第67話 訳のわからない大学での組織改革。
私が日本の大学にいた間、大学は色々な組織的改革を試みていた。少子化で大学生の数が減り、それが教官の定員に反映されることを恐れていたための「改革」が多かったように思う。まずは大学院従運転化。若者の数が減るなら、修士へも行かせて、4年では6年間大学にいてもらう。もちろん、学部生が全員修士課程へ行くことはないが、半数以上が進学すれば、研究室に所属する(卒論と修論をやっている)学生の数は倍になる。修士課程へ進学する学生数を考慮すると、学生数も学部生だけに比べると、2−3割増える(博士課程に在籍する学生を含まない)。そして、大学院重点化の一環として、私の所属が、学部から院に変わった。正直、私には、この所属の変化の意味が全くわからなかった。ただ、名刺や学会と論文発表する時の肩書きが変わるだけにしか思えなかった。市町村合併で住所が変わるのよりも、大した変わりはないように思えた。研究と講義としては、やってたことは余り変わらなかった。やがて、所属は、大学院から、研究科へと変わってしまった。日本は、所属が重要なんだということは学んだ。
その間、学部と院の再編成もあって、東大を真似て、大きな分野でまとめて学部生を入学させて、2年生の後期くらいで、専攻を細かな分野へと選択させるという形になった。この改革は、工学部内での再編で、東大の理系1−3類ほど大まかな枠ではなかった。このような、私に言わせれば、事務的な改革は、文部省(文科省?)の役人に認めてもらわなくてならなかった。こっちは、夜遅くや休日出勤してまでして作り上げた改革案の書類を造り上げたのだが(日本では書類の量を、ページ数ではなく、何センチの厚さになるかで図るという、同僚のジョークを、今でもよく覚えている)、偉い先生達(工学部長とか)が、意気揚々に、文科省へ出かけて、数年前まで、学生だったようような若い事務官から、「難しい」と言われて、反論もできず、尻尾を巻いて帰ってくることも何度かあった(あの分厚い書類が、一瞬で無駄になった)。
この学部生をまとめて募集することになった後のことだが、それまでは、専攻の専門的な講義は、2年生の後期から少しずつあったが、最初の二年間は、教養学部の先生達に任せっきりだった(丸投げ)。しかし、この改革の後、一年生から、もっと専門の教官も教育に関わるべきだという話になった。教養学部も廃止されて、教養の先生達も本学へ吸収され、皆、研究院所属となった。おかげで、教養学部のあったキャンパスへ出向いて、講義をさせられた同僚(助教授)もいて、彼らには大変な負担がかかっていた。何しろ、150人くらいのクラスを教えて、採点しないといけないのだ。もちろん、こんな講義は、偉い先生達から余り(いや全くと言ってよかった)信用されていない私には任されなかった。150人の講義とか、日本の私立大学では珍しくないようだったが、私には教える経験はなかった。米国の大学では、教養の講義とかで、200人とかの生徒の前で、教授が講義して、その後、大学院生のティーチングアシスタント(TA)が教える少数分けされた講義を受ける体制のコースは取ったことはある。米国と日本は、この件(講義に出る学生数)に関しては、逆で、米国の私立大学では、教授が必ず教官として教える少人数のコースしかない。前述の大講義とTAによる少人数のセッションを合わせたコース形式は、大型の州立大学で多い。授業料が倍以上する私立大では、丁寧に教えないと、学生は来ない。ちなみに、あの私の上司だったゲリーは、ハーバードで助教授時代、週3時間の講義のために、週30時間の準備をしていた。彼は、院生の講義は担当していなかったが、院生の講義は年寄りも教授が担当し、手抜きできたらしい。院生の授業料のほとんどは、教授の研究費から出るため、よほどのことがないと、文句を言う大学学生はいなかった。それに比べ、ハーバード等の学部生の半分は、Legacy(レガシー)と呼ばれる(スバルの車種の一つではない)卒業生(OB)を親族として持つ学生達である。その上、ハーバードの学部生の親は、近年では年間6万ドルに近づく授業料だけでなく、高額の寄付金を払っているケースが多い収入源なのだ。最近、大型寄付をするOB関連の個人や組織からの圧力で、ハーバードの学長が辞任した(ユダヤ系の学生に対するハラスメントや差別的行動・発言を認めていたとして)。規模は違えど、同じように、学部生の講義が不人気だと、その講義担当の教授に関して、OB会から苦情が来てしまうのだそうだ。講義に不満があれば、親にちくる学部生も多いのだと思う。それを聞いて、OB会を通して圧力をかけてくる親もいる。ハーバードだけでなく、これは、米国のエリート大学では常識である。そして、こうやって卒業した彼らは、米国社会を経済的にも政治的にも操る重職に就くのだ。(トランプ政権でもバイデン政権でも、政府の高官はエリート大学出身者が多すぎると思う。日本の政治が、東大出身の官僚だけに牛耳られていた頃を思い出す。)
現在の日本の大学の先生達は、もう書類や会議に要する時間が長くなりすぎて、他の活動、特に研究、に費やす時間がなくなっているらしい(私がいた頃でさえも、もっと研究に費やせる時間が欲しいと思っていた)。研究に注ぐ時間がなくなったという苦情を昔の同僚から本当に良く聞く。改革があると、必ず、書類が増えるのが日本らしい。おかげで、先生達は、さらなるブラックな勤務状態らしい。昔から、日が登る前から出勤し、日が沈んでから長い時間が経ってから帰宅という先生達もいた(日焼け止めがいらないというのインサイドジョークだった)。週7日大学に出てきていた先生達も勿論多くいた。近くに住んでいるので、週70時間大学にいても、何か思いついたら土日曜の早朝でも大学へやってきて、夫である助教授を呼びつける教授のことをボロクソに言っていた友人の奥さんも知っている。彼ら夫婦は、結婚直後は、大学に近いアパートに住んでいたが、このせいで、彼女は、夫が出て行きにくいように大学から遠い場所にマンションを買った。このような体制なので、日本で研究をするには、部下(助手や大学院生とポスドク)に任せるしかないのだろう。これができない私は、日本では、米国にいたほどの研究業績は残せなかった。
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