第76話 黒歴史あり過ぎる、優れた反面教師。

こうやって、エッセイを書いていると、自分の黒歴史の多さを何度も確認している。以前にも書いたかも知れないが、幼すぎて、自分では覚えていなかったが、家族が何度も話すので、今では良く覚えているのは、母の祖父の葬式でやらかした話。母の実家は、我が家よりも山奥の地主だったので、蘇祖父(母の祖父)が亡くなった際には、お坊さんを4〜5人読んだ大規模な葬式が母の実家で行われたらしい。その頃、私は2歳で、良く喋る子供だったらしい。葬式の間、母と母の三人の姉妹は、手伝いで忙しく、私は、母の弟(叔父)が面倒を見ることになっていた。そしてお坊さん達が長々とお経を読んでいた間に、一区切りが付いた瞬間があった。母を含めた家族の女性達は、お坊さん達のいた部屋で、ハンカチで涙を拭きながら、お経を聞きながら亡くなった蘇祖父のことを思い出していた。そこへ、幼い私が走り込んで、大きな声で、お坊さん達に、「そんなに長くお経を読んでいて、口が疲れませんか?」と言う質問をしてしまった(勿論、標準語ではなく完全な方言だった)。母は驚愕(この言葉、カクヨムで学びました)。母の姉妹である伯母達は、涙を流しながら、笑いも止められなかったので、まさに泣き笑い状態だったと、私がもう少し歳を取ってから時々話してくれた。葬式の後、私の面倒を見ているはずの叔父は、家族からこっぴどく叱られたと、今でも、恨みっぽく言われることがある。


もう一つ母の実家の話で、これは一歳歳上の従兄との思い出がある。彼の父は柔道五段で、彼も幼い頃から柔道をやっていた。歳下でも、私の方が体はかなりデカかったが、取っ組み合いの喧嘩になると、投げられたり組み伏せられた。そこで、私は掴まれる前に、殴ったり蹴ったりで対応しようとしたが、やはり掴まれる。その時は、顔を掴んでこっぴどく変形させるのが最善策(?)だった。もともと従兄は優しい性格なので、そんなに喧嘩した事はなかった。それよりも、良く覚えているのは、母の実家の家の前の石垣の下に、祖父が植えていたサボテンがあった。葉が肉厚で大きくて、大きな棘が何本も突き出ているヤツだった。ある日、秋祭りにやって来た従兄と私に弟三人で、おもちゃの刀を持ってチャンバラごっこを、この家の前でやっていた。勢いで、私は、前述の石垣から下の畑へ飛び降りた(そこに何が植えてあったのかを忘れて)。従兄も続いて飛び降りた。着地と共に、私達2人には激辛が走った。勿論、サボテンの上に落ちてしまったためだった。私は、足と腕に棘が何本か刺さってしまった。従兄は、足と尻に何本も刺さってしまった。私達の叫び声を聞いた祖母が駆けつけてくれた後、家の中に連れて行かれ、大きな毛抜きで棘を抜いてくれた。騒動を聞きつけた母と母の姉(従兄の母親)が2階から降りて来て、ズボンを脱がされて、臀部から棘を抜かれていたし従兄の姿を見つけてしまった。棘よりも、そっちの方が、後まで残る黒歴史になったと思う。


ところで、弟は未だ幼かったので、飛び降りなかった。いや、普段から兄の無謀な行動を一歩下がって観察して、危機を回避するのになれていたためだったと思う。弟、妹、そして私の息子に取って、私は優れた反面教師だった(息子にはもっと学んで欲しかったが)。


実は、この従兄、40代で、脳動脈瘤の為に亡くなってしまった。介護士として働き始めて、数年後、同僚であった女性と結婚して2年ほどしか経っていなかった。実は、彼の父親(私の伯母の夫)も比較的若い時に、交通事故で亡くなっていた。夫と息子を亡くした伯母には、もう1人、娘(私よりも5歳歳上)はいるのだが、嫁に行っている。伯母は93歳で、健在である。私の親戚は、女性陣は皆90超えているか、超えそうな勢いであるが、寿命に関しては、男性順は、圧倒されている。


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