第12話 米国なので銃が出てくる話を二つ
私の留学前に、祖母が曾祖父についていろいろな話を聞かせてくれました。その中でも特に印象に残った話を紹介します。
曾祖父は渡米後、大富豪の召使いをしながら1年以上英語を学び、その後、サクラメント市で商売を始めましたが、うまくいかずにすぐ辞めてしまいました。その後、鉄道建設の労働者になることを決めました。当時、多くの日本人移民が鉄道建設に携わっており、曾祖父もその一人となったのです。
現場では、曾祖父は若干二十歳そこそこの年齢でしたが、日本人労働者のリーダー的な役割であるギャング長に選ばれました。他の労働者に比べて英語が話せたため、白人監督との交渉ができたことが理由です。この役割のおかげで、曾祖父は他の労働者よりも高い給料を得て、比較的楽な仕事を任されていました。
ただ、曾祖父の最も大変な役目は、金曜日に白人監督のオフィスへ行き、全員分の給料を受け取ることでした。監督たちはよく理不尽な理由で給料を減らそうとしましたが、曾祖父はそれを突っぱね、決まった額を受け取ってくる必要がありました。
ある日、仲間の日本人労働者たちが曾祖父に銃を渡し、「これを持って威圧しろ」と言ったそうです。銃を撃ったこともない曾祖父は恐怖を感じつつも、役目を果たさなければ信頼を失うと思い、腹の前に銃を差し込んでオフィスへ向かいました。毎回、銃が暴発しないかとヒヤヒヤしていたそうです(広島弁で「いびせい」)。幸い、銃を使うことなく役目を全うすることができました。
2. 銃と私の家族
銃に対する感覚は、人それぞれであることを痛感した出来事があります。私の妻は米国南部で育ちましたが、親族の中では珍しく、家に銃を置いていない人です。しかし、幼い頃から銃の扱いを教えられて育ったそうです。
ある日、小学校高学年の息子が空気銃を欲しがり、練習用の的を作って地下室で撃たせていました。息子は自分の腕に自信をつけ、私に腕比べを挑みましたが、私が負けました。次に息子は妻に挑みました。最初、妻は銃が怖いと言って断りましたが、息子の熱意に押されてしぶしぶ試すことに。すると、6発全てが的の中心に命中しました。これを見て驚いた息子に、私はこう言いました。
「母さんの先祖がイギリスから移民してきた頃は、狩りをして食料を得なければ生きていけなかったんだ。だから、銃の腕は遺伝的なものだろうね。一方、私たち日本人は農耕民族だったから、銃の才能はないんだ。」
この話をしてから、息子は以前に比べてもっと妻に一目置くようになりました。とはいえ、私たちは銃を家に置かない主義を貫いています。
***この章はChatGPTの助言をもとに書き換えてあります。
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