米国の若者(特に高校生)の定番の週末の夜の過ごし方だった。私が留学していた高校のある町は、町というよりも村だったので、近くにある人口10万人程度の街の一番賑わう通りを中心にクルージングは行われた。勿論、よその町からも多くの高校生は群がってきていた。他校の生徒たちとけんかになることもあったらしいが、私はその様な状況には出くわさなかった。その様な状況に巻き込まれたら、殴られることに加え、タックルされる方に気をつけるのが、その頃の米国の掟であった。私の留学していた中西部ではレスリングが盛んで、その上、アメフト経験者も多い。クルージングだけでは飽きるので、ボーリングをしたりピザハットで食事したりしていた。(マックやバーガーキングではドライブスルーでバーガーを注文し、車の中で食べた。)そんな感じで、女子に慣れていない私でも、いつも女の子達と出かけていた。


日本では女の子と付き合うこともなく米国へやってきた私には、付き合ってもいない男女が毎週末、仲良く出掛けて行く経験は珍しかった。最初は、英語もよくわからず緊張したものだったが、2ー3か月もしないうちに慣れてきた。そして、高校で行われるダンスパーテイーの時期になった。これも私には経験のないことであったが、友人たちの話によると、ちょっとすましたドレスとスーツを着て、ボーイフレンドとガールフレンドがカップルとして参加するというのだ。勿論、絶対にカップルで参加す必要もない。しかし、思いの人に頼んでカップルとしてこのダンスへ参加することで、付き合いに発展することはよくあるらしく、高校生にはビッグイベントの一つであった。そこで、皆から載せられて、私は、ある同級生の女の子にダンスへ行くデートを申し込んでしまった。彼女は、身長が150センチほどしかないが、本当に可愛い顔をしていた。スポーツは万能で、サッカー、バレー、陸上競技等でもチームのエースだった。低身長なのに、跳躍力はばつぐんd、スパイクを決めている所はかっっこ良かった。実は体操が一番やりたかったそうだが、うちの中高には体操チームはなかった。あったら、持ち前の運動神経で、きっとすごいことになっていたと思う。オリンピックも夢ではなかった?


その友人たちに、彼女の電話番号を教えてもらい、私は勇気を振り絞って電話をして、ダンスへ一緒に行ってくれる様に申し込んだ。ダメ元だったのだが、彼女はオーケーしてくれた。学校で一番可愛い女の子がそんなに簡単にデートに合意してくれるとは思わず、あっさりとOKが出たのに驚いた(驚愕した)。米国ってこんなに簡単にデートに行けるのか?(日本でも行けたのかもしれないが、私がヘタレで奥手だっただけだったと思う。)


しかし、翌日、大問題が起こった。いつもの様に友人と無駄話をしている中へ、この可愛い彼女がやってきたのだ。彼女からOKをもらったと聞いていた友人たちは、嬉しそうに彼女に話しかける。しかし、私は、緊張してほとんど話せなかった。きっと彼女に呆れられただろう。その後も、余り彼女との会話はなく、ダンスデートの日がやってきた。ダンスの前に、割と高級なステーキ店を予約してもらい、ホストファミリーの長男が運転手を買って出てくれた。そこでも、私が余りにも緊張して話は振るわなかったのだが、彼女が大学へ行って、体操部へチャレンジするという情報を得た。しかし、一番ショックだったのは、彼女は、両親から大学へ行く援助を期待できないため、もっと若い頃から、アルバイトをしたお金を大学資金として貯金していたというのだ。日本では、進学校に通っていた私だったが、大学の学費を自分で稼ぐという発想は全くなかった。親が払ってくれるのが当たり前だと思っていた。しかし、その頃は、彼女の様な高校生は米国に比較的多くいたと知った。(今は学費が上がりすぎて、ローンを組まないと学費がカバーできない制度になっているのが残念でならない。)彼女の状況を聞いて、頭を殴られた様な気がした。ショックだった。そしてもう一つ、デートの後、彼女の住んでいた家へ送って行くと、さよならとして唇にキスをしてくれた。これにも驚いたが、米国では、デートの後にキスして別れるというのは、それほど大したことではない(私には一生の一大事だったのだが)。その後、彼女とは余り発展もなく、学年最後のダンスのプラムに誘ったが、断られた。彼女は、州立の大学へ進んで(私が入学した大学とは別)、体操部へ入ったが、幼い頃から体操をやっていたチームメイトには敵わず、チームを辞め、やがて大学も中退して、カリフォルニアへ引っ越したと、例のお隣の顔の広い女の子から聞いた。


その彼女は今はワシントン州に住んでいる。Facebookでは友達だが、キリスト教複音派の宣教師と結婚した彼女は、例の元大統領の熱烈な支持者(マガ)だ。暗殺が未遂に終わった時の反応が、守ってくれた’神への感謝だった。私の妻とは丸反対のなのだ。

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